蛇の目ってなんぞや?!
 
  へびって?
「へび」を調べる 
- 蛇の遺物に見る民族の流れを探る -
 
第四章 へびを崇拝する民族どこから?
 ここまでは 日本の遺物にみることが出来る「へび」 をみてきましたがその目を世界に向けて調べていこうと思う。
 たとえば 古事記・日本書紀などもギリシャ神話などに似ているものもあると言われているが、そういった話だけが伝播したもので無く 民族とともに伝わってきたということも言えるのではないでしょうか。

 まずは  西の国から シルクロードあるいは海洋によって文化とともに民族が移動したであろう  文化の
東漸(とうぜん)という ことに留意して へびを崇拝していたであろう民族が 何処にいきつくのか 調べていこうと思う。


一、古代中国の中の へび
伏義と女禍
伏義(ふくぎ)と女禍(じょか)
中国古代に実在した 聖天使とされていましたが、もともと身その他の姿をした異形神(いけいしん)
伏義は婚姻制や、八卦などの文化を創始し
女禍は人間を作ったいいます。
後に兄弟または夫婦神として、世界の創造に従事したと伝えられます
 中国アスターナ出土(写真 旭通信社)

*18 週間朝日百科 世界の歴史7 b-56 より
手に持っているのは伏義が曲尺(定規)・女禍がコンパスです。
古代中国にも 日本の記紀のような伝説が以下のように残っております。
 
『伏義氏は、中国最初の国王とされる史書。』
『まだ人間がいない頃、女禍が黄土をこねて人間を1人づつ作り、間に合わなくなって泥の中に縄を引きずって跳ね上げた泥を人間にした話』 
 (丁寧に作った人間と粗末にできた人間ができたそうな・・・。)
『夫婦とも兄妹ともいわれ大洪水のとき、この二人だけが生き残って人類の祖となったという話もあります。』

 「アダムとイブ」「ノアの箱舟」の説話  またエジプトの貢にある ホルス神の壁画 等・・・
 やはり人類が生まれる時にがかかわっていたようである。



安田喜憲著 『龍の文明・太陽の文明』 2001年 発行者:江口克彦 発行所:PHP研究所(*19)によると
  6~7千年前
   青銅器の武器を持った北方の畑作・牧畜地帯の龍を信仰する龍族と、
   青銅器の武器を持たない南方の稲作・漁撈地帯の太陽や鳥それに蛇を
   信仰する太陽族・鳥族・蛇族が
   明白にすみわけて存在していたました。
  4千年頃
   寒冷・乾燥化によって紅山文化が衰え崩壊し 
   南下し長江文明の稲作・漁撈地帯の民族を征服。 
   長江文明の担い手の苗ミャオ族を含む長江流域の人々が、
   長江文明の崩壊とともに山岳地帯や台湾や日本列島へと移動しました
   その際 日本の縄文時代の太陽信仰・蛇信仰に出会い、
   すんなり受け入れられた。

と大まかにこういった流れとして、蛇民族(思想)が移動していったと理解できます。 
 


東京国立博物館 調査記 (2009年8/28) より 追記

饕餮文(とうてつもんほう)

中国
商時代・前13~前11世紀
坂本キク氏寄贈
青銅製
へびが・・。

註:「とは儀式に用いる酒や水を蓄える容器。饕餮とは胴部の中央に大きく表されている目を見開いた獣の顔の文様で、当時の人々があがめた神霊の一つと考えられる。蓋の中央に立つ柱の上には角をもつ蛇がとぐろを巻き圏足(けんそく)高台(こうだい))には鳥の文様がある。」

 蓋中央の上部に”角を持つへび”中国商の時代に場所に角を持ったへびはいないと思います。(③ へびの角(ツノ))参照
 ””そのものは中国の様式であるので、貢物や輸入品ではなく、エジプト文明あるいはそのあたりの民族が入ってきた証拠になるのではと推測します。


 
二、古代インド の中の へび
ガンガー神
聖なるガンガー(ガンジス川)の降下 


 インドのガンジス河はかって天の河で、水の乏しくなった海を満たすため、下半身が蛇体のガンガー(ガンジス)女神が地上に降下し現在のガンジス川になったという伝説がある。
 ガンジス川はガンガー女神そのままであり、流れる川の象徴として蛇があらわされている。


ナーガ

インドの神話というのはヒンドゥー教のカミサマをベースにされており
ナーガはヒンドゥー教が始まる前からずっとインドの神様として信仰されてきた重要な存在。

 「ナーガ」とは、サンスクリット語で「蛇」、正確には「コブラ」を意味する言葉である。それが神聖視され、蛇の下半身に人間の上半身を持った神として崇拝された。
 ナーガの女性系を表す言葉で「ナーギー」と、日本では古く「ナギ」との関連性、古来「蛇」のことを「長虫(ながむし)」 と呼んでいた。
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/index.html (「天竺奇譚」トップページ)
http://www.k5.dion.ne.jp/~dakini/tenjiku/zukan/naga.html (ナーガ様)


ナーガラージャ(ナーガの王)

 天気を操る力を持ち、怒ると旱魃に、なだめられると雨を降らす。天候に関して責任感も持っているので、自身の感情を抑えたりもする。
 ・チベットでは、樹の枝にも棲むとされている吉兆である 
 ・中国では竜と同一視
インドにおける蛇神の緒王 
 仏教では 八大竜王としてあげているが 1000の蛇神がいる。
   
八大竜王 
難陀(ナンダ)  千手観世音菩薩の眷属である二十八部衆の一人にも上げられている。像形は、基本的に人身で頭の上に9頭の蛇を乗せ、右手に剣を持つ形をとるものや、両手で宝珠を持つものなどがある。
・跋難陀(ウパナンダ)
・娑伽羅(サガラ)
・和修吉(ヴァースキ) 千の頭をもつ巨大な蛇とされる。
・徳叉迦(タクシャカ) インド神話に登場する王
・阿那婆達多(アナヴァタプタ)
・摩那斯(マナスヴィン)
・優鉢羅(ウトパラカ)
   
 ◎難陀(ナンダ) は仏弟子の一人で釈迦の異母兄弟である孫陀羅難陀(そんだらなんだ)とも呼ばれたりさまざまな説がある  


シヴァ神
 シヴァのことがきらいな仙人達が、シヴァを殺そうとして呪いをかけたり、トラ・毒蛇・悪魔を仕向けるがかなわない。
 さらに悪魔を踏みつけ踊る様子に天界の神様たちも見入ったことから「シヴァこそ宇宙の主!」 と心を改めました。
 
そのとき仕向けられた毒蛇を首に巻きつけネックレスにしたことから 左の絵のように描かれます。


ほんとは黒で書きたいところを黒は不浄を意味するようで。インドの神様は青い色でもかかれます。
 シヴァ神の髪の毛の中には ガンガー神がいて水を噴出している。
 ガンガー降下の際 シヴァ神が体で受け止めたことに由来する。
 また頭にもへびがとぐろを巻いているシヴァ神もみうけられる。
シヴァ神の別名
 ・マハーカーラ(怒っているシヴァ)
 ・ナタラージャ (踊っているシヴァ)
 ・マハーデーヴァ(偉大なる神)
 ・ガンガーダラ(ガンジスを支える者)
 ・シャルベーシャ(有翼の獅子)
 ・シャンカラ
 ・ナテーシュバラ
 ・アルダナレーシュバラ 他 呼び方は1000を超えるらしい

 ここで インドの歴史を振り返って考えてみたいが  BC3500~2500年ごろ 先住民族ドラヴィダ人がインダス文明を担いインダス文字を使用していた。また主要な遺跡にはモヘンジョ-ダロ や ハラッパーが残っている。 その後BC1600年ごろ アーリア人がインド北西部 に侵攻。 軍事力によって圧倒する一方で先住民から農耕文化の諸技術を学んでいる。
 古代インドの聖典ヴェーダ(知識を意味する)の中、リグ・ヴェーダには先住民の黒い肌で背が低い人種に対し アーリア人は、白い肌であった記述がある。 BC1300年にはアーリア人がドラヴィダ人を奴隷とするカースト制を作る。
 そして注目してるのは ガンジス川下流域BC800年頃アーリア系の住民が住んでおりBC4世紀頃起こったマガダ国。 バールハドラタ朝に始まりシシュナーガ朝・ナンダ朝と経て最初の統一国家 マウリヤ朝が成立している。
 このマガダ国の頃 インドで鉄器時代が始まり ナンダ朝は ヒンデュー教最下位の「賎民」シュードラ出身の王朝で、旧来の未分制度を崩し 度量衡の発明・大量の銀貨の発行と高い文明を持っていること。
 
 インド=アーリア人の影響と言っていいほどで ペルシャ帝国 〔アケメネス朝(BC550-BC330)からササン朝(AD226-651年)〕の ササン朝時代に成立しているゾロアスター教(マズター教・拝火教)もアーリア人が持ちこんだもので 現在でもゾロアスター教を守るパールシー〈ペルシャ人)は現在でもインドの富裕層のなかで拝火教を守っている。

 エジプト ペルシア インドと民族が流れてきた仮説のもとに考えたいが、このシヴァ神・やガンガー女神・ナーガがいつの時代に隆盛を誇っていたか難しい。

 神話を民族な移り変わりと考えれば シヴァにたとえる後から入ってきたアーリア人がシヴァ神で、 トラ族〈居たかわかりませんが)や先住のガンジス川流域にいた へび民族 を差し向けたり、黒魔術を使うような集団を差し向けたり でも かなわなかったと言った感じでしょうか。(ちょっと安易で申し訳ありませんがここから核心は出ない) 同じインド国内でも 神話もいくつかあり、王国や民族の交代が激しい ゆえに シヴァ神の呼び名がいくつもあるように推測する。 
 シヴァ神に関してはエジプト文明のようにその民族をまとめるためにこういった神話や神様も利用と言っては語弊があるかもしれませんが崇拝されてきたようにかんじます。

また わたしが追っている へび民族は、純粋に自然崇拝 ヘビに限らず太陽や自然を崇拝していた民族である。 いってみれば ガンジス川をガンガー女神 として崇拝していた民族の方がふさわしく感じる。  
 あるいは 同じくヒンズー教以前から重要視されていた「ナーガ」 へび族は要注目である。ナーガラージャ の王の中に難陀(ナンダ)とありますが マガダ国のナンダ朝そのままの呼び方である。
 
 よって高い文明を持っていた青銅器や、農耕技術の観点からいえば、 ドラヴィダ人や・マガダ国の民族 が日本に入ってきた可能性が高いのではないかと思える。
 アーリア人がインドに入ってくると同時にドラヴィダ人が争いを避け 移動した可能性もあるが ドラヴィダ人が、へびを崇拝していたかはわかりません。

 ナンダ ナーガ のへび族はその後仏教の影響をかなり受けている。また 中国において竜となっている可能性が高いので 中国大陸を経て 「竜」として日本に入ってきているのではないだろうか 
 世界最古の一神教 アフダ・マズダーを崇拝している パールシー も、純粋に「火」を大切にしていることから考えられるが、現在インドに居るパールシーではないと思う。 政権を取られたときに逃げ出すことも考えられるが、 カースト制の上位の人がわざわざ住みなれた土地を離れる必要はないからである。



 
東京国立博物館 調査記 (2009年8/28) より 追記
バイラヴァ立像

インド・タミル・ナーデュ
チョーラ朝・12世紀~13世紀
(財)日印協会
花崗岩

フラッシュ禁止なので表情が分かりにくいかもしれませんが

腰に へびが・・・。
へびベルト?
 バイラヴァとは、インド ヒンドゥー教の3最高神の一柱 破壊を司るシヴァ神の別名。

◎シヴァに反対する仙人達がしむけた毒蛇を首に巻きつける姿で描かれることが多い。
◎ガンガー(へび神)降下の際 シヴァ神が体で受け止めたことに由来し、頭にもへびがとぐろを巻いている
◎乳海攪拌の折にマンダラ山を回す綱となった大蛇ヴァースキが苦しんで吐いた毒を飲み干し喉が青く描かれる。
 などといったように へびと密接にかかわっている神様です。
また、マハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、漢訳仏典では大黒天と意訳され日本神道の大国主の「大国」が「ダイコク」とも読める事から同一視され、七福神の1人と数えられる。


 
追記 20.10.13
シルクロード・ミュージアム 調査記より
磐田市のシルクロードミュージアムに展示されていた土鈴でありますが
へび(胴幅1cm全長12・3cmのへび)が描かれており、裏には亀が描かれているそうです。(残念ながら月替えで、亀・へびを表示しているそうで亀の写真はありません)
「なんだか怪しい物体に へびの 明らかにへび の浮き彫りが!!」
 
土鈴 (ミニストーパー)
 ・インド カシミール地方  ・土器  ・7~8世紀
 ・へびの反対に 1cm程の亀の浮き彫りが施されている。
 ・子供のおもちゃ 

 子供のおもちゃだったそうですよ。 ステキ!!
これは、へびがいかに身近な動物であり、親しまれていた動物であったかを表す物でもあると言えます。

 田辺教授(上記ミュージアム顧問)が推測するに蛇が「竜」・亀が「長寿」を表している。という事ですが 
 亀が長寿で、蛇が竜というのはちょっと違うんじゃないかなぁ。蛇が「再生」などならわかるのですが。 電話で館の管理者に聞いたので聴き間違いかもしれませんが。



第三章 三、古墳時代のへび 亀と一緒な訳 にて下記写真の様にインドの世界観という事で紹介してきました
「インドの亀蛇宇宙図 ドイツで19世紀に線刻されたもの」左記図

*11 高橋泉『カラー図鑑 カメのすべて』、132頁、成美堂出版社、東京、1997


インドでの世界観です。

 ミニストーパーのストーパーというのは佛舎利を収める仏塔のことで、それを模した土鈴という事です。そういった神聖な物が子供のおもちゃになり、そこに蛇と亀が模様として描かれているというのは蛇と亀自体神聖な物でであると共に 世界観といった重要な思想を持っていたものと思われます。そして へびが親しまれていたという事ですね。
 
追記 10.11.05
シルクロード・ミュージアム 調査記より
 この日の調査で ストゥーパーの裏側の”亀”を確認する事ができました。それと同時に中にどのようなものが入っているのか知る事ができました。
ミニストゥーパー形土鈴
 ・インド カシミール地方  ・土器  ・7~8世紀
 ・反対側にはへびのの浮き彫りが施されている。
 ・子供のおもちゃ

ラッキ~!!今回見たかったのはこれ!!右端にへびの尻尾が見えますが亀の浮き彫りがハッキリありますね。
ストゥーパー 仏塔
 ・インド カシミール地方  ・土器  ・7~8世紀
 装飾が異なるミニストーパーと、他のストーパーの中身の写真
 コインのような形をしたものが中に入っています。このコイン状の物も意味を持っていそうですね。
 

インドのへび まとめ

 ◎インドでは 神様の多くにへびが。 
 ◎中国同様 大河伝説と へびの神様が関わっている。
 ◎蛇と亀による ”インドの世界観” は子供でも知っている。

 




三、 ペルシャ帝国の中のヘビ
①ビストゥーン磨崖碑の浮彫り
    「ペルシャ帝国」*20 p6 
②アケメネス朝の記念碑 に刻まれた王の図像
「ペルシャ帝国」*20 p22~23
③ダタメス(前4世紀)の貨幣
「ペルシャ帝国」 *20 p59
「有翼 円盤から上半身を出したひげ面の人物」と、この人物を亡き王の精霊と見る歴史家がいることと、、著者はアフダマスダ神の象徴とも書かれていますが
3つの写真を見比べてください。鳥の足にしては長く、右上の写真からは足では絶対ないのがわかります。左の貨幣も2匹のへびに見えてしまいます。
時代背景 
①紀元前6世紀末。   1848年ローリンソンの筆写
②紀元前5世紀     ペルセポリス、トリピュロンの東門部分浮彫り
③紀元前378~372年 タルソスの工房。パリ国立図書館メダル室(188番)
キュロス二世(前559~530年)の即位に始まり、
ダレイオス三世(336~330年)にアレクサンダー大王によって敗れた
この本が取り上げる ペルシャ帝国の時代を通して この紋章がつかわれてきたことが解ります。


引用
*20「ペルシャ帝国」 
 ピエール・ブリアン著 小川英雄監修 創元社 より
写真および説明文  (p6)(p22-23)(p59)

ペルシャ帝国のペルシャ人の信仰する最高神「アフラマズダ神」があります。
ペルシャ帝国といえば上記の紋章がでてきます。
 私にはどうしても 羽根の下の ピロロ~と伸びたものがへびに見えるのです。



エジプト プトレイマスの碑文
碑文はステラを捧げたブキスの生まれ変わりの牡牛がプトレマイオス王の治世25年目(BC181年)に死んだことを伝えている*21
  
参考文献
*21『古代エジプト文化 と ヒエログリフ 〈新装普及版〉』
著者:ブリジット・マクダーモット 
日本語版 監修:近藤二郎 翻訳者:竹田悦子 産調出版 
写真 (p18) 説明文 (p19 右の段 21行目-27行) 

 上記写真をご覧になって へびに思えたのは私だけだったでしょうか・・・。
エジプト プトレイマスの碑文にはペルシャの紋章のような図があります。しかも太陽の両隣には コブラ らしきものが。


この紋章から関連付けるのはちょっと強引かもしれません。
が、へび らしきものがある この時点で 疑うべきである・・・。

 現時点でヘビに関するものをペルシャの遺物から見い出せませんでした。

ペルシャ帝国とヘビの関係はわたくしのまったくの想像です。
でも 玄武に見られる亀にヘビが巻き付いている様子と 同じようにペルシャの紋章の鳥にヘビが巻き付いていると考えた場合 との類似点をどうしても捨てきれないのです。

先に 古墳時代で 玄武を調べてきましたが、どうも玄武とインドの世界観図が似ていると見てきました。
そして 玄武が採用されるにあたって長江文明の民族の一つ 楚の民族を結び付けました。
長江文明は 青銅器など高い文明を持っており黄河文明とともに世界4代文明とされつつあります。
また 長江は日本のイネ ジャポニカ米の発祥の地ともされています。
ちょっと 蛇と離れてしまうようですが、インダス文明は インダス川の氾濫による肥沃な土壌を利用した氾濫農耕を行い小麦などの生産をしていました。
エジプト文明も ナイル川の氾濫農耕に特色がありました。
一見 蛇と無関係かもしれませんが へびは 農耕の神様とされてきました。
そういったことからも関連性があるのではと考えております。

 ペルシャのゾロアスター教 太陽(光)・火を崇拝する民族がイスラム教の迫害を受け インドに移住した事実 インド=アーリア人=ゾロアスター教 と言う事実からも
 
 ペルシャの紋章にあるへび はインドに入った ということが言えるのではないでしょうか。



ペルシャ帝国のへび まとめ

 ◎ペルシアの最高神 「アフラマズダ神」 にへび
 

四、 エジプト文明 の中のへび
ツタンカーメン黄金のマスク
 ツタンカーメンの黄金のマスク 前14世紀
少年王トゥトアンクアメン王の黄金のマスク
純金製で目の周りと眉にはラピスラズリが、他の部分には色付ガラスと紅玉髄が象眼されている
  (カイロ エジプト博物館蔵)



ご存知ナイル西岸「王家の谷」で発見された黄金のマスクですが、神殿の門前等にも見られる額の守り神であるコブラ(蛇)がついています。

 まず エジプトといって思いつくものが 
ピラミッド と この黄金のマスクではないでしょうか。
そして ツタンカーメンのマスクの額に コブラがついていることも
知っている方のほうが多いと思います。

 このエジプトの項では エジプト文明の 上エジプト・下エジプトが統一されてから
クレオパトラの時代にローマ帝国へと統一されるまでをエジプトと考え
王の証として 額につけられていたヘビのマークを 時代ごとに
また 壁画などに表される 「へび」 を探してみました。
そして このエジプト文明の「へび」がどこに行くのか 「へび」といった象徴が
世界の歴史の中で流れていくのか 
・エジプトとへび (この貢)
・スフィンクス
・ファラオ(王)の額に付く ウラエウスの蛇(コブラ)
・エジプト文明 と 考察
といった ページの流れで ご覧いただけたらと思います。


 
① 壁画や遺物における へび
 ここではまず 壁画などに見られるへびを時代を古い順に見てみたいと思います。
ロータスから生まれた蛇
ロータスから生まれた蛇 写真:仁田三夫  *22
原初の海洋から芽を出したロータス(はすの花)のつぼみから蛇の形をしたホルスマタウイ神
(上下エジプトの統一者ホルス)が生まれた。
前1世紀。デンデラのハトホル神殿の浮彫り
*22 週間朝日百科 世界の歴史7 B-43 写真より

前3000年前のエジプトは、ナイル川の上流と下流とに2つの国から
成り立っていた。原初の海洋とは、世界ができる前の海水だった頃を
いいますが そのホルスが蛇の化身?象徴だったのでしょうか? 
ホルスというと隼
(はやぶさ)の頭をしていたりハヤブサそのものの像として
残っていますがどういうことなんでしょう?
この写真をブラウン管や、当時から原子力があったといったことを唱える方も
いるようですが 皆さんはどう感じられますでしょうか? 
でも確かに 蛇がいます!




太陽神 ラー・ホルアクティ
 「太陽神 ラー・ホルアクティと西方の女神ハトホルが王妃を迎え入れている。~中略~ウラエウス・コブラが囲む日輪を頭に載せた西の地平線にいる太陽神である*23
出展
『古代エジプトの壁画』 著者 仁田三夫 村治笙子 岩崎美術社 1997年
写真はP17図16より *23( p. 17 2行目 - 6行目) 



蛇王の碑
初期王国時代(第一王朝)
紀元前3188年ごろジェセル王が、首都をメンフィスに置き 初期国王時代(第1・2王朝)が始まります。

蛇を意味するジェト(ウァジイト)王の、儀式用墓の入口に建立された石碑の上部に王朝の神ホルスがセレク(軍旗)の上に止まっている

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P52 より


蛇のヒエログリフは、王名をあらわしている
(ヒエログリフとはエジプトの遺跡に多く見られる神聖文字)



アポピを退治するアトゥム神
(*23 P13図13)
新王国時代(第19王朝)
 ラメセス一世(前1295-1294年)王墓
 『アポピを退治するアトゥム神』

「アポピ蛇は太陽神の天敵だった。ここには大蛇アポピを追い払おうとするアトゥム神が描かれている。~中略~闇と悪の象徴アポピは太陽神に退治されても翌日生き返って再び太陽神の前に現れた。王墓の玄室に描かれた『門の書』の一部。」(*23p. 13 15行目 - 20行目)

出展
*23『古代エジプトの壁画』 著者 仁田三夫 村治笙子 岩崎美術社 1997年
写真はP13図13より ( p. 13 15行目 - 20行目) 



セティ1世の墓の壁画
新王国時代(第19王朝)
セティ一世の墓、未完成の壁画。

王権を象徴する2匹のウラエウスコブラには、上エジプトを表す白冠(左)と下エジプトを表す赤冠(右)が載っている。

*24「古代エジプト文明の謎」 監修吉村作治  光文社  P102 より

セティ1世はラムセス1世の息子 セトの名を冠したファラオの即位は久方ぶりの出来事で、セト神信仰の復活を象徴する出来事でもあった




ラメセス6世の墓
新王国時代(第20王朝)
ラメセス6世(前1141年 - 前1133年)の墓


太陽神の小船での下界の旅。太陽神は雄羊の頭をもつ姿で描かれている。ラメセス6世の墓、新王朝時代、テーベ西岸、王家の谷(*25 写真および説明文 P280)
「死者の書
トトメス1世の治世において、王家の墓としてのピラミッドの形式は捨て去られた。そして宗教の呪文と同じように「民主化」され、非常に規模を小さくした形で、王族でない人によって利用された。~中略~ 伝統的な宗教的文章は、いくつかの異なる「書」のかたちで表現されるようになった。~中略~そのいくつかは王の墓を飾るためだけに使われ、太陽神ラーの夜の旅という共通したテーマを持っていた。ラーは太陽円盤を頭に乗せて運ぶ、雄牛の頭をした人間として描かれていた。死んだ王は、ラーの小舟に乗って旅をし、下界の十二の地域を通過してそこに住む住人に光をもたらすと考えられていた。朝になると、太陽は東の地平線に再来する。それは死んだ王もまた生まれ変わり、もう一度存在することになるということを保証するものであった。」(*25 p.280 - p.281 5行目) 

引用
*25 『図説 古代エジプトの女性たち』 著者:ザヒ・ハワス
訳者:吉村作治・西川厚  ㈱原書房  1998年
 (p.280 写真および説明文) (p.280 - p.281 5行目)

 このラメセス6世の墓における 書にかかれている内容は上記引用文の通り、死んだ王がラーの小舟にのって下界を旅するわけです。 見えにくいかもしれませんが真中の雄牛頭の人間として描かれた ラー のもつウアス杖(統治の象徴)の右側に 太陽 と 太陽に登って行くような蛇の絵  そして、それらを囲むように とても長いぐにゃぐにゃのヘビを見ることができます。 輪廻・生死を表す ヘビがまるでラーを守っているような、導いているような絵です。 この上の段にある「大蛇アポピを追い払おうとするアトゥム神」との説明と矛盾があるように感じる。
左図はよく見ることができる王権の証「ウラエウスのコブラで囲まれた赤い日輪」。 太陽をラーとするならば ラムセス6世の墓にあるようにラーをへびが囲んでいるような図式になりそうですが でも 上記ヘビは コブラじゃなくて ヘビ(大蛇アポピ?)のようです。
 「大蛇アポピを追い払おうとするアトゥム神」の壁画は 「門の書」であり、怪物に守られている下界の十二の門を描写しているもので このまま死んだ王 ラー が、旅をしていくと 十二の門の番人 大蛇アポピ と にょろにょろヘビが「こんにちは」 「どうぞお通りなさい」 といった会話が成り立ちそうですね。  この著書には 第19・20王朝 では、それ以前のテーマに新たな変化が付け加えられたとアルが 時代的なつながりがあってない気がしてエジプトの人々がヘビをどのようにとらえていたのか まだ見えてこない。 
 この壁画のラーは、 にょろにょろヘビは、  闇と悪を表しているだろうか。
 それでは アトゥム神は、なにしにいったのだろうか?
 最後にこの著書から 女性だけでなくエジプトの人の生活を詳しく知ることができます。ただ個人の宗教を見てもハトホル・トゥエリス・べスといった家庭や子供にかかわる神を崇拝していたようでヘビに関しての記述をみることができませんでした。




 
翼のあるコブラ
第22王朝(BC925~712年)に遡るアンクエフエンコスの棺に描かれたもの

「翼のあるコブラ。これは、コブラの姿をした下エジプトのウアジェト女神と、その妹で、ハゲワシの姿をした上エジプトのネベクト女神の特性を合わせたもの。この一対は、しばしば王の守護者として描かれる」*26
参考文献 
*26 『古代エジプト文化とヒエログリフ 〈新装普及版〉』
著者:ブリジット・マクダーモット 
日本語版 監修:近藤二郎 翻訳者:竹田悦子  産調出版
(p.3 まえがき左挿絵)




ハドリアヌス帝の門にあるナイルの増水の源を表すレリーフ
近くのビジャー島の洞穴から水が溢れ出している様子が表されている
*27「古代エジプト文明の謎」 監修吉村作治
                  光文社  P13
◎アスワンの南8kmの所にあるアスワン・ダムとアスワン・ハイダムとの間にあったフィラエ島は、この2つのダムのために水没しました。 このフィラエ島にあった「エジプトの真珠」と呼ばれるイシス神殿は水没から免れるため1970年代に近くのアギルキア島に移されました。
 このイシス神殿の北西に位置するところにハドリアヌス帝の門があります。ハドリアヌスはローマ帝国の皇帝ですので ローマ帝国時代と交流のあった頃のヘビではないかとおもわれます。『物語 古代エジプト人』 著者 松本 弥 ㈱文藝春秋 中でこのレリーフを『古代の人々は実際にはナイル河がはるか南から流れてきていることは知っていたが、信仰においてはアスワンの急流域の岩の洞窟に居ますハピがナイルの若水をもたらすと考えていた。』  と述べている。 中央のハピはハピ神であり、ナイル河の毎年の増水を「ハピの到着」として人々は喜びエジプト全土 またアスワンやその北方での信仰は特に厚い。

 ハピ神をみるとロータスの花を頭上に乗せている姿であり ふくよかな体と多くの供物で表されることが多い。 ハピ = 水〈ナイル川) といったイメージで ハピ=ヘビといった描かれ方はされていない。 ただ  「へび=水」ということは断定できるのではないでしょうか。




補蛇足 : 壁画の手法と 日本画
 「エジプトの顔料は有機物ではなく、鉱物が原料であった。赤、黄色といったアースカラーは焼きアンバーや酸化鉄から作られた。赤に色合いがあるのは、微量のマンガンのためである。黄色には水和した酸化鉄や黄土が用いられた。青や緑は銅や孔雀石、アジェライトを合成して作られた。時には、こういった鉱物にカルシウムや石英、その他の二酸化珪素からなる物質が加えられ、できたガラスが、微粉状にされる事もあった。~中略~結合剤には地元のアカシアの木からとれるアラビアゴムが使われた。」(*28 p.31 11行目 ~ 44行目)

*28『王妃ネフェタリの墓 -古代エジプト文明の粋ここによみがえるー』
著:ジョン・K・マクドナルド
J・ポール・ゲッティ美術館 ゲッティー保存研究所
訳:竹内 智子
発行:2000 ミュージアム図書





エジプト文明 壁画ののへび まとめ

 ◎初期王国時代(第一王朝)紀元前3188年 以降 良きも悪しきもへびが見られる。しかも初期王国時代の王は へびを最高神のごとく崇拝していたようである。

日本画とエジプト壁画の類似点
顔料 接着剤(メディウム)
エジプトの壁画 鉱物 アラビアゴム
日本画 鉱物 膠(にかわ)
 紀元前2000年ごろのエジプトには顔料を乾性油で溶き油絵の原型を作り出していたが、鉱物をメディウムになじませて描く手法は エジプトの壁画、中国吉林省・集安の高句麗壁画古墳群の壁画、日本の高松塚古墳およびキトラ古墳であり、 玄武のへびを調査した流れと結びつける事ができる。 特徴的な手法である。 
  



② ウラエウス と ヘビ
ここでは 王の証として 額につけられていた
ヘビのマーク (ウラエウス)を 時代ごとに探してみました

ジェデュエフラー王の頭部
第4王朝
ケオプス王の兄弟ジェデュエフラー王の肖像で、ネメス頭巾をかぶり額にウラエウス聖蛇がついている。

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 
   日本放送出版協会 P54 より



センウセルト一世坐像(カイロ博物館蔵)
中王国時代(第12王朝)

身体部および顔貌にいたるまで類型化されアカでミスムの代表的様式を示す。

こちらにもウラエウス聖蛇

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 
  日本放送出版協会 P168 より



トトメス三世立像 (カイロ博物館蔵)
新王国時代(第18王朝) 

第18王朝6代目のファラオ「エジプトのナポレオン」とも言われ軍事的偉業、周辺祖国への遠征エジプト史上最大の帝国を築いた事で有名。



写真は
「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P168 より



ツタンカーメンの黄金のマスク 
ツタンカーメン黄金のマスク
第18王朝  紀元前  14世紀
少年王トゥトアンクアメン王の黄金のマスク
純金製で目の周りと眉にはラピスラズリが、
他の部分には色付ガラスと紅玉髄が象眼されている
  (カイロ エジプト博物館蔵)



ご存知ナイル西岸「王家の谷」で発見された
黄金のマスクですが、神殿の門前等にも見られる
額の守り神であるコブラ(蛇)がついています。



ハトホル女神とホルエムヘブ王
第18王朝  紀元前  14世紀
ツタンカーメン王時代に将軍として活躍したホルエムヘブが、老王アイの死後、王位についてから「王家の谷」に用意した墓の壁画(*23 写真図1 共 p. 3 3行目 - 6行目)
左 ハトホル女神
ハトホルの名は「ホルス神の館」という意味で、愛と音楽を司る女神だった。~中略~頭上に女神の聖獣である牡牛の角を載せており、角の間には王権の象徴のウラエウス・コブラで取り囲まれた赤い日輪が置かれている。」(*23 p. 4 2行目 - 10行目)

*23 『古代エジプトの壁画』 著者 仁田三夫 村治笙子 岩崎美術社 1997年
写真はP2図1より (p. 3 3行目 - 6行目) (p. 4 2行目 - 10行目)



セティ一世とハトホル女神
新王国時代(第19王朝) 
右がセティ1世、左ハトホル女神 この時代も18王朝時代の影響を濃厚にとどめている

二人の額・ハトホルの耳飾・セティの腰の前飾にもコブラ(蛇)を見ることができる。

写真は上部のみ抜取
王家の谷の王の墓の方柱を飾っていた浮き彫り

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P50 より



ラムセス二世の坐像
新王国時代(第19王朝) 

第19王朝のファラオ ラムセス2世はエジプトとヒッタイトと平和条約を結んで休戦し、世界史で最初の平和条約を結びヒッタイト王女を王妃に迎えた。

アブー・シンベルの岩窟神殿・カルナック神殿や、戦勝碑など、多くの建造物を残している。

写真は「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 
  日本放送出版協会 P170 より



ラムセス4世のシャブティ
シャブティ(副葬の小人形)
第二十王朝時代
死者が来世で、農作業に呼び出される際、この人形が代わりに応じるとされ副葬されたもの (シャブティとは、死者の名前を記した人形)
王様も 死後労働に従事しなければいけませんでした。

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P46 より

額にを見ることができます。



アメンエムイネト(ナクトコンスイル)の木棺
アメンエムイネトの木棺
第21・22王朝時代  
上エジプトがテーベ(王家の墓)のアメン神殿の大祭司の支配下にあった当時の一連の棺にはかつて見られなかったほどの装飾が施されました。

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」
   日本放送出版協会 P35 より

オシリスの遺体の象徴や、神々の姿が描かれ
この木棺の腰のあたり・みぞおち辺り・心臓に
 コブラ(蛇)の絵が描かれています。



神妻カロママ立像
神妻カロママ立像
第22王朝(末期王国時代)
「アメン神の聖なる妻」である高位の女神官カロママの青銅像 時代が進むにつれ美的にも優れた工芸品が作られているがその代表的なものがこれである。
カロママは王家の出身者で、シストロン(古代エジプトの儀式用楽器)を手にし、隅々まで細かな金の象眼が施されている。
額にはコブラというよりである

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P62 より



イシス女神と、ネクタネボス二世の浮彫り
第30王朝
セラピス神殿入口の支柱をなしていた壁面の浮彫り。
左イシス神は、禿げ鷹のかぶり物をしている。
右ネクタボリス二世は、白冠をつけたファラオ(君主)。が、女神イシスから保護を受けている様子。

浮彫り上の神聖文字がヒエログラフ・で、下の像の向きと写真上の矢印→←で示すように文字が。肖像と同じ方向で現されている

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」
    日本放送出版協会 P54 より
第30王朝のネクタネボス2世にも 額に蛇が



クレオパトラの頭部像
紀元前 51年 
エジプトに残された クレオパトラ七世の物と言われている彫像 (アレキサンドリア博物館)

「NHKルーブル美術館 Ⅰ」
    日本放送出版協会 P54 より
ここにも 蛇が見られます。
この像がいつの時代に造られたものか調べてはいませんが、紀元前3000からクレオパトラの時代ローマ帝国に統一されるまでの長きに渡って 額のコブラが王家の証とされていたことがわかりました。




スフィンクスの額の蛇
古王国時代
ギザのスフィンクス
カフラー王の顔を刻んだもの。
両前脚の間には、後第18王朝のトトメス4世がささげたスフィンクスの「夢のお告げ」の石がはめ込まれている。
中王国時代
タニス出土のスフィンクス
ライオンの身体に人間の顔を持ちネメス頭巾に聖蛇ウラエウスが飾られている。
アポピ・メルエンプタハ・シェションクなどの諸王が我が物と名前を記している
新王国時代
メンフィスのアラバスター製スフィンクス

スフィンクスは、太陽が昇る地平線と沈む地平線の、「二つの地平線上のホルス神」として敵を見張り、威嚇する王者の姿であると言われています。

上2つのスフィンクス共に王の像でもあり
  額にウラエウス聖蛇をつけています。
「NHKルーブル美術館 Ⅰ」 日本放送出版協会 P54 より




③王権の証
ウラエウスのコブラで囲まれた赤い日輪
 
実際 この絵が描かれていた神を調べてみようと思います。

見れば見るほど ヘビの△△模様といい 銅鏡(日本の鏡)に見えてしまう・・・。

日輪だけの女神は省き コブラと日輪の 「王権の証」といわれる 歴代の神を下の図のようにまとめてみた。 下記にも記しているが その時代の大まかにあった出来事との関連性を見ていただきたい 。
ラー神

太陽神 ハヤブサ頭の男性の姿 ・先史時代   下エジプト南部 ヘリオポリス(古代名オン)
・古王国時代 第2王朝 王の名にも「ラー」の神名が入る
・         第5王朝 ピラミッド以上に重要視 王名に「太陽神ラーの息子」
・中王国時代以降  アメン神やラー・ホルクアティ神のように習合された    
メンチュ神

戦いの神
太陽神と同一視
ハヤブサ頭の男性の姿
2枚の聖なる羽
先史時代  上エジプト付近アルマントの軍神 敵の神々を打ち破り信仰される
・中王国時代 第11王朝 メンチュへテブによって守護神化
セクメト女神(セヘト)
「力強き者」


ラーの天空での敵を滅亡させる神 雌ライオン・雌ライオンの頭部 ・メンフィスの三柱神(夫・プタハ神/息子ネフェルテム神)の1つ
・新王国時代 テーベの三柱神のムト女神と同一視
 
〇魔術・医療面の力を持つ神
ハトホル女神
「ホルス神の家」


「太陽神の眼」として敵を排除する守護神
太陽神
雌牛の角 ・先史時代  下エジプト ムト女神のように太陽神の母・すべての神の母

〇舞踊の神、鉱山の守護神、諸外国の女主人、冥界の女主人
ヘカウ女神「大いなる魔術者」

*29
死者の目を開く儀式に関係ある神 雌ライオンの頭部・
コブラの頭部
〇「死者の書」に記されている死者の目を開く儀式に関係のある神格と思われる
バステト(バスト)女神

*29
慈悲の女神 雌ライオン・
猫の頭部
・古王国時代 下エジプト 雌獅子の頭をもつ守護神
・中王国時代 ブバスティス中心に信仰があった猫の女神
・新王国時代 第18王朝 セクメト女神と同一視

〇夫バテストはヘル(ホルス)の変形

参考HP様
*29
『みるみるさんのページ』
(ヘカウ女神イラストと説明) (バステト女神イラストと説明)
 
http://homepage1.nifty.com/mirumiru-b/o-03.html
http://homepage1.nifty.com/mirumiru-b/(トップページ)




 エジプト文明は長い。
 紀元前30000年ころ 古代エジプト時代の祖先が移入し、紀元前5000年ごろの先王朝時代には農耕が始まり紀元前3500年上下エジプトが統一し古代エジプトの歴史が始まる。

上下エジプトが統一されることに始まり、
古王国時代    神王の王権が確立
第一中間期    中央集権が崩壊
中王国時代    クーデターがおこる
第二中間期    下エジプトに異民族ヒクソクが王朝を起こす
新王国時代(前期) テーベの王がヒクソクを駆逐、西アジアへ遠征し、領土拡大
アマルナ時代    神官と対立、宗教改革。
新王国時代(後期) 宗教改革が失敗。
第三中間期     クシュ(ヌビア)(エジプト南部スーダンのあたり)エジプト統治
末期王朝時代    アケメネス朝ペルシャのカンビュセスが征服
             その後 独立・再征服
プトレイマス朝   マケドニア・アレクサンドロスの征服
            アレキサンダー大王の死後 プトレイマス即位
紀元前30年    クレオパトラ7世 自殺


末期王朝のアケメネス朝(ペルシア)による支配・ギリシャ人によるローマ支配時代まで そこまでのエジプト文明 約4000年 どこから手をつけていいのか 非常に難しい。

しかしざっと流れを追ってみても 他国の侵略や内乱等もけっこうあったようです。
 
歴代のファラオの像にあるウラエウスを見てみたが、どの時代もコブラがいる。
それではと思い 「コブラで囲まれた太陽」の神を見てみる。 時代によってエジプト国内においても 民族の違いやどの時代にどの神を崇拝するか見えてくるかなぁとも思いました。 
 どうやら 先史時代以前の神を その時代時代の王が神の化身という立場をとったり 戦に強かったからとかいった性格的な面などから神を引っ張ってきて統治の正統性を確立することに、 民衆や有力者を納得させてきたように感じます。 
  先史時代から滅ぶまで 「コブラで囲まれた太陽」〈ウラエウス)の神の図においても、それ以外の神も姿を変えたり、他の神と同一視されたり・・・。 かわるがわる 時代を通して崇拝されている。
 これは、先に見てきたインドにおける シヴァ神などの崇拝のされかたに似ている。
 ウラエウスも 通して 歴代の王の像に見ることができる。
逆にいえばそれだけ へびというものが 民衆・民族に支持されていたことともとれます。
それだけ強く支持されているものが エジプト時代が終わるとともに へびへの思いが薄れていくものとは思えない。

 エジプトのへび と言って次に目にするものに ヒエログリフがあります。このヒエログリフになぜ へび が居るのかそこから民族の流れを知る糸口になるのではないだろうか。




エジプト文明 王権の証・ウラエウス まとめ

 ◎エジプト文明 歴代の王様にウラエウスを見る事ができる。エジプトではへびが王の証なのである。
  


④ ヒエログリフのヘビ
Ⅰ ヒエログリフとは

 エジプトの壁画に記される絵文字ヒエログリフは、日本語と非常に似た表現方法、仕組みとなっております。
 ◎表音文字である1子音文字は ひらがな、カタカナであり、
 ◎表意文字である絵文字、象形文字は 漢字にたとえられ
 ヒエログリフも 同じように表意文字、表音文字の組み合わせて文章が成り立ちます。
 ◎送り仮名に当たる表記の仕方もします。


 表音文字として多用される1子音文字(ヒエログラフのアルファベット)は全24種でその中にヘビを表す絵ががなんと2つもあります。 イングリッシュでいうアルファベットA~Zの中に蛇の形をあらわしたものが2つあるようなものです。 
ヒエログリフ (1子音文字)
〔ヒエログリフのアルファベット〕
文字の説明
意味
エジプト学表記法 カナ転写*5 ラテン文字転写
角の生えた毒蛇
(クサリヘビ)


「彼は」「彼の」「彼に」
フェ、

*注1
コブラ

「王」
ジャ、ジェ、
ジュ

*2
dj

*5 カナ転写(法)・・・外国語の固有音に配慮しつつ日本語の固有な音に置き換えること
*注1 wikiでは フェ・フ /
     ヒエログリフを書いてみよう呼んでみよう 松本 弥(白水社)では 英語のfと同じ発音

*注2 wikiでは ジェ・ジュ /
     ヒエログリフを書いてみよう呼んでみよう 松本 弥(白水社)では ジャ・ジュ・ジョ

動物の向きによってどちらから読むか判断します。
 たとえば上記 クサリヘビの絵と、コブラの絵はそれ1つでもそれぞれ”クサリヘビ””コブラ"と意味を持ちます。またアルファベットの意味も持ちます。 動物の向きはというと向いてるほうから読んでねということです。
 そういった絵文字ヒエログリフが約6000を超えるくらいあるんです。




「決定詞」 ・・・  単語の最後についてその単語に意味を決定するものです。
文字の説明 意味      
1子音文字K(把手付きの籠)の上に コブラ 女神・王女
 たとえば 日本語でいいますと、 橋と箸 柿と牡蠣 は読み方が一緒です。はしとはし かきとかき では読めたとしても 意味が伝わりにくいですね。 そんな時の為”はし+橋を表す絵” ”はし+箸を表す絵” と単語の最後に付け意味を明確にするのです。 詳しくは表記礼でも。




 
Ⅱ ヒエログリフ 表記例

『初期王朝時代から、コブラはすでに王、太陽、下エジプトの王国と結びついていました。エジプトの統一後、コブラは、王の「二女神名」nbty/ネブティにおいて、ハゲワシの女神ネクベト(上エジプト)の姿と並んで蛇の女神ウアジェト(下エジプトを表すもの)の象徴とされました ~中略~ 鎌首をもたげたコブラ ━ のちに古代ギリシャ人がウラエウスと呼ぶ ━ は、しばしば王冠の上に守護神として描かれました。』*21 
hf3w/ヘファウ ()った麻布(h)に角蛇(f)、声門閉鎖音3、ウズラの雛w。蛇の絵文字は決定詞 
t/セジェト たたんだ亜麻布(s)にコブラ()とパン(t)で、sdtのつづりを表す。火鉢の絵文字は決定詞
参考文献 
*21 『古代エジプト文化 と ヒエログリフ 〈新装普及版〉』
著者:ブリジット・マクダーモット 
日本語版 監修:近藤二郎 翻訳者:竹田悦子  産調出版
 (p.29)
 *蛇の表記 (p.35) 炎の表記 (p.43)


◎漢字における 構成の仕方の類似点を挙げてみたいと思います
巳・虫・它 もすべて 蛇の象形文字からきている点は先に見てまいりました。
  
  そうです  蛇という字 が
 
  虫
(マムシを意味する)   +   它(へびを意味する)を加える 
   ことにより意味を明らかにする。

  上記ヒエログリフ 蛇 を意味するものに
  
(へびを意味する)  +   (へびを意味する)
  
  この時代 エジプト文明においても へびは身近で重要な存在であった
 その身近な蛇を普段使用する アルファベットに使用しているため
 蛇の絵文字 をたし、 表記している。

 ◎
ちなみにエジプトのこのヒエログリフには 漢字にあるような 仮借(かしゃ)というひとつの文字で別の意味を持つ表し方をします。 (漢字との類似点) 




Ⅲ ヒエログリフ 特徴
 ヒエログリフにはアルファベットの要素があります
 ヒエログリフは象形文字や絵文字ではなく、基本的に音を表す文字なのです。英語のアルファベットと似た仕組みを持っています。『古代エジプト文化 と ヒエログリフ 〈新装普及版〉』著者:ブリジット・マクダーモット 日本語版 監修:近藤二郎 翻訳者:竹田悦子 産調出版 の中で
『ヒエログリフは、それがどんなに写実的に描かれたものであっても、そのものの意味を表すことはめったにありません。カタカナや平仮名、英文のアルファベットのように、音を表す文字がほとんどで、1文字1文字の形に惑わされないようにすることが肝心です。
ヒエログリフには約6000種類の文字があるといわれていますが、そのうち頻繁に使われているものはごく限られています。その中で1文字で1子音を表す、そのもっとも基本的なヒエログリフのアルファベットといえる文字が26文字あります。』(p19 2行目~9行目)*21とあります。また、もうひとつの特徴として、文字の表記法に母音が無いということがいえます。次に発音と母音の無い文字を考えてみます。




Ⅳ ヒエログリフ 発音
 ヒエログリフの表記と特徴にについてみてきましたが 発音はどうだったのでしょうか 『ヒエログリフを書いてみよう読んで見よう』-古代エジプト文字への招待-
著者:松本 弥 発行所:㈱白水社 2000年(*30) 
では、
『ヒエログリフで、記された古代エジプト語ですが、実はヒエログリフには母音にあたる文字がありません。私たちの使っている日本語で言うなら「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」が母音ですが、ヒエログリフにはその母音が無いのです。
 そのため、子音の連続であるヒエログリフはそのままでは発音が出来ません。実際、ヒエログリフの発音については、正直なところ当時の人々でしか知りようがない、というのが現状なのです。ただそれだけではヒエログリフの文字について研究したり学習したりするうえで非常に困難を伴いますので、研究者の間で次のような約束事を設けました』(*30  p.51 2行目-10行目)
とあります。 
 当時の人でしか知りようが無いのでは民族の流れを調べようがありませんが手がかりとしてあげられる、 母音の無い表記法をする文字 との関連性から つながりを探ってみたいと思います。

 母音の無い文字としてあげられるもの

 ◎エスペラント文字 ・・・1887年、当時ロシア領だったポーランドのユダヤ人眼科医ザメンホフ(L.L. Zamenhof)が提案したもので、民族の言語や文化をその歴史的遺産として尊重し、大切にすると同時に、それぞれの言語や文化の違いを越えて人々がコミュニケーションできるようにするために橋渡しの役目を果たすことを目的とした文字ですが、最近のものです。ただこのエスペラント文字を提案した方がユダヤ人ということが興味あります。

 http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/espj.html 
(エスペラント)
 http://www.sal.tohoku.ac.jp/~gothit/gothitj.html 
(後藤斉のウェブサイト様)
 
 http://www.jei.or.jp/ 
(日本エスペラント学会)

 ◎ペルシャ語・アラビア語
  ペルシャ文字もアラビア語と同じく
  アラビア文字 ・・・文字は子音のみを書く。ヘブライ語などとともにセム語族に属す格や性、数などの概念があるのでインドヨーロッパ語族との関連性が指摘されています
  
  
  古代ペルシア語 … 古代ペルシア帝国(アケメネス朝)の公用語の一つ。
  中世ペルシア語 … サーサーン朝頃に使われた。アラム文字から派生したパフラヴィ文字(中世ペルシア文字)を用いた。
  ・現在のペルシャ語はアラビア語からの借用語が非常に多く、その形態は古代ペルシア語とはかなりの断絶がある 中世ペルシャ語も古代ペルシャ語の直系であるが名詞や動詞の活用などは著しく簡略化され、発音、文法に関しても近世ペルシア語にはるかに近い 

  ヒエログリフの発音から エジプトの民族が ペルシャに入った可能性が非常に高いことが言えます。



◎表音文字を日本語読みしたときに 
コブラは J音・・・「ジェ」・「ジュ」と読む。まるで「ジャ」 (じゃ)では!!
クサリヘビは F音 (Hじゃないけど) 「フ」 と読む
「へふぁう」→ 「ふぇび」→「へび」と成るかは分かりませんが
 富士山だって ”FUJI” でしょ。 は行で素直に書けば”HUJI”だもん。

 へびを表す表音文字の読み方に注目したとき 日本のへびの読み方に関係がありそうな気がする



Ⅴ ヒエログリフ まとめ
 ペルシアの紋章 ・ヒエログリフから このへびを崇拝していた民族が ペルシアに入っていったことを考察しました。ではこの文字はどこから来たのでしょうか、
『BC3000年ごろ、エジプトとメソポタミアなど近隣諸国との交易が盛んになるにつれ、、異文化とのかかわりも増えました。メソポタミアのシュメール人は、一種の象形文字を使っており、学者らは長年、この体系がエジプト象形文字の基礎になったのではないかと考えてきました。ところが、近年の発掘調査により、エジプトはメソポタミアより数百年早く象形文字を持っていたことが判明しました。
 文字にかかれたエジプト語として現存する最古の例は、BC3250年ごろのものです。最初、象形文字は主として王家の財宝を記録するために使われましたが、 ~中略~ BC323年のアレクサンダー大王没後、エジプトを支配したギリシア人は、この文字をギリシャ語で「神聖」を意味するhierosと「彫刻」を意味するglupheから、ヒエログリフ(聖刻文字)と呼びました。ヒエログリフの文字体系はBC3000年代から三千年以上も使われましたが、4世紀にローマがエジプトを支配するようになると忘れられてしまいました。』(*21 p.12 2行目~28行)
引用
*21 『古代エジプト文化 と ヒエログリフ 〈新装普及版〉』
著者:ブリジット・マクダーモット 
日本語版 監修:近藤二郎 翻訳者:竹田悦子 産調出版


  わたくし自身、文明はシュメールから起こったくらいに思っていたもので、 ここではエジプトの方が早く象形文字を使っていたと書かれています。
 BC3250ごろ最古のものが 見つかったということですが エジプトの先史以前は 50000年もさかのぼることができ 今後もシュメール文明・エジプト文明とも 新たに発掘されることを期待します。

最初は 絵で表現していたものを  より簡素化させ 次第に難しい言葉や絵で表現しにくくなり象形文字が生まれたと考えます。
  (寿司・食べる) ・・・・ お寿司を口に入れる図 
  (へび・崇拝) ・・・・ へびに手を合わせる図  
  (寿司・食べたい) ・・・・ お寿司と指をくわえる図
↓↓
(ヘファウ)=蛇 の意味を持つ文字を 「f」にあてる。
コブラのことをジャといっていたかはわかりません が 「d」


といった様に 絵文字・象形文字が 次第に 表音文字になっていったんでしょうね。。

 そしてその約6000種類の文字の中から 表音文字24の中に ヘビが2つ含まれている。
 
どれだけ へびが好きな民族じゃい!! ということです。
 



エジプト文明 ヒエログリフ まとめ

 ◎ヒエログリフ6000文字の内 主要な表音文字(アルファベットに当たる文字)24種その中にへびを表す文字が2つもある。
 ◎ヒエログリフの表記法が 日本語の表記と似ている。漢字の構成法と似ている。

 ◎発音の仕方からエジプトの民族がペルシャへと移って行った可能性が高い
  



五、シュメール文明 のへび
①シュメール文明とは?
Ⅰ・地域
 学校の社会科の授業で世界四大文明 エジプト文明・メソポタミア文明・インダス文明・黄河文明と習った記憶があると思います。シュメール(シュメル)文明はその中のメソポタミア文明に含まれチグリス川流域にもっとも最初に栄えた文明で、人類最古の文明といわれています。




Ⅱ・民族
 紀元前9000年頃この地に東のイラン高原あるいはインドからシュメール人が移住して来て、農耕がおこり、これよりシュメール文明が始まったとされる。
 
 紀元前5000年頃にセム語系民族アッカド人(現在のアラブ人と一緒)がアラビアから入り、シュメール人との共生が始まったとされる。
 都市国家間の争いを経ながら紀元前2300年初めてアッカド帝国として統一国家が生まれる。
 グデア人やアモリ人の流入、セム系アッシリア人、アムル人によるバビロン王朝とさまざまな民族の流入や民族の国家がこのメソポタミア文化を形成するが、この地方でへびを崇拝しこの地方で文明を築く中心となっていたシュメール人をここでは追ってみたい。

 実のところ シュメール人の出自、系統、シュメール地方に渡来した時期も経緯も謎が多いく、その後シュメール人と呼ばれる民族がどこに行ったのかも謎が多く わたくしたちの興味は尽きることが無い。
 高楠順次郎氏の説から岩田明、太田龍、中丸薫などのシュメール民族中央アジア起源説の根拠としているようで崑崙山脈ホータンあたりを起源とし紀元前4500年頃この地に入ったとしている。
 しかし、標高の高い崑崙山脈があり、中国最大の氷河分布区域でもあるこの地に はたしてへびがいたかどうかは疑問である。崑崙から標高の低いところに出てきて、始めて見たへびに神を見たのだろうか? 私自身は海を渡り交易しやすいところだったと思っています。



Ⅲ・時代年表
紀元前 事項
  先史時代
9000 東のイラン高原あるいはインドからシュメール人が移住
8000 新石器時代
農耕開始
最古のトークン(文字の原型)
6500 いくつかの集落が発達
  有史時代
3500 楔形文字が発明された
3100 南部でシュメール人の都市国家が発達
2700 ウル、ウルク、ラガシュなどの多数の都市国家を形成
彩文土器や青銅器 暦は月の満ち欠けに基づく日付が使用
2334 アッカド王朝時代(~2154)
アッカド王サルゴンがメソポタミアを最初に統一して中央集権国家を造る
2200 グティ人の進入
2100 ウル第三王朝がウル・ナンムによって建てられメソポタミアを支配
2004 ウル第三王朝滅亡 エラム人の侵入
2000 古アッシリア (~1600)
1894 バビロン第一王朝 (~1595)
 「ハンムラビ法典」
1595 ヒッタイト王国 (~1190) 古バビロニアを滅ぼす
1500 カッシート王朝(~1155)
1400 アマルナ時代(~1340)
1200 「海の民」侵攻
1157 イシン第一王朝
1000 新アッシリア帝国時代(~609)
625 新バビロニア時代(~539)
550 アケメネス朝ペルシア時代(~330)





Ⅳ・発明の数々
 文字は紀元前3500年頃の楔形文字が出土しており、文字だけでなく天文学、灌漑農業、畜産、戦車(車輪)、陶工ろくろなど そして、現在のあらゆる宗教の源とも言われる宗教観 などなど 、多くの発明や革新をしてきたのが人類最古の文明”シュメール(スメル)文明”なのです。
 文字については、「第4章四節、エジプト文明 のへび」 で、エジプトの文字について記述してきました。 今後もエジプトでもさまざまな発掘が進められることと存じますが、 広く西アジア地域 シュメール文明ではなんと!! ”トークン”とい粘土製絵文字いわゆる楔形文字の原型となった物が起源前8000年という時代の物が出土しているのです。
「複合トークン」(多様な形のトークン)*31-P36
「トークンと古拙文字・楔形文字の比較」*31-P36
 小林登志子氏著『シュメル -人類最古の文明』 では、このトークンを「物の数量および種類を表すための道具」としてD・シュマント・べセラ研究者の説を紹介しています。
 この複合トークンもシュメルの都市ウルクで八割以上出土していることからもシュメル文明の素晴らしさを感じていただけるのではないでしょうか。
 ”へび”が、シュメール人の楔形文字でどのように表記されるのか、またトークンでどのような形状なのか今後調べることができたらいいなあと思います。




②文学 の中のへび
 シュメール語で書かれた粘土板は50万点以上にもなります。その中で多いのが行政や経済の記録です。また物語や文学が書かれた物の中に「へび」が出てくる物があります。著作物を通してからしか、わたくしはシュメール文明を知ることができませんのでほんの一部になると思いますが「イナンナの冥界下り」「エタナ物語」「ルガル神話」とも大まかなあらすじをわたくしなりに書いてみました。正しい内容は参考文献をご参照ください。
イナンナの冥界下り (シュメール出土の神話) (*32 -P23 訳:五味 亨)
 主人公である豊穣の女神イナンナは天界を求め冥界へをも思いを向けました。姉であるエレキシュガルの支配する冥界に下ることとしました。冥界での掟である七つ門をひとつくぐるごとに装身具を一つはずし、やがて素裸になりました。冥界も自分の場所と思ったのかエレキシュガルの王座に腰を下ろしました。とたんに、冥界のアヌンナキの裁きが下り、死をもたらす両眼で彼女を見つめた所、イナンナは死体となりました。イナンナの使者ニンシュブルは嘆き地上界に戻すため、神々のを巡りました。イナンナの父であるエンキはクルガルラ(泣き女)とガラトゥル(葬儀の歌人)に生命の水を与え、冥界に向かわせます。妊娠で床につき苦しむエレキシュガルの同情をかい、イナンナに生命の水をかけることができました。地上界に登っていくイナンナにアナンキ達はおしとどめ地上界に戻るためには代わりの人を、代理人を置かなくてはならないことを告げます。 地上界でイナンナの死をみな嘆いているなかで、夫ドゥムジは綺麗な服を着、イナンナの椅子に腰掛けていました。イナンナは怒り、代理人に夫のドゥムジをたてガルラ霊たちに引き渡してしまうのです。
 ドゥムジは泣き、「私の手を足を蛇にしてください!!そうすればやまににげれます。」とイナンナの兄で太陽神のウトゥに懇願します。その願いを受け入れドゥムジの姿ををサグカル蛇に変え逃げることができます。
 ガルラ霊たちはドゥムジを探し回り、姉ゲシュティアンナのところに行き、ひどいことをします。やがて羊小屋にいるドゥムジを見つけ最後には 冥界に連れて行かれるのでした。連れ去られた弟を探す姉ゲシュティアンナは諸国を放浪し冥界に降り、弟と一年の半分を交代で冥界に下ることとなりました。(弟は冥界の神に、姉は冥界の書記となります。)
エタナ物語 (アッカド出土 キシュ第一王朝13代目王の物語) (*32 -P232 訳:後藤光一郎)
 エタナ王は王位につき結婚するものの子供に恵まれませんでした。
そういった背景から物語が進んでいきます。
 嵐の神アダドの神殿の大木に仲のよいヘビとワシが住んでいたそうな。ヘビもワシもとても仲がよく太陽神シャマシュに友情を誓ったほどで、相手の食べ物の世話をするほどだったといいます。
 あるときワシが友情を破りヘビの子供を食べてしまいました。ヘビは嘆き太陽神シャマシュに哀願します。太陽神シャマシュは願いを聞き ワシを捕らえるための罠をしかけるアドバイスをします。
 まんまとワシを捕らえることができ穴に閉じ込めることができました。しかしそのとらわれたワシは「子宝の草」のありかを知っていたのです。
 子供に恵まれないエタナ王は太陽神に日参しお願いしていました。太陽神はヘビとの約束を破り、ワシが「子宝の草」のことを知っているとエタナ王に教えてしまいます。
 エタナ王は「子宝の草」のあるところに連れて行ったもらうためワシを救い出しました。
ワシの背に乗るのですが、目もくらむ高さにまで飛び上がりおじけ付いてしまい途中で断念してしまうのです。ワシは急降下し、しがみついたエタナ王とともに地上に落下してしまいます。
~ここで粘土板がとぎれるのですが~ 
 その後エタナ王には子供が授かったようです。
「エヌマ・エリシュ」 (メソポタミア各地で発掘された物を補完修正した物) 
 (*33 P73 13行目~P74 7行目)
混沌のなかから、巨大な蛇の化身ラームウ(男神)とラハウム(女神)が生まれた。
ラーウムとラハウムは、激しく絡み合って交合し、
聖なる夫婦神、アンシャルとキシャルを産んだ。
アンシャルとキシャルは、合体して天空の神アンを生んだ。
アンは大地の主エンキを生んだ。
アンシャルは、総領のアンを自分の姿に似せてつくった。
アンも、自分の姿に似せてエンキをつくった。
エンキは、彼の父祖の神々なかで、ひときわ優れていた。
エンキは広く開いた両耳を持ち、賢く、たくましく、
祖父神のアンシャルよりも力強かった。
仲間の神々のなかでも、エンキに並ぶ者はなかった。
「ルガル神話」「アンギン神話」(ラガシュ市 前22世紀ごろ) *33
 ニンウルタ神の英雄ぶりをたたたえた後本題に。
武器のシャルウルが、ニンウルタ神に「クル(山)で悪霊アサグが蜂起し”石の戦士ども”とともに都市を攻撃している」と告げる。
 ニンウルタ神はたちあがる。「11の勇士」とんぼ、竜、石膏、強き銅、勇士、六つ頭の野生牡牛、いなご船、サマンアンナ神、牛人間、王なつめやし、アンズー鳥、7つ頭の蛇を倒すが、悪霊アサグに息を止められ、人間どもは焼け尽くされ、樹木を倒し、ティグリス川も泥に埋もれた。敗北しそうなところをシャルウルがエンリル神の助力を求めニンウルタ神は呼吸をとりもどす。
 2回目の戦闘で悪霊アサグをたおし、ザラグ石という石に変える。
そして、ティグリス川の治水事業を行い、母ニンマフをニンフルサグ神(山の女主人)と改名し山を豊かにし祝福され、”石の戦士ども”の裁きをし、ニップル市に凱旋し父エンリル神から祝福を受ける。
 以上の文学にへびを見ることができるがこれらの文学からはシュメル人がへびを崇拝していたかどうかは解らない。
 へびに対して悪いイメージを持っていたともいえないようである。
 「イナンナの冥界下り」はWIKIにおいて「イナンナの子孫」という題名で同じような内容が掲載されている。
 また、学者が断片を集めて補完した物を岩田明氏が現代文風に翻案した天地創造の神話や、七つ頭の蛇の神話もその後のギリシャ神話や日本の記紀に影響を与えたであろう内容になっている。
 
 次に シュメール神話におもだって登場する神々を系図化し 解り易く見ていこうと思う。





③神々(ディンギル)の中のへび
シュメール神話 神々の系図
シュメール神話 神々の系図 における注釈
*1「エヌマ・エリシュ」岩田明著による
*2「エンキとニンフルサグ」WIKI
*3「エンキ神とニンマフ女神」岡田明子・小林登志子著
*4「イナンナの冥界下り」・「ドゥムジ神と、エンキムドゥ神」など各著
*5岡田明子・小林登志子著[シュメル神話の世界」ではエンリルとニンリルから、スエン・アシムバッバル神(ナンナ神(シン神))・ネルガル・メスラムタエア神・ニンアズ神・エンビルル神)が生まれたとしている。
*6「ルガル神話」ルガル王=ニンウルタ神で、元はニンギルス神。配偶神はバウ神。エンリルの臣下から子供の位置づけに。
*7「タンムーズ」・・アッカド神話より。 後にフェニキア人によって「アドニス」に




Ⅰ・大蛇 ラフム(ラーフム) ラハム(ラハウム)
 参考文献『筑摩世界文学全集 1 古代オリエント集』の「エヌマ・エリシュ」には(男)ラムと(女)ラハムという記述のみであるが、岩田明氏著やネット上でも大蛇の記述がある。発行が昭和53年なのでその後解釈や出土により変わったものと思われる。
 ラフムはアッカドの神話に登場する神で、アプスーとティアマトから最初に生まれた。兄弟であり夫婦でもあるラハムと共に、大蛇として神話中に登場する。


Ⅱ・地母神 ティアマト
 ラフムとラハムを造った神 地母神ティアマトは、怒ると龍に変身するようであるが、アッシリアのニネヴェの遺跡から出土した粘土板からの神話によると、龍になる描写は無く、”しっぽ”がある記述くらいのようである。(BlueRose Wiki参照)アッカド以降『エヌマ・エリシュ』を読んだ後世の人の想像による記述の部分が多いようである。
  また、ティアマト女神の両目は、それぞれがティグリス川とユーフラテス川の水源とされ、ティアマト女神の体(大地)からバビロニアの国土を作り出した。 といわれています。
 バビロニアの人達は、へび・大蛇を崇拝していたようなので、やはりバビロニアの国土を造ったティアマト自身も大海の神であり地母神であり 要するに蛇神であったのではないでしょうか。



Ⅲ・蛇神 ニンギシュジダ
  『ニンギシュジダは「真理の樹の主人」を意味し、植物神であった。 同時に冥界の神で、蛇神でもあり、豊穣神でもある。 湿地の多いシュメルの地に民族にはさまざまな種類の蛇がいた。 蛇はその姿から嫌われ、恐れられることが多いが、民族によっては悪魔に、あるいは神に与すると考えられた。 へブライ人は前者であり、シュメル人や日本人は後者になる。 日本では今でも家に蛇が棲みつくとその家にはお金が入るとか、弁天様のお使いは蛇だと信じている人々がいる。 できることならば、 「この世」において良い暮らしがしたいと思うのは現代の日本人だけでなく、シュメル人も同じであった。 そうであったから、冥界の神にして豊饒神であるニンギシュジダ神は個人神にふさわしい神であった。
 ニンギシュジダ神の両肩から飛び出している冠をかぶった蛇は、「異形のもの」ムシュフシュであり、第三章で紹介した「グデア王の円筒印章印影図」ではグデアの背後にムシュフシュがしたがっている。 そして、この「異形のもの」ムシュフシュが、ニンギシュジダ神の前身であったとも考えられている。』 
 (*31 P234 3行目~P235 1行目)

「グデア王の円筒印象印影図」
 (*31 左図 P107)


 左から二番目の神がニンギシュジダ神。ゲシュティンアンナの配偶神でありニンアズの子とされる。名前は「賢き(真理の)木の住人」という意味を持ち、地上において、地下において人間を救済する役目を担っている。都市ラガシュの守護神でラガシュの王グアデの個人神とされた。後代にいたってタンムズと同一視される。


Ⅳ・医術の神 蛇神 ニンアズ
 蛇神 ニンギシュジダの父親であり、蛇神・冥界の神としてだけでなく名は「医師なる主人」を意味し医術の神として扱われている。エシュヌンナ市の都市神であり、円筒印象などにムシュフシュを随えてもいるようです。
 また ニンギシュジダと同じく、ラガシュ市の王グデアの個人神でもあったようです。



 
Ⅴ・ニンツ
 腰から上が女性、腰から下が蛇という半人半蛇の姿をしていおり、母蛇で、子供をワシに食べられ太陽神シュマシュに訴えるバビロニア神話に登場する。キシュ第一王朝出土(シュメール初期)といえる上記「エタナ物語」と酷似しており、バビロニアに入り、神格化されたようである。話の内容もワシはニンツにつかまり穴に閉じ込められ飢え死にする。という変わりよう。、
 上の「シュメール神話 神々の系図」には記していないがバビロニアに出てくる神で、全ての神々の母 ともされているようである。


   『 頭から腰まで  身体は 裸体の女の肉体だ
          腰から足の踵まで 蛇の鱗が見えている 』*26
こういった歌も残っているらしい 

*26 「うたたねちゃーりー」様より
 (メソポタミア関係の文学・神様なども掲載されています)


Ⅵ・ニラー (Nirah)
 サタラン(Sataran)に仕える蛇神。とされています 
『泉獺の神々の辞典』様より

 サラタンはデール市の神。神々の裁判官及び治療者

 死んだ神ディンギル・ウッグゥに数えられる神ですが、詳細は不明との事。「うたたねちゃーりー」様より

『古天文の部屋』様の「バビロニアの星座」では
参考文献
 ・Hermann Hunger and David Pingree, MUL.APIN An Astronomical Compendium in Cuneiform
  : Archiv Fur Orientforschung Beiheft 24, 1984
 ・E.Reiner and D.Pingree, Babylonian Planetary Omens
  : Bibliotheca Mesopotamca 2, fascs.1-2, Malibu 1975-1981
として多くの星座を記していますが、その中にアッカド語と同じ呼び方をするニラー(Nirah)がありました。 シュメル文明のBC2500年頃のタブレットには月の満ち欠けをもとにした太陰暦の日付が現れ始め、BC1900年頃古代バビロニアで天文の記録が現れるようである。
No. 分野 主にシュメール語
(書き言葉)
主にアッカド語
(話し言葉)
意味 西洋星座対応位置
46 Anu muld MUS Nirah うみへび座
註:Anuは(赤道帯)

 シュメル文明ではすでに うみへび座のあたりを 蛇座と見ていたようで
このニラー神(Nirah)が 案外 アスクレピオスの元となったのかもしれませんね。


「うたたねちゃーりー」様で、 『ニラ(Nira) 闇の神。タンムーズの兄弟。』とありますがニラー (Nirah) とは違うのかなぁ? ネット上でもニラの表記はありません。


Ⅶ・ニラフ
メソポタミア神話に登場する下半身が蛇の神。
三日月あるいは星を司る。

神様コレクション@wiki


Ⅷ・恐ろしい蛇 「ムシュフシュ」
 ムシュフシュはシュメル語で、「恐ろしい蛇」または「怒る蛇」という意味があります。
「グデア王の円筒印象印影図」の左端にも表されていますが主に表されてる姿は
 ・蛇の首 ・ウロコ状の胴体 ・ライオンの前足 ・鳥の後足 ・サソリの毒の尻尾
といった姿です。地上で最強といわれる生物を合成した神獣です。

 
 アッカド以降に見られる創世叙事詩『エヌマ・エリシュ』おいては、マルドゥクと戦うためにティアマト神に生み出された蠍尾竜として登場します。 ティアマトの討死後は、豊穣の神マルドゥクの獣神として仕えます。
 その後は息子である学問の神ナブ神にも仕え、バビロニア時代は最高神の獣神・守護獣としての扱いを受けます。
 イシュタル(イナンナ)門や、バビロン遺跡の壁の浮き彫りなどに描かれるようになる。

 それ以前には、その毒により人々を死に至らしめる「蛇の王」として冥界の神ニンアズ、その息子のニンギシュジダ神といった蛇の神に仕えている。


 ムシュフシュ(アッカド語:Mu??u??u, シュメール語:Mu??u?)はシルシュ(Sirrush)とも読まれていたが、現在では、?u? は楔形文字では ru? とも読めるものの、ムシュフシュのほうがより確実な読みであるとされている。
マルドゥクと竜(ムシュフシュ)
 WIKIより

 シュメール人は、ディンギルいわいる神々を崇拝していたことがわかります。
それは ギリシャ神話やエジプト文明、インドや日本のように 多神教でした。シュメールのそういった思想がこれらに影響を与えたことは間違いありません。






④遺物に見るへび
 次にシュメールから出土したへびと関係のある遺物を見ていきたいと思う。
Ⅰ・円筒印章

 シュメール文明の遺物の中大量に出土されているものが円筒印章であり、日本で使われる印鑑(ハンコ)のように、商取引・裁判の記録・手紙などに使用されました。高度な技術をもつ職人が細かい図柄を刻み、誰の印章であるか判別できたようである。
 上記シュメルの神々 「グデア王の円筒印象印影図」」に見られるように、さまざまな神々、神話や、戦闘の図などが彫られ 円筒印章の図柄から当時の様子などをうかがいしることができる。
 その円筒印章のなかの図柄からシュメール文明の後のバビロニア、ユダヤ教・キリスト教にある ”アダムとイブ”の神話でへびがささやいた図柄がのこっている。

  
 *34「シュメール文明」 著者:Helmut Uhling 訳者:戸叶勝也 発行所:㈱ 佑学社  (p.21 4行目 - 8行目)  『神の座像を描いたものがある。その神に向き合って座っている女の背後からは、何やら女に囁くような格好で頭をもたげている蛇の姿が描かれているのである。神と女との間には木の実を沢山つけた一本の樹が立ち、今しも女は木の実の方に手を伸ばしかけている。
 この図柄を見れば、誰でもそれが創世記にはっきり書かれているアダムとイブをめぐるエデンの園の光景であると思うであろう。』
*34

 ただ、「シュメル神話の世界」 著者:岡田明子・小林登志子 発行所:中央公論新社(*35)P87 5行目 では、
『 知恵の木と命の木
 シュメルの神話ではなんと「知恵の神」であるはずのエンキ神が、自分の孫子にあたる植物を次々と食べて病気になってしまうが、『旧約聖書』では「エデンの園」の人類最初の男性アダムとその妻エバとが、蛇の誘惑に負けて禁断の知恵の木の果実を食べてしまう。 』
*35
と書かれているのである。 シュメルの神話ではへびは悪者ではなかったのである!!

 文明や知恵を備えたシュメルの人々をへびにたとえたような神話の置き換えとも捉えることができるのではないでしょうか
 仮にそうであったのならば、シュメルの文明・知恵を快く思わなかった民族の仕業といえます。

-- [円筒印章ってこういったものです] -------------------------
 
 実物の写真がありませんでしたので 自作でイメージとして作成してみました。(実際描かれているものを見ていませんので想像の”エデンの園図”です)
---------------------------------------------------------




Ⅱ・地母神
蛇頭の女性像
 (ウバイト期 紀元前4700~4200年頃 ウル出土)

 このように頭部がへびであらわされる地母神が多く出土している。


右写真 *36
『シュメル神話の世界 
- 粘土板に刻まれた最古のロマン - 』  P10
発行:2005年10月
著:岡田 明子・小林 登志子
発行所:中央公倫新社
セム系部族社会の形成様
 1970年代のイラク国立考古学博物館展示物 において数点の蛇頭の女性像を見る事ができます。


東京国立博物館 調査記 (2009年8/28) より 追記
地母神像

シリア又はイラク
ウバイド期・前5千年期
土製

註:「農作物を育む豊かな大地は母性と多産にたとえられる。両生類・爬虫類に似た奇怪な面体と肥満(あるいは妊娠)した女性の姿は、この時代のメソポタミアの土偶の特徴。」

 明らかにへび神様!!




Ⅲ・神像(しんぞう)
東京国立博物館 調査記 (2009年8/28) より 追記
神像(しんぞう)

イラク
イシン・ラルサ時代・前2000年頃
土製

註:「角のついた冠を被っているので、神の像であることが分かる。角は野生の牡牛のものをかたどったとされる。手に持つ斧は、前2000年頃の青銅製闘斧の形式で、そこから制作年代が推定される。おそらく戦争の神であろう。」
 上記神像にはへびっぽい記述はありませんでした。
しかし頭に巻いてあるものはへびでは無いだろうか?と思ったので・・・。角度を変えて拡大写真
 イシン・ラルサ時代とは正確には前2004年~前1750年で確かにバビロニアの頃の高位の神には有角冠が載っているものが多い。円筒印象にもしばしば彫られているが、上記(左記)神像は間隔が下記に比べて明らかに違います。しかも太い。


 

 言ってみれば 右写真の
 『NHK ためしてガッテン!!』 のガッテン君の頭

  のようになっていたのではと推測するのである。
 古バビロニア時代、ウルとテルロー出土のテラコッタ製神像も特徴が似ており斧を持ったものあるが、帽子はグデア王(前2100年頃)のようなモスクワの帽子の外観を持っている。

 左写真がそのグデア王帽子の拡大でありますが、へび民族の影響が残っているとすればこの装飾はへびのようであり、上記Ⅲ・神像
の”角(つの)”と断定はできません。

その模様は”大仏の螺髪”のようでもあり、螺髪はインド北部マトゥラー美術の影響を受け巻貝の様な髪の毛になっている。と言われている。

 案外、頭にへびという思想がマトゥラー美術に影響を与えたのでは?
ハンムラビ法典
ハンムラビ大王
前1750
人面牡牛像
前2150
神像頭部 定礎 小像
前2150
 そもそも角が何重にもあるのはおかしい。角が三重、四重の動物なんていないじゃん!! 前2100年以降バビロニアに統治されるようになるが、それ以前とで検証する必要があるかもしれない。あるいは へびのとぐろであったものをバビロンの人が角というように変えたのではないだろうか? 

 たとえばエジプト文明で へびを崇拝する下エジプトと ハゲワシを崇拝する上エジプトが統一されウラエウスに二つとも掲げられるように シュメール文明においても へびの民族と角をもつ牡牛を崇拝する民族との統一があったためではないかと推測するのである。




Ⅳ・祭礼用水差し
ギルス(現テルロー)出土
紀元前2100年頃

グデアからニンギッシダ(ニンギシュジダ)にささげられたもの。

二匹の絡み合うへびは後のメリクリウス(マーキュリー)の原型といわれている。
グデア王は夢の中に主神ニンギルス神が現れ各種の神殿を築く様になった。 そういった神殿に浮き彫り(奉納額)を多数奉納し発掘されている。(後に記すシュメール文明の蛇の目参照)
 その奉納額に掘られる蛇使い、蛇の模様からもグデア王が治めるラガシュ市は蛇を崇拝していた事が推測でき、上記帽子の模様が蛇であった可能性を高めていると推測する。






⑤シュメール文明に見る へび まとめ
 岩田氏と小林氏の訳で同じような神話も捕らえ方が多少違うようである。しかし、岩田氏の書かれる「エヌマ・エリシュ」をそのまま 理解すれば 巨大な蛇の化身ラームウ(男神)とラハウム(女神)はメソポタミア文明のチグリス川ユーフラテス川を表しているようでもある。
 
『一、古代中国のへび』で先に見てきた伏義(ふくぎ)と女禍(じょか)は、なるほど、ここが神話の出所か!!と納得せずにはおれないのである。
すべてはチグリス川ユーフラテス川の水の恵みがへびとして表されていたのである。



シュメール文明  まとめ

 ◎紀元前5000年以前より 地母神として蛇を崇拝していた。
 ◎神話に登場する神々の多くに ”へび”を表す神が。
 ◎メソポタミア最大規模の都市国家 ラガシュ市は シュメール初期王朝時代において繁栄し”へび”を崇拝していた。

 ◎メリクリウス(マーキュリー)の原型
  
        へび民族のルーツはシュメール文明にあった。




参考文献

 小林登志子氏著『シュメル -人類最古の文明』 
 いままではシュメル文明の中で多神教であり、太陽神や豊穣の神などがいることはわかっていましたが、この一冊はシュメル文明を知るにあたって非常に貴重で素晴らしい内容になっている。まさに私が知りたかった内容であり、皆様にも是非お勧めしたい一冊です。
シュメール文明 のへび  参考文献・引用
 *31 『シュメル -人類最古の文明』 2005年10月発行
     著:小林 登志子  発行所:中央公倫新社 
    (P36)/(P234 3行目~P235 1行目)/(P107)
 *32 『筑摩世界文学全集 1 古代オリエント集』 昭和53年4月発行
     訳者代表:杉 勇   発行所:筑摩書房 
 *33 『消えたシュメール王朝と古代日本の謎』 2004年3月発行
     著:岩田 明  発行所:㈱学習研究社 P73 13行目~P74 7行目







-- 蛇補足 --


他の頁でもちょこっと書こうと思うのですが、シュメールの粘土板に書かれた文学中 ”me”と記され「神力」と訳す部分がしばしば現れる。
 楔形に精通していないので推測の域を出ませんが、シュメール人を表した異物の特徴として『目』が強調された物が非常に多い。なかには同心円的に真ん丸なマンガのような目で描かれることも多い。SUMERUと綴られるスメル
 岩田明氏は 「スメル族の意。ス(Su)は妙、善の意で、崇高なメル族の意。メルは古代の緬(めん)族と同族か。尊い、気高いの皇(すめ)に通じる。」と『十六菊花紋の謎―日本民族の源流を探る』や、『消えたシュメール王朝と古代日本の謎』で述べられている。 シュメール語は単語に接頭辞や接尾辞を貼り付けるという膠着語ということで日本語と似ており、発音と意味する単語も似ている物が多いという。
 それでは、「神力」と訳される”me”は、そのまんま『目』でいいんじゃないですか!?
『崇高な目の人達』 といった訳し方はいかがでしょう。
(訳に関しては自信がない)

 たとえばギリシャ神話に登場するメドューサ(古典ギリシア語:Medousa)。 ご存知の方も多いと思いますが、髪の毛の1本一本がへびで、そのメドゥーサの目を見ると見たものを石に変えてしまうという神です。
 ◎"me"dousa の目 
 ◎縄文土器の髪にへび があるように シュメールでも へびを崇拝。シュメールの地母神で頭部がへびのものが多数。
 非常に関連しているように思います。
 メドゥーサは、シュメールと関係があって 目に ”me”=「神力」 とすべてがつながっていると思います。



 
 
前章 トップページ 次章



蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

蛇の目ってなんぞや?!(ホームに戻る)