蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
(単独行) 09年10月15日
浜松市 北区 めぐり その2
 今日は 長女が学校。家内が長男の用事ということで、調査隊員はわたくし一人・・・。
思いっきりハネが伸ばせそうです。 うふふっ


この日の調査地
恩塚山古墳
井伊谷宮 龍潭寺
浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
◎細江神社

三ヶ日民族資料室
井伊谷宮(いいのやぐう)(旧官幣中社)
所在 浜松市北区引佐町井伊谷1991-1
TEL:053-542-0355
FAX:053-542-2653
観覧料金 無料
開館時間

9:00~17:00

休館日 土・日曜日、休日、年末年始
駐車場 無料
http://iinoyaguu.ehoh.net/

井伊谷宮 由緒
 南朝時代、建武中興に尽力した後醍醐天皇第4皇子宗良親王(むなよししんのう)を祀る。
 明治5年に明治天皇の思し召しにより御鎮座、翌明治6年に静岡県でも数少ない官幣社(井伊谷宮は官幣中社)という格式の高い神社となり、昭和5年には昭和天皇が御親拝になり、さらに昭和58年には現在の天皇皇后両陛下がご参拝されるなど、皇室とも大変に関係の深い神社。

 和歌に秀でておられたことから「学徳成就・合格」の神様として崇められ、また73歳と、当時としては大変御長命であったため「長寿・除災開運」の守護神として信仰されています。
手水舎

龍口から水が流れています。
御神木 ”椎”(しい)の木
静岡県神社庁指定
御神木指定証という認定証まであるの?

疑問に思ったので電話でお伺いしてみると、
 そもそも神社の創建も1872年(明治5年)と新しいもので、その時既にあった椎の樹齢や謂れなど細かいことは解らないそうです。
 神社庁の方で、参拝者がその神社の御神木に当たるものがどの木か解りやすい方がいいだろうということで指定し表示する事をしているようです。
境内
 本殿から 社務所まで
社務所 慈母観音石 井伊社 本殿     
資料館

御神木となりの資料館 無料です。

他に絵馬資料館(有料)があるのですがそちらは入りませんでした。
小堀遠州・今川義元
などの 和歌
掛け軸 銅黒造御太刀
御鏡
宣命(せんめよう)
他神宮にない宝物
井伊社

井伊道政公とその子高顕公を祀る。

井伊道政公は徳川家康の重臣、井伊直政の祖。
南朝方 宗良親王を井伊城に迎え忠勤を励んだ事から、明治三年摂社として祀られる。
宗良親王御墓 (むななが/むなよし とも読む)

後醍醐天皇王子
 1311年(応長元年)~ 1385年(元中2年)

 立ち入り禁止  宮内庁 所管
 



龍潭寺(りょうたんじ)
所在地 静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1989
  TEL 053-542-0480(代) FAX 053-542-0901
拝観料 大人(高校生以上) 400円
小人(小・中学生) 150円
拝観所要時間 40分~50分
開館時間

9:00~16:30

駐車場 無料
http://www4.ocn.ne.jp/~ryotanji/index.html
 残念ながら工事中。拝観等できるようですが、今回は見合わせていただきました。

 そんなわけで上の庭写真はパンフレットより。



仁王門
 
本堂の真南、お寺全体の正面に位置し、当山をお守りくださっています。
昭和62年(1987)清山和尚代に建立。
開山堂

『八世徹叟和尚が建立する。開山黙宗瑞淵和尚を祀る。塔上に井伊氏の家紋彦根橘、彦根井筒(井桁)を見る。』とのこと
井伊家歴代墓所

元祖共保公より二十四代直政公までの墓地。

 藤原鎌足の後裔で、藤原共資公の子(養子)である共保公より11世紀(平安時代)、井伊家は豪族としてこの地を治めていた。(今川義元に敗れた後の一時期を除く)

 紀州を”紀の国”というようにこの辺りを”井の国”という。




感想

 実は恩塚山古墳にいったあと、”引佐歴史民俗資料館”に行く予定でしたが 何人か場所を尋ねたのですが街の人達も存在を知らないようで図書館の人に伺ってようやく「多分ここのことじゃない?」と地図を手書きしてもらうと同時に日曜日しか開館していないことを知る。「ふわ~~そういう博物館もあるんだ。」とびっくりしたのですが、話によると個人の方が運営しているそうで、この後行く”三ヶ日町民族資料館”や、”佐久間歴史と民話の郷会館”が閉館になると同時に辞めてしまうという話を伺った。

 日曜日のみの運営ではこの先も伺えるチャンスは非常に少なく残念です。浜松電子資料室「ある蔵」で見ることができますが、古民具を中心にがんこ(すごい)な点数が展示されているみたいで一度伺ってみたかった。

 そのかわり案内看板に導かれるまま”井伊谷宮”と”龍潭寺”を参拝することができました。引佐町は”井の国”として歴史的にも非常に重要な地であることがわかりました。
 徳川家康の四天王 井伊直正 
 鎖国から開国を断行した 井伊直弼
 そういった井伊家とゆかりのあることは知っていましたが南朝と関係があり、宗良親王に仕えていた井伊道政の娘重姫が、尹良親王を出産したことは知りませんでした。
 それと、宗良親王ですが、南北朝時代井伊道政を頼って逃れておりますが、ここにたどり着く前には平家の落人が住む長野県長谷村を経て大鹿村香坂高宗氏に迎えられて大河原城を拠点としていたようです。

 それと話は変わりますが、実はこの井伊谷宮のすぐ裏あたりに 陶芸の渡辺渉先生が住んでいて何度か側まで来ていたのです。そのくせ井伊谷宮も龍潭寺もはじめてで浜松に住んでいて行ったこと無いじゃ話になりませんから伺えてよかったです。
 次回伺う時は龍潭寺の参拝と、伝左甚五郎作『龍の彫刻』 また、私の好きな織田信長様の遺品、茶碗『?山天目(けんさんてんもく)』、交趾盆、陣中茶碗、南京焼茶入、黄西湖茶碗などがあるようで、是非とも見てみたいと思います。
 愛知県岩倉市の龍潭寺(曹洞宗)は織田家とゆかりがあるようですが、浜松市引佐町の龍潭寺(臨済宗)が織田信長とどのような関係があるのかも伺ってみたいです。茶人(大名)の小堀遠州が持っていたものなのかな?

 そんな訳で”井の国”に後ろ髪を引かれつつ 次の資料館へ

 そうそう「へび・蛇の目」は見つけることができませんでした・・・。

 浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館 と 細江神社 へ

 
 
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