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本日のへび調査隊の行動 (太字は”へび”と関係有り)
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藤枝市 大楊山 長慶寺 |
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所在地 |
大楊山 長慶寺(たいようざん ちょうけいじ)
藤枝市下之郷122
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開創 |
嘉慶年間(1387~1388) |
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宗派 |
臨済宗 妙心寺派 京都 妙心寺末 |
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本尊 |
釋迦牟尼如来 春日仏師作 |
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今川氏の氏寺であった長慶寺は、今川三代泰範が開基として開創された由緒ある寺院である。『駿河記』等によると、嘉慶年間(1387~1388)鬼岩寺末の真言宗として開創されたと記されている。開基した今川泰範は範氏の次男であり今川三代を継ぎ足利義満に仕える。駿河の地を治める根拠地として島田の大津庄には大津城を、葉梨庄には花倉城を築き、築城に並行し一族の菩提を弔い、花倉には遍照光寺を、下之郷には長慶寺が開創された。
開基泰範は嘉慶2年(1409)76歳の生涯を閉じると、遺骸は長慶寺に葬られたと言われ、その五輪塔が現在境内地に残っている。
今川義元の軍師であった大原崇字(雪斎長老)の名で、その姉と言われている太年凪が廃れていた長慶寺の再興を手がけ、泰範の五輪塔の隣には雪斎長老の無縫塔が残っている。 |
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*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
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第二東名の橋脚のすぐ南側にでき、ここに来るまでの細い道がちょっとわかりにくいかもしれません。
駐車場 と 正面に長慶寺 |
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門の左右と右側をちょっと上がったところにも駐車場があります。 |
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行き届いた美しい庭 |
平和の鐘 |
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無縫塔 |
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この無縫塔は平成17年11月12日(土)に今川氏を忍ぶ遠諱(おんき)大法要が行われた時に新設。記念碑とともに。
開基、今川泰範(3代)620年遠諱
開山、太原雪斎450年遠諱 |
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今川泰範の五輪塔(左) 太田雪斎長老の無縫塔(右) |
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《伝説 陀蛻(へびのぬけがら)》
あるとき、文化6年(1809)『駿河記』の著者、桑原藤泰が長慶寺を訪れました。住職と話が弾むなか、泰範公の塔の中に今川義元の分骨を合葬したという言い伝えを確かめようと墓の中にある墓誌をさがすことに。
二人が五輪塔の笠石をとりのけたところ、塔の中央に丸い石柱が台座を貫いている。この石柱を2、3寸引きあげたところ、小さな蛇が石柱にまといついていた。うろこは五色の斑点があり、金色の光を放っている。小蛇はみるみるうちに太くなり首をあげて奮慾の勢いをなしてから、柱の下にもぐってしまった。二人とも大変驚き、怖くなったが、もう一度石柱を引き抜こうとして持ちあげた。すると小蛇はさきほどよりもっと体を膨らませ、首をもちあげ、眼は赤く染まり怒りの形相を張らせている。思わず背筋が寒くなった二人は意気消沈し、身の毛もよだち、石柱を抜き取ることをやめ、小蛇をそのままにして笠石を元のように戻しておいた。その恐怖から客僧もしばらくして自分の寺に帰っていった。
その夜のことである。住職は悪感が起り、陰部がにわかに痛み出しはれあがり、高熱を発した。苦痛に耐えられず医師を招いて服薬したが治らない。そのうちに下腹部だけでなく身体中がうみ、まもなく示寂したという。
同時に客僧も寺に帰山すると寒気を覚え高熱が出た。便所に行くと陰部がはれあがり、痺痛で1晩中眠れない翌朝医師に行き治療してもらったが、なかなか治らない。
長慶寺和尚も同じような病状であると聞いた客僧は、「あの泰範の塔の神霊のたたりに違いない」と思い、
和尚の代が代わった後も、客僧(桑原藤泰)は苦痛があれば詣経し、霊廟をあけたことを陳謝し、今川家の菩提供養を続けたとのことだが、五輪塔に見る蛇のぬけがらはその時からもどんな時にも塔にまとっており、風雨がはげしくて洗い流されても、翌朝にはまたまといついていると言う。不思議な話である。
要約『大楊山 長慶寺』 |
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感想
このレポートは主に佐野石材さんの『藤枝宿』、『大楊山 長慶寺』を参考にし、調査してまいりました。要約しているので、上記リンクから本文を理解していただけたらと思います。
『駿河記』の著者、桑原藤泰が記してから、200年経っているのですが、現住職(不在)の奥様に少しお話をお伺いしたら、今でも蛇の抜け殻が五輪塔についていることがあり、数日前もお子さんが確認したとのことであった。
残念ながら・・・。 私が調査に訪れたこの日は何処から眺めてもへびの抜け殻らしいものは見つけれませんでした。
へびは脱皮するときに木や石のかかりの良いところで脱皮するようなので、この苔の生えた五輪塔が気持ちいいのかもしれません。
まぁ~「へびの抜け殻がいつもある」という内容で、わざわざ浜松から調査に来て、
「これだけかよ。」
という感じに思われそうなのですが、
なんと、五輪塔の写真の笠石の角度を変えると・・・・
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じゃじゃじゃ~~
じゃ~~~ん。
『ハートマーク』が!!
そんな訳で珍百景に応募しときました。 |
次に、へびの抜け殻とは別の伝説です。
桑原藤泰が住職と五輪塔の中身を見てへびが現れ『ポコ珍』(男性の陰部)が腫れちゃったというのはどのように解釈をしたらいいと思われますか?
よく、ミミズにおしっこ(尿)をかけると『ポコ珍』が腫れるというのを聞いたことがあります。実は小学生の時に、友達がホントかウソかやってみたと言って、ミミズにおしっこをかけ赤く腫れあがった『ポコ珍』を見せてもらったことがあるんです。
(どんな小学生時代やねん (T_T) )
結局のところミミズについているバイ菌によるものと現在では言われています。
そして、今回の伝説に、今川義元の分骨がどうであったかとの結論が出てきていません。おそらく、戒め的な伝説になっているのではないかと。この五輪塔は”へび”と関係のある民族・・・。わたくしの考える平家(あるいは別のへび民族)と関係があるのではと、推測するのです。
この五輪塔には公にできない秘密有りと・・・・。
「だからといって、わたくしはのぞきませんからね!!」
「バチが当たってちんちん腫れたくないも~~ん。」
でも、なんだか 面白い伝説ですよね。
おしまい
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