蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2011年08月25日
近畿地方調査 第二弾
 昨年、竹生島調査で大満足してから早1年、また夏休みが・・・。
 今回はUSJ(ユナイテッド・スタジオ・ジャパン)をメインに含めた調査。子供たちを喜ばせるぞ ・・・・?

 今回のへび調査隊の行動 (太字は”へび”と関係有り)
一日目
京都府京都市 大田神社 蛇の枕
京都府京都市 蛇塚古墳
大阪府大阪市 豊国神社
大坂城公園 天守閣
道頓堀周辺
二日目
大阪府大阪市 八立龍王大明神 と USJ
三日目
奈良県桜井市 三輪山 大神神社
桜井市埋蔵文化財センター と 桜井市芝運動公園
崇神天皇陵 と 今里の蛇巻
 
奈良県桜井市 大神神社

別名 三輪明神・三輪神社
所在地 奈良県桜井市三輪1422
お問い合せ TEL 0744-42-6633  FAX 0744-42-0381
御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配祀 大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
創建 不詳 そもそも一の鳥居・二の鳥居・楼門・拝殿などがあって神殿はない(』奥儀抄)
本殿の様式 なし(三輪山が神体)
由緒
 当神社の神体山三輪山に鎮り坐す御祭神大物主大神は、世に大国主神(大黒様)の御名で広く知られている国土開拓の神様でありまして、詳しくは倭大物主櫛甕魂命と申し上げます。古典の伝えによりますと、神代の昔少彦名命と協力してこの国土を拓き、農、工、商、すべての産業開発、方除、治病、禁厭(まじない)、造酒、製薬、交通、航海、縁結び等世の中の幸福を増進することを計られました人間生活の守護神であらせられます。
後にこの神様は、御自らの御思召しによりまして、その御魂(幸魂、奇魂)をこの三輪山(三諸の神奈備)に永くお留めになり、それ以来、今日まで三輪山全体を神体山として奉斎しております。それ故に、神殿を持たない、上代の信仰の形をそのままに今に伝えている我国最古の神社であります。
地図
大きな地図で見る
*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 



大鳥居(一の鳥居) 
国道169号線から県道238号線に入った所にそびえ立つ大鳥居。

このあたりに大駐車場がありますが、早い時間や参拝者が少ない時は、ここから238号を東に進んで二の鳥居の手前に20台ほどの駐車があります。

ここから次の駐車場までそこそこの距離あります。
 
二の鳥居
  
参道
  
手水舎

さすが、大物主神は蛇神様で三輪山自体蛇神様と言われるだけのことはあります。
見事な手水舎です。

   
拝殿
 
 

巳の神杉(みのかみすぎ)

「白い巳さん」が
住んでいるらしい

お酒と卵がお供えしてあります。

巳の神杉(裏)
 江戸時代には、「雨降杉」とあり、雨乞いの時に里の人々が集まり、この杉にお詣りをしました。いつの時代からか、杉の根本に、巳(み)さん(=蛇)が棲んでいるところから、「巳の神杉」と称せられるようになり、巳さんの好物とされる卵が、酒とともにお供えされています。
 蛇は、古来より三輪の神の化身として意識されており、『日本書紀』の崇神天皇10年9月条に、「小蛇(こおろち)」と記され、『同紀』雄略天皇7年7月条には、三輪山に登って捉えて来たのが「大蛇(おろち)」であったと伝えています。いずれも、三輪の神がその原初的形態として、蛇神であると信じられていたことを示していると考えられます。
 これは、古代の人たちが、三輪山は千古鉞(おの)を入れず鬱蒼たる森林として、何がひそんでいるかわからない不気味さを覚え、そのお山から流れ出る水により、種々の農作物を作り、日々の暮らしをたて、山に立ち昇る霧や雲に神意を感得して、山内に棲む蛇を直感したものであったのでしょう。
 三輪の神の原初の形とされる蛇は、水神であり、雷神ともなり、農業神、五穀豊穣の神となり、やがては国の成立とともに、国家神的な神に至ったと考えることができます。

衣掛杉(ころもがけのすぎ)
謡曲「三輪」にでてくる玄賓僧都(げんぴんそうず)が女人に与えた衣が、掛かっていた杉と伝えられています。女人とは三輪大神であり、このことに関係して、『古今和歌集』には、「我庵(わがいほ)は 三輪の山本 恋しくば とぶらいきませ 杉立てる門」という歌があり、三輪明神の神詠とされています。現在、覆屋が作られて、周囲10メートルにおよぶ巨大な古株が残されています。

志るしの杉(しるしのすぎ)
 三輪の大神のあらわれた杉、神の坐す杉とされていました。しるしとは、示現のことで、当初、神杉として信仰されていたすべての杉のことを指していました。この杉も覆屋が作られ、根本だけが残っています。
 他におだまき杉(緒環杉)が有り
『古事記』にある当社のご祭神と活玉依媛(いくたまよりひめ)との神婚に由来しており、大田田根子命(おおたたねこのみこと)の御誕生を物語る杉であります。 江戸時代には、すでに文献に記載されている名木でありましたが、やがて枯れてしまい現在、根本だけが大切に残されています。
  


夫婦岩
二つの岩が仲良く寄り添っている形から夫婦岩と呼ばれています。古くは神様が静まる磐座で、聖天石として描かれており、夫婦和合・安産に霊験のある聖天になぞらえていたこともありました。
この夫婦岩は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされ、縁結び・夫婦円満の霊験あらたかな盤座として信仰されています。
三輪山には三ヶ所の神座があり、夫婦岩は辺津磐座(山裾の磐座)と呼ばれる。他に、奥津盤座(奥の盤座)、中津盤座(中の盤座)
 



桜井市 三輪山 摂社狭井神社
 大神神社公式ホームページ

大鳥居駐車場のちょっと東から

別名 御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)
標高 467.1m 周囲 16km
所在地 〒633-8538 奈良県桜井市三輪
お問い合せ TEL 0744-42-6633  FAX 0744-42-0381
御祭神 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
配祀 大己貴神(おおなむちのかみ)
少彦名神(すくなひこなのかみ)
御神徳 国造りの神様として、農業、工業、商業すべての産業開発、 方除、治病、造酒、製薬、禁厭、交通、航海、縁結びなど、 世の中の幸福を増進することを計られた人間生活の守護神として 尊崇されています。
入山登拝禁止日 1月1日~3日,2月17日,4月9日,4月18日,10月24日,11月23日
気象状況などにより登山できないことがある。
由緒
遠い神代の昔、大己貴神(おおなむちのかみ)【大国主神(おおくにぬしのかみ)に同じ】が、 自らの幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)を三輪山にお鎮めになり、大物主神(おおもの ぬしのかみ)
【詳しくは(やまとのおおものぬしくしみか たまのみこと)】の御名をもってお祀りされたのが当神社のはじまりであります。それ故に、本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられて おり、我が国最古の神社であります。
大三輪之神(おおみわのかみ)として世に知られ、大神をおおみわと申し上げ、神様の中の大神様 として尊崇され、各時代を通じ、朝野の崇敬殊に篤く、延喜式内社・二十二社・官幣大社として最 高の待遇に預かり、無比のご神格がうかがわれます。



摂社 狭井坐大神荒魂神社(狭井神社)

本殿と御神水

 神社本殿の左手奥に「薬井戸」があり、ここから湧き出る水は霊水とも神水とも呼ばれ万病に効くと言われている。

 写真中央部、屋根に守られるように注連縄をまいた球形の物体がおかれているが、金属製のボタンを押す御神水が出る。

 飲む人用に紫外線殺菌コップが並べられ、親切なことに飲む人とは別に大量に持ち帰る人用に作られたようなような感じである。
 但し、ペットボトルなどで大量に持ち帰るべからずと記されている。
 
別名 花鎮社
御祭神 大神荒魂神
大物主神
姫蹈鞴五十鈴姫命
勢夜陀多良姫命
事代主神
創建 創祀不詳。
一説に、垂仁天皇の勅により創祀。
『和漢三才図会(江戸時代)に「今は杜祠はない」とあり明治時代まで廃絶されていた。
お問い合せ TEL 0744-42-6633  FAX 0744-42-0381
入山登拝禁止日 1月1日~3日,2月17日,4月9日,4月18日,10月24日,11月23日
気象状況な
入山時刻 9:00~16:00(受付は14:00まで)
入山手続き 簡単な作法の説明、入山者カードの記入。タスキを首に掛けて入山。
入山料を300円
 二泊三日に及ぶ近畿地方へび調査、一番の目玉であり、目的地の三輪山登山!!
三輪山登山はこの狭井神社で所定の手続きをとり、社務所向かいの登山口(ここのみ)から登ることとなる。入山中は撮影・飲食は禁止なため、登山口と案内図のみのけいさいでございます。
 


狭井神社 鳥居


久すり道
 大神神社拝殿から西の祈祷殿を通り進んでいくと「久すり道」の石碑にあたる。薬道ということで参道に薬草が植えられている。
その先に「薬の神様」「病気平癒・身体健康の神様」をお祀りする、「狭井神社(さいじんじゃ)」があり、荒魂(あらみたま)をお祀りし、古くより病気を鎮めて下さる神様である。
 


狭井神社(さいじんじゃ) 拝殿


登山口
 ここから、白たすきを懸け登るわけであるが、登山時間約二時間、遅い人でも三時間ということであるが・・・・。

 結構な急登であり、南アルプス、北アルプスも登山経験あるが、10年のブランクとポッコリお腹から予想外の苦戦となった。

 途中白装束の裸足の女性も登山していたが、信仰の山である。

三輪山登拝案内図
  




大神神社 摂社・末社
 

末社 祓戸神社(はらえどじんじゃ)
御祭神 瀬織津姫神
速秋津姫神
気吹戸主神
速佐須良姫神

色々な罪を祓い除く神様で、先ずここにお詣りし、身も心も清浄となり御本社に参拝するようです。
 
 

祈祷殿(きとうでん)
儀式殿(ぎしきでん)・参集殿(さんしゅうでん)

国の重要文化財となっています拝殿・三ツ鳥居の老朽化に伴う保存修理とそれにあわせて、境内諸施設の拡充整備を目的とした「平成の大造営」事業で、平成9年5月8日に竣功しました。正面に祈祷殿、左に儀式殿、右に参集殿と3つの建物が、三輪山を背に西向きに建ちます。使用されている木材は、大部分が台湾檜で、一番太いものは樹齢1500年の原木から用いられています。
 


摂社 盤座神社
御祭神 少彦名大神
 大神神社から狭井神社への道の途中にあり、中央の垣の中に岩が祀られている。神農さんと称される神社。
 辺津磐座に祀る少彦名神については「大三輪社勘文」に「大神崇秘書」を引用して、
「辺っ宮は・・・神殿無く磐座あり。辺っ磐座と称す。少彦名命なり。清寧天皇の御世・神託に依り賀茂君之を斎祀す」とある。
この辺津磐座については「鎮座次第」では、「清寧天皇が大伴室屋大連に勅して当神社に幣帛をたてまつり、皇子無きの儀を以て祈祷せしめられ給いし時、大神が宮能売(注1)に憑られ(注2)、大神の和魂と共に少彦名命を敬祭あそばされんことを請い、もろともに天津日嗣(ひつぎ)の絶ゆることなく皇孫を守り、人民を済わん」と宣託され、大御心を安んじ給うたと伝えており、同天皇の元年冬十月乙卯の日に、磐境を立て起して崇祭されたのを起源としている。     
 山魚三輪山のイワクラ(磐座)めぐりより
 


末社 市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)
(由 緒)
ご祭神は素盞嗚大神(すさのおのおおかみ・祇園さんとも呼ばれる)のお子様で、水の守護神とされ、安芸の宮島のご祭神として広く知られています。また弁財天(弁天さん)と称され、七福神の中で福徳財宝・芸能をつかさどる神様としても親しまれています。桜井市茅原に末社の富士・厳島社が鎮座しますが、市杵島姫神社は茅原の厳島社の神様を勧請(かんじょう)した神社です。
例祭日11月10日

鎮女池(しずめいけ)
 


久延彦神社(くえひこじんじゃ)
祭神 久延毘古命
例祭日 5月5日 9月1日 12月第1日曜日
ご祭神の久延毘古命は、大国主神が国造りの際、多くの神がご存じなかった、少彦名命(すくなひこなのみこと)の神名をお教えになられた神様であり、知恵は世に類なく優れておられ、『古事記』には「足はあるかねど天下の事を、尽(ことごと)に知れる神」と記されている神様であります。
特に受験合格・入学・進学・就職等の成就安全をおまもり下さる、知恵の神様として信仰されており、社頭にはそれぞれの願い事を書いた「願かけ絵馬」が数多く






感想
 
 今回 日本でもトップクラスのパワースポットといわれる三輪山に登ることができました。朝、桜井市に着いたときには少し天候の心配があったのですが、
 ありがたいことに三輪山の蛇神様はわれわれ”へび調査隊”を受け入れてくれたようです。天候によっては登れないようなのですが、登拝案内書に書かれているようにぬかるんでいる地点がいくつかあるので注意が必要です。
 おかげさまで雨に降られることがなかったのですが、そもそも雨が降りやすい山なのでしょうか?それとも清水が沸きやすい山なのでしょうか?「薬井戸」の御神水伝説もあるように水との関わりも切っては切り離せない関係にあることがわかります。

 さて山頂についてですが、登山のことについて口外してはいけないルールのようですので、WIKIを引用させていただくと
頂上には高宮神社が祀られているが、延喜式神名帳には式内大社として神坐日向神社が載せられている。この日向神社は、古代には三輪山の頂上に祀られ、太陽祭祀に深く関わっていた神社であったと推測されている。
頂上付近はかなり広い平地である。この神社の東方に東西約30m、南北10mの広場に高さ約2mの岩がたくさんある。これが奥津磐座である。現在、この山中で見学できるのはこの磐座だけである。
  WIKI「三輪山」最終更新 2012年9月6日 (木) 05:06
 今、ネットでくぐってみたら、
 そのまんま山頂写真を掲載しているサイトが合ったよ~~  (ToT)
 たまに検索してると、この方のページを見ることがあるのですが・・・。
 あたしゃ、大神神社の権力者に呪われたくないから写真等一切撮ってないけど、見たい人は 「地球の謎解き ソラからの伝言」さんの三輪山山頂の巨石。見てみてね。
 奥の方も小ぶりの岩がごつごつありましたが、色はその写真のように紫っぽい感じでなく、やや土色っぽい感じがしたのですが・・・。(乾き具合とかで違うのかな?ちょっと確信持てません。)
 WIKIにあるように盤座が古代太陽信仰と結び付けられているようですが、仮にそうだとすると八切氏がいう鳥葬と関係があるかもしれません。
 昔はよく人身供養もされたようで、先に見た鎮女池(しずめいけ)という名前も、雨乞いのために娘が沈められたのではないだろうかと、初日に大田神社 蛇の枕を調査してきただけに変な推測しちゃっていけませんね。
 三輪山を登山して思うことを一言で言えば、「まさしく盤座(いわくら)。わたくしの感覚では古墳などのようにお墓。」であると思われる。

 また円錐形という山容について、
 吉野裕子氏をはじめ、さまざまな書籍やネットでも円錐形の山と形容しますが、今回調査した感覚では円錐形と言う印象を持ちませんでした。わたくし自身が富士山のある静岡県に住んでいるからなのかもしれません。
 
 しかし、等高線のある地図で見ても巻向山との稜線が東に伸びているのが良くわかります。
 鳥居側から見たほうがまだなだらかな円錐形ですが、大美和の杜からの写真はなだらかな円錐形ともとてもいえません。よっぽど金剛山葛城山方面写真の手前の低山、畝傍山(うねびやま)と耳成山(みみなしやま)の方がよっぽど円錐形といえます。
大美和の杜 より
三輪山
金剛山 葛城山 方面

 ↑ 畝傍山   ↑ 耳成山     .
 
 
 では、なぜこの三輪山を円錐形というか、となると結局のところ盤座(いわくら)であることが一番の理由なのではないだろうか。 それも”へび民族”のお墓としての要素である。 それゆえにへびがとぐろを巻く様子とを重ねているわけです。先の耳成山も上円下方墳、古代大君の御陵と伝わる。畝傍山もおそらく古墳なり磐座要素を持っているものであり。きれいな円錐形だ。
 もうひとつの理由として三輪山の南側に初瀬川、北側に巻向川が流れており共に大規模な治水を行い流路を変更している。たびたび洪水も起こったようでありその上流に当たる三輪山を水の神である”へび”が住まう山ととらえた事によるのではないかと推測するわけです。

 三輪山の名前についてですが、大神神社拝殿と三輪山の間に三ツ鳥居があるようです。拝殿の高さがあること暗さから良く見えませんでしたのでHPよりお借りしましたが、三つの民族が輪(和)をもって力を合わせたように感じます。

写真文とも大神神社HPより
三ツ鳥居(みつとりい)
明神型鳥居を三つ組み合わせた、一名「三輪鳥居(みわとりい)」とも言われる独特の鳥居です。いつ頃どのようにして、この形式が出来たのかは不明で、神社の記録にも「古来、一社の神秘なり」と記されているだけです。
左右には、長さ16間の瑞垣(みずがき)が設けられ、ご祭神とゆかり深い動物、花鳥など、すぐれた木彫りの欄間が、はめ込まれています。三ツ鳥居、瑞垣ともに重要文化財に指定されています。

 禁足の山とされてきということは鳥葬をおこなう太陽信仰の民族を押さえ込んでいたと考えられるかもしれません。逆に純粋に守っていたのかもしれませんが明治以前の老廃を見ていると押さえ込んでいたと考えたほうがいいかもしれません。
 
  なんでこんなマイナス的な発想になってしまったかというと、三輪山は蛇神様というのに蛇のお守りが無く、なぜか人気の撫でウサギ、お守りうもうさちゃん大人気。因幡の白兎ですか?って感じです。

 へび神様なのに~~~なんで??
  
 (ToT)
 
 そして、三輪山の神紋は三ツ杉とHPにはでています。 
 これは私の勘違い推論にすぎないかもしれないのですが、 大神神社の拝殿も祈祷殿も正面の神紋が菊花紋でした。天皇家の家紋です。とすると、三輪山の神文は”杉”ではなく天皇家を支える”菊の葉”です。杉の木をデザインしているというよりも菊の葉っぱに似ていると思いませんか?
 しるしの杉、おだまき杉が、スパッと綺麗な切り口を見ると、大事にされていたか微妙です。三ツ杉が神紋であるならば境内に生える杉の木は御神木であり、仮に倒れたり枯れそうになった時に挿し木や接木などをしてこなかったのか疑問が残ったのです。

 豊国神社でも明治時代から神社の再建復興が盛んになったことを記しましたが、
 
 左写真にある

 お家の玄関にお祀りする「三輪さんの赤御幣」も 赤が好きな民族のものと思われます。普通は白ですもんね。

 まぁ、こんな感じに見てきたことの感想とそれによる勝手な推論をしてみました。ただし、三輪山が古墳だのお墓だ見たいな事書いてますが、汚す気持ちは一切ありません。
 神社自体、盤座や古墳が元であったり、東照宮などの神社も祖先や神様を祀るものであると考えています。 今パワースポットって言われている場所の多くがそういうところだと思うんですよね。
 墓地って言うと怖い寂しいイメージがありますが、神社、お寺というと有難い気持ちになるから不思議ですよね。(墓地ももちろん先祖に感謝する場所ですが)

 自分自身 神社仏閣嫌いだったのになんで、へび調査隊しているんだろうと不思議に思うのですが、 心の奥には民族や宗教の争いが無くなり世界が平和になればいいなぁと思いこのようなことやってます。
 
 さて、子供たちもはじめての本格的な登山でしたが、巳子も文句ひとつ言わず無事にお参り下山することができ、ありがたいことでした。
 なんだか一回り成長したような感じがしました。たまには、こういった森林から出るマイナスイオンをあびるプランを旅行に入れるのもいいものですね。

 おしまい




 
 
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