蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
(単独行) 09年10月15日
浜松市 北区 めぐり その4
 今日は 長女が学校。家内が長男の用事ということで、調査隊員はわたくし一人・・・。
思いっきりハネが伸ばせそうです。 うふふっ


この日の調査地
恩塚山古墳
井伊谷宮 龍潭寺
浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館
◎細江神社

三ヶ日民族資料室
三ヶ日民族資料室(三ヶ日地域自治センター内)
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku//09annex/hakubut13.htm
 2011年4月に廃止
所在 北区三ケ日町三ケ日500-1
 TEL 053-524-1512
観覧料金 無料
開館時間

9:00~17:00

休館日 土・日曜日、休日、年末年始
駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。

 
館内展示物 (常設2011年4月に廃止
 
只木遺跡  
三ヶ日人骨 (模型)  
 出土地 三ヶ日人只木遺跡
      浜松市北区三ヶ日町只木亀ノ上347番地

 ①③④⑤⑥同一男性 前頭骨など
 ②女性の頭頂骨
 ⑦男性大腿骨

(左:東大名誉教授 鈴木尚氏直筆の書))
 三ヶ日人骨は『現生人類(新人段階。クロマニョン人など)の特徴があり、。ウラニウムの同位体を用いた年代測定によると、頭骨片の一つは9000年ないし1万3000年前とされるので縄文時代早期又は後期旧石器時代末に当たっており、寛骨は1万7000年から2万年前のものと判定されている。』 (WIKI)
動物の人骨
 只木遺跡出土
 上記WIKIの説明によると1万7000年から2万年前

 頂いた藁半紙の資料によると、この只木層(ここでは含哺乳類フィッシュア堆積層と書かれている)では、人骨以外にもアヅマモグラ・ホンシュウヒミズ・ジネズミ・ユビナガコウモリ・ハタネズミ・ノウサギ・オオカミ・タヌキ・ヒョウ・オオツノジカ・ニホンジカ・イノシシ・アオモリゾウ・ヤマドリ・シマヘビ・ヒキガエル・などが出土している。
 
只木遺跡 地図はこちら




殿畑遺跡
殿畑遺跡土層状況

殿畑遺跡
 (北区三ヶ日町三ヶ日殿畑)
旧三ヶ日宿の北西の段丘上にある集落跡です。縄文時代晩期(約2500年前)の土器と石器をはじめ、弥生時代前期から後期にかけての土器が見つかっています。土器や遺跡の立地からこの地域で米作りが始まったことを示す重要な遺跡です。


    
石鏃
 殿畑遺跡 出土
 縄文時代

尖底土器破片(左)
 縄文時代

縄文土器破片(右)
 縄文時代後期
打製石斧(左)
 縄文時代
磨製石斧(右)
 縄文時代
石剣(せっけん)

 縄文時代
 左写真のすべてかはわかりませんが右端の物の下部に
 「佐久米 佐久米山(ナズミ)」出土と表札があります。
環状石斧(かんじょうせきふ)
 今回の調査で一番見たかったのが この環状石斧(かんじょうせきふ) です。以前 浜松市デジタル博物館「ある蔵」で、一通り目を通していたところ この形状に目が留まりました。
縄文土器破片 (水神平式土器)
 水神平式土器あは、愛知県宝飯郡(ほいぐん)にある水神平遺跡出土の土器をで、愛知県東部や岐阜県南部に多く出土する条痕文土器(じょうこんもんどき)をつくっていた。
 特徴は厚手で、縁にぎざぎざのある貝がらで器面を強く引っかいて条痕をつけているもの。
弥生土器破片(上)
 遠賀川式・・・西日本出土の弥生土器の総称。稲作伝播と関係が深かった土器といわれています。
 

弥生土器(下)
 上写真、遠賀川式の右隣にあったのですが、器台もあることから多分弥生時代中期以降ということがわかります。


弥生時代
左から (いづれも複製 原物は東京国立博物館蔵)
三遠式銅鐸
 三ヶ日町釣 荒神山出土
 突線鈕3式 57.6cm
三遠式銅鐸
 三ヶ日町釣 荒神山出土
 突線鈕3式 74.2cm
近畿式銅鐸
 三ヶ日町分寸(釣山田)出土
 突線鈕4式 96.7cm
 模様 近畿ⅢA

弥生時代(後期)・1~3世紀
猪久保銅鐸(いのししくぼどうたく)
 三ヶ日町猪久保出土
 突線鈕4式  96cm
 模様 近畿ⅡB

 (左が標識のあった側 右が裏側からの写真)
 ガラスの映り込みが申し訳ありません・・・。
 詳しくは浜松市電子展示室「ある蔵」へ


 (いづれも複製 原物は東京国立博物館蔵)
高杯 土器類
 三ヶ日町野地遺跡出土
 時代は不明



古墳時代
鉄鏃(上)・直刀(下)

上尾奈 カイツ古墳出土
古墳時代 
金環
 東山古墳
 古墳時代

 金製もしくは青銅製に金メッキを施したもの。
金銅製の耳環(きんどうせいのじかん)・臼歯・碧玉製の管玉(へきぎょくせいのくだたま)

 摩訶耶寺乾山古墳出土
 古墳時代

 古墳から副葬品として出土。


奈良時代以降
陶馬(とうば)

 三ヶ日鵺代遺跡(ぬえしろいせき)出土
 奈良時代前期 須恵質の焼き物

 あたしゃ恐竜に見えるんですけど・・・。
 シュメールの遺跡からも恐竜の土器多数出土。

 佐久城址出土
 中世(室町時代)

 (ちゅう)の部分が取れちゃったのでしょうか?上部に穴が二つ開いているのが気になります。隣に取っ手付きの手鏡も展示してありましたが同時代のものなのでしょうか?
感想

 静岡県の歴史資料館・博物館は他県に比べ巨大なハコモノが少ない。
しかし、出土品としては非常に興味深いものが多い。 この三ヶ日民族資料室も三ヶ日人骨・巨大な銅鐸など、レプリカの展示ではあるが、原品は東京国立博物館蔵という一級品がある。

 実際に展示が地味なここ三ヶ日地域自治センターは、中に入ってまず場所がわからない。受付でどこで展示されているか伺うと、2階に案内されわたくしのために鍵を開け、見終わるまで待機くださるという感じでした。
 しかも其処は展示室というより学校の教室より小さめの1部屋に展示されており、せっかくの展示物もどれくらい目に触れることができるだろうかとちょっともったいない気がするほどでした。
 が、経費をかけないこういった展示の仕方はかなり好きである。
 そんなこの資料室も2011年4月で閉館ということで、細江町に移設するのか分かりませんがちょっと寂しい気もします。(新たに大きなハコモノができない事を祈ります。)

 さて 『へび調査隊』としての成果は やはり 環状石斧 を見れたことです。 斧と使用するにはあまりにも薄く(7~8mm以下)すぐに欠けそうでもあり、明らかに穴を開けてある形状!!まさに玉璧です。素材からいえば”石璧”といえるでしょう。 ネットの電子展示室で見た時は、
 ”へび調査隊”で確認した
 ◎豊橋市美術博物館「嵩山 蛇穴遺跡」の有孔土製円盤
 ◎袋井市愛野向山遺跡 有孔偏平礫 弥生時代2・3世紀
 いずれも2点は直径約6cmほど
といったものを想像していたのですが、殿畑遺跡の環状石斧は直径約15cmほどと大き目のものでした。詳しい出土状況は判りませんが祭祀に使用されたものでしょう。
 この遺物も 蛇の目と言う形状が神聖視される理由の一つといえると思います。
 実際伺ってみることの意義を感じました。

 また室町時代出土の鏡に穴が2つ開いているというのが気になりますね~~。多紐細文鏡のような使われ方をしたのでしょうか?12~15cmくらいと今まで見てきたものより小型で素材もやや柔らかいものの気がしますが、はじめて見た形式でした。

 展示物もほとんどがデジタル化されているようですが 資料室が閉館になるということですので、いつもより多めに写真の掲載をしました。


 今回単独での 浜松市北区博物館巡り。 
 姫街道沿いを引佐から三ヶ日まで東西に走ったのですがまさに歴史街道!!浜名湖の豊かな恵みと自然の要塞にもなる低山帯、都田川の水の恵みと古代から栄えるべくして栄えた事がわかる街並みでした。2時までには自宅に帰って合流と言うちょっとハードな計画でしたが有意義な調査でした。

おしまい
 
 
前ページに戻る
「へび調査隊」目次



へびって?(ヘビ民族のルーツの探求)

蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

蛇の目ってなんぞや?!(ホームに戻る)
 
1