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細江神社 その2 |
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細江神社その1 調査記
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所在地 |
静岡県浜松市北区細江町気賀996
053-522-1857 |
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式内社 |
遠江國濱名郡 角避比古神社 名神大
遠江國引佐郡 大神社
旧郷社 |
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御祭神 |
建速素盞嗚尊 奇稻田姫尊
牛頭天王を祀る神社。通称”気賀のお天王さま”
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創祀年代 |
不詳。 一説に永正七年(1510)の創建、また天正十二年(1584)十二月とも。
明治元年9月社名を細江神社と改める |
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駐車場 |
約15台 |
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*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
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2009年10月15日 一度細江神社に調査に入ったのですが、予習が足りなかったばかりに、すぐ側に”へび”と関わりがある木に気付くことができませんでした。
今回はその 伝説の木についての取材です。
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藺草神社前の御神木 |
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トトロにも出てきそうな大きな穴があいている。この中で大蛇と大蝙蝠があらそったそうな。
この御神木の穴の正面には争った時の血の痕がついている。 実際ちょいと怖いものを感じました。 |
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樹種 クスノキ
樹高 15m
目通り幹囲 7.3m
推定樹齢 500年
細江町指定天然記念物(「細江神社社叢・楠」として1974年5月1日指定) |
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「むかし話」 大蛇と大蝙蝠の戦い
むかしむかしの話しですがこのクスノキの大穴の中で大蛇と 大蝙蝠が「このクスノキの主はおれだ…」とたがいに言いはりま した。そのために大蛇と大蝙蝠はしだいになかがわるくなり
ついにおおげんかとなってしまいました。
大蛇は長い体で大蝙蝠をぐるぐると強く巻つけ、大蝙蝠も負け てはいません。するどいキバで大蛇のからだに食いつき…
この戦いは三日三晩もつづいたと言はれています。
大蛇も大蝙蝠も血だらけになり、ついに力がつきはててしまいました。クスノキの空洞の中には、そのときに流したと思われる 血のあとがあります。 |
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最初に見た藺草神社前の御神木より南の御神木。
こちらも立派だ。 |
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参道左手にある夫婦楠。
幼木の時代より2本揃って育ち約500年の細江町の歴史を見守っている。 |
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その他にも大木が何本か立っており、いづれも細江町指定天然記念物となっている。
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御祭神 |
( 気賀領主) 近藤縫殿助用随公 |
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例祭日 |
7月14日
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宝永四年(一七〇七年)の十月、遠州地方で 大地震があり、押し寄せた高潮のため、浜名湖 沿岸の田には塩が入り、稲は全滅の状態でした。
困り果てた村の庄屋達は、当時の気賀の領主 近藤縫殿助用隨公に、その苦境を訴えました。
領民のためを思う名君であった用隨公は、今 後の稲作の事を、領民と共に思い悩みました。
それからしばらくして、用隨公は、大阪での 会議で隣り合わせた豊後の国(現在の大分県) の領主松平市正に、領内の窮状を相談したとこ ろ、市正は、「ほう、それはお困りじゃな。で は、余の領内の豊後の藺草を植えたらどうじゃ。 これは、塩に強いということでな」と言い、国 元から琉球藺の苗を取り寄せてくれました。 大いに喜んだ用隨公はこれを持ち帰り、領内の 田に植えさせました。
これが、浜名湖岸一帯 の名産物、琉球藺の始ま りです。その後、琉球藺 は周辺の各村に広まり藺 草を使った畳表の製織は、 冬の農家の副業として、 この地方を潤しました。
この藺草神社は、藺草 をこの地方に初めて広め てくれた用隨公の徳をた たえて造られたものです。
(上記右写真案内板より) |
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その他にも大木が何本か立っており、いづれも細江町指定天然記念物となっている。
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感想
細江神社、伝説の大楠をようやく調査することができました。
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ちょっと、撮っちゃだめ~~。という雰囲気があったのですが(ご神木にお願いして)中の様子です。
随分傷んでいるようで左側にも修復の様子があり、正面そして右側に、なんとなく血の様に見えなくもない樹肌がみえます。
巳好樹隊員はお人形さんがいると言っていました。
これからも細江町の街を見守っていただきたいものです。 |
さて、細江神社その1 調査記から 細江神社の由緒書きを抜粋。
◎明応七年(1498年)八月二十五日、大地震、大海嘯が おこり、神殿、建造物がことごとく流没したが、奇跡的に ご神体は、村櫛をへて、伊目の十三本松に漂着、隠岐大明神の地に仮宮を建てて祀った。
◎さらに十二年後再び地震による大津波のため、気賀の赤池へと漂着された。この地に仮宮を建てて祀 り、翌月九月現今の地に社殿を建て、牛頭天王社と称え祀
ることとなった。
赤池の里は当社より約三百米東南にあり、例祭日には神 輿の渡御が行われる。
◎地震災難消除 のご利益 |
下に 伊目から赤池そして現在に移動していった図と境内の地図も載せてておきます。
気になったのは、赤池様公園というものです。
最初は昔の地名と思ったのですが、赤池様公園というのがありまして、御神体が流されてきたことから赤池様として祀っているようなのです。
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赤池様公園 |
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詳しい経緯をまた調査しなければと思っておりますが、 赤というのは度々調査してきた、
◎彦根藩主井伊家
彦根城調査記
◎浜北区赤佐 赤蛇伝説
岩水寺 赤蛇伝説
のように |
わたくしは ”へび”民族と”赤色”はとても関連があるものと考えています。
今回調査の 『大蛇と大蝙蝠』伝説もこういった経緯があって生まれてきたものかもしれないとあらためて思うのでした。
おしまい
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気賀関所 |
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気賀関所 浜松市ホームページ
気賀関所 公式ホームページ
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所在地 |
〒431-1305
浜松市北区細江町気賀4577番地 |
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電話 |
053-523-2855 |
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開館時間 |
AM9:00~PM4:30
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料金 |
大人(満15歳以上) 普通入所200円
小人(中学生以下) 無料 |
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駐車場 |
無料
観光バス3台 乗用車10台 |
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*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
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通行手形販売所(入場券売場) |
気賀関所案内板 姫街道の要衝として、”入鉄炮””出女”の監視、荷物検査をした。箱根関所、新居関所と共に東海道三大関所 |
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正面玄関 関所入口
立派な門。
ちなみに
町木戸御門(反対側の門)
ここから西側に気賀宿の町家が続く
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ここで、番頭2名、平番4~5名が常駐し旅人の取り調べを行った。
気賀関所の関守は、元和5年(1619)から明治2年の関所廃止まで旗本近藤家が代々拝命した。 先ほどの藺草神社に祀られる領主近藤家の関係でしょうね。
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観光客に大人気の 顔出し看板もありましたよ~~。
(これがないと やっぱり!!) |
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感想
平成元年度ふるさと創生事業により、絵図や古文書を元に往時のままに再現されているとのことです。
姫様館(資料館)では、江戸期の駕籠や姫様道中を表した版画、中村本陣の宿札、手形など関所、宿場に関連した資料を展示してあります。
遠見番所、制札場、雪隠(せっちん)三ツ道具立、槍立、矢来などで再建し、等身大の人形を配置して当時を再現し、江戸時代にタイムスリップしたような雰囲気です。
ただ残念だったのは、”へび”関連は見られなかったことと
向番所側が工事中でした。
おしまい
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「へび調査隊」目次
へびって?(ヘび民族のルーツの探求)
蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)
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