蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2011年02月13日
浜松市 有玉神社
 
所在地

静岡県浜松市有玉南町 1916

御祭神 主神 天照意保比留売貴命
配祀 天手力男命 萬幡豊秋津姫命など、22柱
御神徳 国家安泰、子孫繁栄、五穀豊穣、家内安全、商売繁盛、学業成就等あらゆることにご加護有り。
由緒
旧郷社神明宮は創立年代不詳、元禄十六年再建の棟札あり、旧朱印高五石 旧長上郡式内五座の内朝日波多加神社と申伝あり、明治六年郷社に列せられる。
旧村社八幡宮は創立年代不詳、大正十年再建の棟札あり、旧朱印高十二石なり、
特殊神事流鏑馬は、徳川家康が大阪より帰陣の際、戦場での愛馬を寄進したことに始まる。例祭の神事として四百年の伝統を今に伝える。
當神社は明治四十年、当時の有玉村三百八十戸余りの地域内に、郷社神明宮を初め村社、無格社合せて十二社あり、境内、社殿共に狭く又、祭典の繁雑さから、明治四十年郷社神明宮を八幡宮境内(当地)に移転し八幡宮、俊光将軍社等、併せて十一社を合祀、郷社有玉神社と称した。新社殿は大正二年完成、同年九月十日御遷宮された。
昭和二十七年八月二十日「宗教法人有玉神社」の認証を受け、静岡県神社等級規定により六等級神社と承認される。 
 
地図
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*上記案内は調査当時のものです。お出かけ前に電話等で確認の上お伺いください。
 


 
有玉神社
拝殿 本殿(左側) 本店(右側)
飾り瓦も見事である


俊光将軍社
拝殿 本殿
俊光将軍社の飾瓦 
亀と鯛に乗っている大陸の人


八幡大菩薩

感想

 案内板には『有玉神社には太古より「珠」が祭られているといわれてきた。「珠」は御宝として尊ばれ、昔から多くの人々の厚い信仰を受けてきた。』
 とあり、この「珠」というのが、へび調査隊 浜北区調査 (2009.10.08)で調査した時の”坂上田村麻呂将軍と赤蛇伝説”に出てくる2つの宝珠のうちの一つで、この有玉神社にあるということなのです。
 もう一度要約して載せておきます。
坂上田村麻呂が東征の際、荒れ狂う海の為足止めをくっていました。原因はその海に住む赤蛇ということで薬師堂にて御祈願をします。ある日、玉袖という美女と出会い奥方に迎え入れます。身重となった玉袖は、「産み終わるまで産屋を覗かないでと頼みます。」が約束を破って覗いてしまうのです。
 そこには大蛇が赤子を舐めており、玉袖は自分が海に住む赤蛇であることを告げ2つの宝珠を渡し袖ヶ浦へ消える
 そして、坂上田村麻呂と赤蛇である玉袖とのあいだの子がこの俊光将軍社の由来となる俊光将軍で、潮干の珠が投げ入れられたところを「有玉」と言い、その珠の光るところに建てた社がこの俊光将軍社となった言われているのです。

 有玉神社、俊光将軍社の二社とも立派な神社であるが、人は常駐しておらず、当然ながらその宝珠を見ることはできなかった。
 
案内板には太古より「珠」があるとしているが、「天竜川 水紀行」の筆者は氏子総代副会長の鈴木孝昌さん(67)=同市有玉西に伺ったようで「見たら死んじゃうよ」と笑われたみたいです。
 死ぬ間際にお願いして見せてもらいたいが、なんともロマンあふれる伝説である。

 ところで、俊光将軍社の屋根に亀と鯛にのった大陸の人みたいな飾り瓦がある。一説には この俊光将軍、異国の人という伝説も残るようで、そういった伝説が瓦にも現れているようでもある。


おしまい





 
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