国宝 彦根城天守閣 |
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太鼓門櫓方面からの天守閣(東南面) |
昭和32年から3年をかけて行われた解体修理により、墨書のある建築材が発見され、天守の完成は慶長12年(1607)頃であることがわかりました。
彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』によると、「天守は京極家の大津城の殿守也」とあり、彦根城の天守が大津城(大津市)の天守を移築したものと考えられています。
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本丸側(東側)より |
西の丸(北西)側 |
西の丸(北)側 |
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三階三重の構成で、規模は小さいものの屋根は「切妻破風」「入母屋破風」「唐破風」を多様に配し、これらを組み合わせた美しさは類い希である。
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切妻破風
天守一層目八つ |
唐破風
二層目南北、三層目東西 |
入母屋破風
二層目東西、三層目南北 |
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天守閣 内部 |
天守閣 入り口 付櫓 |
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もともと別の所に入り口があり、ココ付櫓は敵を側面攻撃する場所であった。
入り口を入ってすぐに右手の窓から見える風景。(だったと思うんですが?)
左側に琵琶湖 正面に米原市でしょうか。
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階段 |
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かなり 狭くて急です。
天守閣というものは そういうものだ。
と最近ではしっかり学習できるようになりました。 |
鉄砲狭間 |
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敵の来襲に鉄砲で防戦するための狭間(銃眼)。
漆喰の塀や壁に最初から三角形や丸形で、抜かれている狭間は良く目にしますが、外からは見えないように、しっくい壁が塗り込められ、緊急時に壁を突き破って使用する このようなタイプは始めて見ました。 |
隠狭間 |
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この引きちがい板戸の奥は千鳥破風の屋根裏を利用した一室となっていて
敵に攻められたときに城主が自害するための部屋となっていたようです。
(といっても一度も敵に攻められたことがなくこの彦根城自体は歴代城主の甲冑などをしまう蔵のようなものであったようです。) |
天守の木組み |
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彦根城の天守の見所のひとつ
三階三層の天守は通し柱を用いず、各階ごとに建築していく方式で、内部の木組みの巧み、美しい曲線の梁が縦横に走り、高い建築技術に目を見張る。 |
展示物 |
お城に使用された金具や屋根瓦、そのほか井伊直弼像、本来寺院建築に使われた曲線の花頭窓の木枠などが展示してあります。 |
天守最上階からの景色 |
といっても
金網で鳥の侵入などの保護あるいは落下防止をしているようでものですから
金網の目から撮った写真です。パノラマは無理・・・。 |
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米原市方面? |
琵琶湖 |
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