蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
浜松市北区調査 09年10月08日
 今週は土日が忙しく子供達を何処にも連れて行ってあげれなかったので、学校の帰りにちょこっと遊べそうなところをとバードピア浜北に行く事としました。
県立森林公園ビジターセンター バードピア浜北
http://homepage3.nifty.com/shinrinkouen/birdpia.html
 わたくしの子供の頃には無かったが「自然とのふれあい」をテーマにした施設ということです・・・・。


所在

〒434-0002 浜松市浜北区尾野2597-7
電 話/053-583-0443 FAX/053-583-2700

観覧料金 無料
開館時間

9:00~16:30

休館日

毎週水曜 祝日の場合はその翌日 
年末年始(12月29日~1月3日)

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
 館内展示物
野鳥の展示ケース

バードカービング(木彫りの鳥)?でこの森の野鳥の紹介をしている。バードピアの正面入り口の反対側はウッドデッキになっており望遠鏡・双眼鏡(無料貸出)で観察する事ができる。
森の広場

HPで森の広場という名称を知ったのですが・・・。
四畳半くらいのスペースに木製の楽器が置いてあり、自由に鳴らすことができる。

ここで、巳子・巳好樹は何故か かなりの時間楽しむ事ができる。
体験テーブル

どんぐりパチンコ
図書コーナー
鳥の鳴声
マイクロスコープ
など がある。

 館外

 森林公園は、天竜奥三河国定公園に指定されており、遊歩道や湿地、広場などが整備され森林浴や散歩を楽しむ事ができる。
 なかなかの広さである。
 遊歩道には 所々にこういった遊具や、丸太を組んだ遊具が設置されている。
 右の写真は木工体験館 館内には汽車の模型や木を削って作った鳥(バードカービング)が展示されています。館内では展示のほか木工体験ができる施設となっており、この日も十数人の生徒さんが何やら作っているようでした。
 
 遊歩道を歩いていたら ホコリタケ(キツネノチャブクロ)を見つけました。
指で押したり、足で踏むと煙のような胞子が飛び出します。 面白いでしょう。
  早い時期の白い部分だけを食用にするそうですが、少しでも色のついているものは不適。 この動画を見て食べてお腹を壊されたりしても保障いたしませんので、あしからず。




龍宮山 岩水寺
http://www.gansuiji.jp/link.html
岩水寺 本堂(地蔵堂) 山門(右端)の前には川が
所在

高野山 真言宗
遠州浜松浜北根堅 
龍宮山 岩水寺(がんすいじ)
安産祈願・お宮参り・子宝・家内安全・開運厄除子安地蔵尊
〒434-0016 静岡県浜松市浜北区根堅2238
TEL・FAX(053)583-2741

電話受付

9:00~17:00

駐車場 無料 300台
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
 バードピアのある山を車で下っていったら 遠州で有名な岩水寺が・・・。家内は一度来たかったみたいです。
 岩水寺の安産のお守りの噂は有名で、
 なんでも 「安産御守護札」とかかれた紙袋の中に大きな
御札(おふだ)があり、色のついた布切れが貼ってあるそうです。
 この布切れの色で、赤やピンクだと女の子、青や緑だと男の子が、紫だとやんちゃで大変な子が生まれるという・・・。ウワサがあるのです。

 境内案内
四天王堂 (左)

 持国天・増長天・広目天・多聞天が東西南北の四方守護する四神といて祀られているという看板書きですが、HPには仏教の守護神 不動明王をお祀りし、商売繁盛、福徳の仏様と記されている。
 
 右側には鳥居と赤い橋が架かっており「神橋」と書かれています。
鐘楼堂

巳子、巳好樹隊員が鐘をついたことはいうまでもありません。

その横に  弘法大師像
太子堂(左)

学業成就・受験合格

聖徳太子・観音様を御祀りしている
薬師堂(右)

遠州四十九薬師霊場、第28番札所

眼病・腰の痛みを和らげるお薬師様
白山宮 
 
急で長い石階段を登ったところにあります。
十一面観音堂

岩水寺裏鬼門の守り神。坂上田村麻呂将軍の守り本尊「十一面観音菩薩と白山権現を御祀りしている。

子孫繁栄
金城稲荷

鎮守守護神茶吉尼天(だきにてん)を本地仏。
御神体は白晨狐菩薩様を御祀りしている。
その霊力は!!
 除災開運神、商売繁盛神、農業神として多くの人々に福運を授けている。
 
(いくつもの鳥居をくぐり御稲荷様に)
 岩水寺 と 赤蛇伝説について
今回たまたま岩水寺を通りかかったが、来たかったのは巳美(家内)だけではない。
実はこの浜北区には”坂上田村麻呂将軍と赤蛇伝説”というものがあります。

 昔、天竜川は岩田の海といい、今の三方原台地と磐田原台地の間をずっと南に広がって流れていた。その岩田の海の西北に入りこんだところに赤池という地が有り三千年を経つという赤蛇が棲息していた。海を渡る船があれば怒涛逆まき必ずといってよいほど転覆していたので往来の旅人や里人の難儀ははかりしれないものがあった。
 時に天皇の命により坂上田村麻呂は征夷大将軍として、この地、磐田原台地と三方原台地の間を望見できる西岸の地である船岡山に着陸した。赤蛇により、海が荒れ、なかなか渡れずにいた。無事に渡る事ができるように潮海寺薬師菩薩に祈願しているとある日、将軍の陣屋には稀な美しい女性が訪れ、将軍の世話をかいがいしくした。やがて玉袖という美しい女性は将軍の子を宿すことになった。玉袖が言うのには「私は今から産屋に入りますが、二十日間は入ったり、見たりしないで下さい」と言い、部屋の入口の戸を堅く閉ざした。見るでないと言われると見たくなるのが人の常でもある。将軍は十二日目に誓いを破って密かに産屋を覗いてみると、大蛇が八重に身を巻き赤子は既にその間に生まれていた。将軍はびっくり仰天して産屋に押し入ると赤大蛇はたちまちもとの美しい女性に変身したのであった。
 「姿が露顕したからには、故郷の岩田の海に帰らなければなりません。つきましてはあなたと私の間に誕生した御子を立派に育ててください。私も陰ながらこの子のお守りをします。」と言って「潮干の珠」を御子に授けて海中に身を隠してしまった。身を隠す前に 「一つは海へ入れると陸となり、又一つの玉は陸へ投げれば海となります。」と言い残し。
 坂上田村麻呂将軍将軍は御連れ遊ばされた我が子、赤蛇丸に命じて、潮干る珠を海の中へ投げ込ませると、海は見る見る中に水が引きました。身渡すかぎりの海は、陸となり、赤池からは赤蛇の逃れる跡が残り、水寺の赤池へ寄り、奥の洞窟に消えていったのだと。
 そして、もうひとつの珠は有玉神社に祀られているという。


といった伝説です。 
 再び坂上田村麻呂が、勅により再びこの地に訪れた時、荒れ狂う海に宝珠を1つ投げ込むと海が干上がり赤蛇が姿を表し、隠れていったというのが、下記赤池の奥の(ほこら)・鍾乳洞といわれています。
 またこの祠は長野県諏訪神社と繋がっているという伝説もあるようで、「調査隊記」嵩山蛇穴 で調べたように同じような伝説が残っています。

 岩水寺の御住職に伝説などいろいろお伺いしたのですが、現在鍾乳洞はふさがっていて入る事ができないそうです。

イラストにするとこんな感じで奥に穴があるようです。


 そして、浜松市天竜区の椎ケ脇神社は赤蛇を祀っており、もう一つの宝珠が奉じられているのが浜松市東区の有玉神社ということです。
 
 
 浜北区於呂には「浜名湖ブルワリー」というビール醸造会社があり飲食もできる施設があったのですが、わたくしがへび調査をしだした時には残念ながらすでに閉店しておりました。

 とぐろを巻いた赤蛇と頭に掲げられたエンブレムはなんと美しいことでしょうか。

 「あ~~~飲んでみたかった。」


(ラベルは「別冊 温泉と銭湯巡り」様より 「飲んだ酒」「静岡ビール」)

 この赤という色とへびの関わりはやはり民族的なものを感じずに入られません。

 また、このあたりの地名に浜北区赤佐(あかさ) 浜北区於呂(おろ) 浜北区平口(ひらくち)という地名が残っている事も注目であります。 

 坂上田村麻呂に勅を下した桓武天皇の延暦年間(西暦七八二年~八〇五年)との関係から、藤原律令制の終焉。新たな律令制(政権の変換)と密接に関わってくるものと思います。平氏が桓武平氏からという説もあり、赤という色からも平家とかかわりがあったのではと推測します。
 そういえば この地方に平野姓が多かったようにも思います。同級生や知り合いにも10人はいます。
 念のため調べてみました。
全国姓名ランキング様 分布図
平野姓 平山姓 平口姓 平川姓
これによると 平野姓は千葉、愛知、にかけて。平らつながりで平山姓は千葉に。平口姓は静岡県に。そのまんま平姓は鹿児島県に多かったです。 人数が多い方である平野姓が中日本に多いというのも今回の調査の参考資料になるのではないでしょうか。(簡単にですけどね。)

そんなわけで
 今回の「へび調査」は 大変有意義なものでありました。

追記
 そういえば 巳美(家内)は巳好樹がお腹にいるときに「お守りのある岩水寺に行きたい」って言っていたような。 
 そんな希望を「そんな どちらが生まれて来たって「案ずるより産むが易しじゃん」と流してしまったような気が・・・。

 念のため・・ひどい男だと言われそうなので弁解しますが、その年、三重県の二見シーパラダイスに行ったあと、神社仏閣嫌いな私ですが、なんとなく呼ばれる様に伊勢神宮に参る事になり、しっかり安産のお守りを頂きました。
 その後 無事巳好樹が産まれた次第であります。
 こうやって へび調査をしている 今となっては 岩水寺のお守りも購入すべきだったと後悔しています。



追記2012.10.07
 浜松市有玉神社・俊光将軍神社  2011.08.17 調査というか見てきました。




根堅遺跡(ねがた いせき
 上記岩水寺の大型駐車場の西側にこの根堅遺跡はある。
浜北市北東部~浜名湖北岸にかけて石灰岩地帯が広がり数多くの鍾乳洞が点在する。
 ここ根堅遺跡周辺は江戸時代から石灰岩の採掘が行なわれ、1960年に石灰岩洞窟の中から偶然“浜北人骨”が発見された。

 現在、日本中の石器時代の人骨が調査しなおされ、ここ浜北人骨のものと、沖縄県の人骨のみ更新世(こうしんせい)(洪積世)約180万年前~約1万年前のもの、いわゆる旧石器時代の人骨と認定された。

 「浜北人骨」は約18000年と約14000年前の地層から出土している。 シカやヒョウなど動物の骨も出土され、トラの骨はなんと100,000年前の地層から出土している。

 この丘に立ち遺跡を眺め、雄大な気分に浸る。 あ~~私の御先祖様もこの地で暮らしていたかもしれない。 ありがとうございます。 

 左側に「浜北人骨発見の地」という標識があり、右側を降りていくと岩水寺駐車場
根堅遺跡 パネル説明
根堅遺跡 風景
 現在は石灰岩の採掘で洞窟のあとかたもない。
感想

 バードピアで森林浴をするのもたまにはいいものですね、キノコを見て「あっこれは煙が出るよ。」といって ボフボフやって子供達に見せる事ができるのも わたくし自身両親にいろいろ連れて行ってもらったおかげだなぁと感謝したりします。 そういえばあの頃は「オナラ茸」といっていたかも・・・。

 そんな感じで車で帰宅途中思わぬ展開となり、久しぶりにへびと関わりのある施設(岩水寺)を見学するに至りました。

 ご住職の御話も聞く事ができ、大満足です。それから ここの龍口はいままで見た中でも かなり立派な方でした。

 
 根堅遺跡も岩水寺の駐車場に隣接するようにあってラッキーでした。(まったく知らなかったのです。)

 根堅遺跡の浜北人骨については
市民ミュージアム浜北(浜北文化センター内)(20.7/10)
に伺ったとおりです。複製品でガラスケースの映り込みがあるので パンフレットの写真を掲載しています。

 こういった貴重な遺跡がすぐ側にあることに誇りを持つと同時にロマンを感じます。
それと、今現在、石垣島の空港建設で、貴重な鍾乳洞が壊されようとしていますがどうにかならないものでしょうか。
 一度つぶしてしまうと二度と戻らないので何とか良い妥協案が出ることを願います。

おしまい


追記
 2012年08.08 二回目行ってきました。この日は写り込みなく撮影できました。
 市民ミュージアム浜北その2 調査記(2011.02.26)
 
 
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