|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
「へび」を調べる - 蛇の遺物に見る民族の流れを探る - |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第九章 蛇の目と呼ばれるもの | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第九章以降は『へびって?』のへびについて調べるステージから、蛇の目について調べていく『蛇の目って?』にステージが変わります。 2010年に第十章までで一度まとめていますが 2011年以降に新に追記という形で 第11,12章としています。 「蛇の目って?」に最初に来られた方も”第八章へびの生態”を一度ご覧いただけるとへびの奇特性を知っていただけるものと思っております。 それでは 第九章で” 第十章、第十一章では同心円のものを取り上げ、 第十二章 以降で その起源や思想についてまとめていきます。 ” |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
一、蛇の目の意味 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目 ① 大小2つの同心円からなる模様・家紋・弦巻(つるまき)にかたどったもの 「水の面にほつつりと一つの落ちて-を描く/自然と人生(蘆花)(あしはな)」 ② 建築で用いる輪形の鉄の金具。肘壺(ひじつぼ)の間に、 摩擦を少なくするために 差し込む輪など。 スーパー大辞林 「sharp」 より 蛇の目 ① へびの目。また、それに似た、意地悪く冷酷そうな目 ② へびの目のように太い輪の形をした図形。また、その形の紋所の名。 ③ 蛇の目傘の略 ④ 蛇の目回しの略 小学館 大辞泉 より 蛇の目 ① 輪貫(わぬき)と呼ぶ輪の模様の俗称。またその形の紋所の名。 蛇の目・三つ蛇の目・捩り蛇の目・九曜蛇の目などがある。 ② [建築]肘壺(ひじつぼ)の間に摩擦を減らすために 挿入する輪。 ③ 蛇の目のような鋭い目つき。 ④ 蛇の目傘の略 ⑤ 蛇の目回しの略 岩波書店 広辞苑 より *とあり たびたび使用してきた 大日本百科事典には 蛇の目の項がありませんでした。 なんで? 大辞泉には そのものずばり へびの目と書かれていますね~~。 広辞苑でも だいたい同じですね。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
二、蛇の目のつく言葉 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
① 蛇の目傘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅰ・ 番傘に蛇の目模様 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎こちら 野点傘・番傘・蛇の目傘を製作している 日吉屋さんのよくある質問に蛇の目傘のことが記されています。 http://www.wagasa.com/faq/index.html ◎和装履物現代屋さん より引用 http://www.gendaiya.co.jp/s_wagasa.htm 和傘は竹と紙で作った日本固有の雨具です。和傘発祥の地はビルマ、タイ、ベトナムでそこから、中国-日本と伝わったそうです。 唐傘が伝わるまで、日本の雨具は笠(雨・雪・日光などを防ぐために頭にかぶるものかぶりがさ)でした。今使われている傘の漢字は広げた中に人が入るという事でできた漢字だそうです。 ◆唐傘の言われ 中国の唐からの伝来なので、カラカサと呼ばれるようになったという説と、初めてみた人は開けたり閉めたりとカラクリのついた傘という事でカラクリ傘と言われていたのがカラ傘に省略されたとの説もあります。 和傘は蛇の目と番傘に大別されます。 ◎和傘の言われ (WIKIより引用) 東洋では、傘はまず、貴人に差しかける天蓋として古代中国で発明され、その後、飛鳥時代の552年に仏教の儀式用の道具として朝鮮半島(百済)を経由して日本に伝来され、「きぬがさ」(絹笠、衣笠)と呼ばれた。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅱ・ 絵画に蛇の目傘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
浮世絵に蛇の目傘 巨匠 葛飾北斎より 小学館 「浮世絵ギャラリー2 北斎の美人」 小林 忠 著 より
日本画に蛇の目傘 著作権に触れるかどうか解りませんが蛇の目傘の部分を研究資料として 掲載させていただきました。(メールにて連絡済) 下記は家にある 朝日グラフ 美術特集より 日本画 上村松園 伊東深水 鏑木清方
やっぱり 着物と 蛇の目傘は合いますね~~ 美しい!! ほんとに 太い輪が描かれていますね。 番傘に この蛇の目をいれ そのデザイン性から急速に広がり 人気が出たということです。 これぞ 蛇の目美人と させていただきました!! |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅲ・ 歌に蛇の目傘 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
この歌詞は 著作権の切れた作品 ということで 下記より 使用させていただきました http://www.d-score.com/ar/A03050601.html *あらためて 最後まで歌詞を詠んでみると いい歌ではありませんか! ・傘を持たない子に貸してあげ ・さらに大きい蛇の目傘をアピール 心の広さを表しているようですね!
*正直 知りませんでしたが 今でも人気がある様です。 下記より試聴できます。 http://www.neowing.co.jp/FM802/detailview.html?KEY=SRCL-4918 古都京都での思いを歌にしたのでしょうか 京都の町と蛇の目傘はよく合いますね
現在も 歌謡舞踊として 人気があります。
民謡歌手として 活動なさっています 実力派ですね。 こちらも 舞踊歌謡として人気があります。
昭和12年に大ヒットした名曲だそうです。 残念ながら歌詞を探すことはできませんでした、 意外と懐メロなどを探したら結構歌詞の中にも 蛇の目を探すことができるかもしれませんね |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅳ・ 蛇の目傘 時代 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
北原白秋(きたはら・はくしゅう) 明治18年1月25日~昭和17年11月2日 他の歌(蛇の目を含む)は昭和の歌。 鏑木清方 明治~昭和期 上村松園 明治~昭和期 伊東深水 大正・昭和期 葛飾北斎 1760年宝暦生まれ 江戸時代の化政文化を代表する浮世絵師 手元にある少ない資料から探したので・・・。 蛇の目傘が広まったのが元禄時代(1688年)ということですので 葛飾北斎が描く間100年弱あります。 本当に元禄あたりなのか、残された絵画や作品から探ってみようと思ったのですが とてもとても資料不足。 今後に課題を残しました。 ◎ 歌や絵画から元禄よりも以前に作られた事実は見つかりそうにもありませんが、下記サイト「洋がさタイムズ」さんにて、和傘のことが詳しく載っていました。以下引用 http://www.kasaya.com/times/011.htm 文化年間(1804~18)に出た『我衣』に、「貞享より地のもみ地傘。きゃしゃ也。天 井青紙、青どさにて、細工ヘリを取、絹糸装束柄と巻。元禄より、蛇の目傘出る云々 」とある。 なるほど 『我衣』という書物に 元禄より と記されていたのですね よく元禄時代からというのは目にしていたのですが こういった書物等による事実を探していました 「洋がさタイムズ」さん ありがとうございます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
② 家紋 蛇の目紋 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅰ・ 種類 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目に似ているので蛇の目紋と呼ばれていますが 古くは弦巻(つるまき)紋と称し 腰につける弓の弦を巻きつける 革や籐製の器具を図案化したもののようです。
参考資料 *59 梧桐書院 本田 総一郎・監修 「新集 家紋大全」<特装版> *60 「家紋の文化史」 大枝史郎 著 講談社 (いずれも ウェブデザイナーで自作しました。) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅱ・ 使用していた人物(有名人・歴史上人物) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 加藤清正 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
武具・調度一切を 清正に与えました 清正もそのまま 尾藤家の家紋「桔梗紋」をつかい 尾藤家の家臣300人も そのまま引継ぎ 誇りを傷つけることなく 働らかす事ができたとのことです。 戦には「蛇の目」、慶事には「桔梗」、文化的な事には「折墨」 と、 3つの家紋をつかいわけていたそうです。(このように家紋を使い分ける事を替紋という。) 熊本城 公式ホームページより http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=449 ついでに 加藤清正のルーツを調べようしましたがわからず。 以前 矢切止夫の本で読んだ記憶があるのですが 時間ができたら 調べようと思います。 ◎熊本 浄土宗護念寺 も寺慶長6年熊本城築城のとき、 清正が鬼門除けのため築城の材木を分け与え、元和2(1616)年建立した。 そのさい本堂の天井梁に朱で蛇の目を入れている。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 雨森(三左衛門)良高 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 飯富(兵部少輔)虎昌 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 佐久間信盛 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 加藤友三郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
また、加藤高明首相(岩崎弥太郎の娘婿)は大阪出身で家紋は” |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 神崎(与五郎)則休 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 加藤光泰 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 飯沼長継 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 石川 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
没: 1651年2月14日(慶安3年12月24日)69歳 芹沢美術館蔵 「諸将旌旗図屏風」の安土桃山時代の軍旗では「浅葱地に蛇の目」が描かれている。 ただし、石川数正の家紋は丸に笹竜胆。松本城に残る家紋も笹竜胆。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 吉川広家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
石田流砲術の伝承と歴史都市岩国のイメージアップを目指し吉川家の家紋・蛇の目九曜を掲げ活動している。 (岩国藩鉄砲隊HP) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 川島義之 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 堀江七郎 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 安芸 渡辺氏 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元就の時代、同じく渡辺綱を祖とし、勝 --- 通 --- 長 と続くが検索するも この三氏ではないようで。 また、通は天文十二年(1543)五月、出雲敗走中に尼子軍の追撃を受け元就が危なくなると、元就の甲胄を着用し踏みとどまり、元就に代わって討死する。この忠節に感じた元就は、毛利家の続く限り、渡辺の家を見捨てぬことを誓ったと伝えられ、以後、毛利家歳首甲胄の賀儀において通の子孫が先ずそのことに預かった。ということですが、長州藩の甲冑開き も調べきれず・・・。 三つ星、重ね三つ星、丸に三つ星、渡辺扇、柏、蛇の目、笹竜胆、月に夕顔などを使用する渡辺氏もいるということですが、蛇の目紋を使用していた方がわかりませんでした。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 戸田家 宇都宮城主、戸田日向守忠友 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ 戸田家 大垣城主、戸田 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
以下 蛇の目紋と関係がある武将等いるようですが、出典や確証が取れませんでしたので保留します。 ◎熊本藩 細川忠興の実弟 興元(常陸筑波郡谷田部藩主) ◎京極の諸大名も使用している。 ◎飯富、堀江、松平氏 も蛇の目紋 ◎家紋が蛇の目ではないが・・・、 九州の豪族緒方氏は大和の豪族大神氏の分かれで、 九州の地方官として下向した大神良臣が任を終えて帰京するとき、 かれの善政を慕った領民の声に応えて子 「庶幾」を残した。 その庶幾の母が蛇神であったというのである。 緒方氏の家紋は三本杉であり、杉紋は大和の大神神社の神紋である。 大神神社の神官は大神氏であって、緒方氏は先祖の縁りを家紋として 伝えたのである。余談ながら大神神社の神使は蛇 ◎蛇にまつわる姓、巳下、巳南、巳川さん。 蛇の字のつく、蛇喰(じゃばみ)、蛇穴(さらぎ)さんも 「蛇の目紋」を用いているという。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎ |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献 *家紋Wordさん http://www.harimaya.com/kamon/column/zyanome.html *エーゴパンチ・ドットコムさん http://www.a5punch.com/ComeOnYellowCD.pdf *WIKI *岩国藩鉄砲隊HP |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅲ・ 蛇の目紋 と時代関係 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎家紋の事は家紋専門のサイトさんに聞いてみるのが一番では・・・と。 「風雲戦国史 戦国武将の家紋」さんより引用 http://www2.harimaya.com/sengoku/index.html(トップページ) http://www2.harimaya.com/sengoku/buke1.html 平安末期に登場した武士。最初は赤、白といった色で敵味方の識別をしていた。しかし合戦が重なり、もっと武士の所在(功名)をはっきりするためには、色だけでは役立たなくなった。そこで登場したのが武家の紋章だったという。 ◎「家紋の湊 家紋辞典とデータサービス」さんより http://www.otomiya.com/kamon/history.htm 文様の原型は大陸から伝来してきた文化・仏教の影響を色濃く受け、飛鳥時代にはすでに用いられており、平安時代にはすでに広く普及していたようです。家紋は文様の意匠を取り入れながら、身近な器物や花鳥風月といった写実的なものからスタートして、室町時代にはよりシンボル化された紋章へと変化していきました。 ◎WIKIにも大体同じような事がかかれていますね。 ◎「大宮家紋研究所」さんより http://www.omiya-kamon.com/index.html(トップページ) http://www.omiya-kamon.com/history/history 01.html 古く縄文・弥生時代の土器などに見られる「爪型・縄型・波型」などの文様に家紋の原型を見ることができます。これらの幾何学的にパターン化された文様は、現在の家紋に通じるものがあります。 うんうん だんだん時代をさかのぼってきました! 大宮家紋研究所さんは 当ホームページ装飾古墳の模様にある蛇の目模様のような紋を同じように家紋の原型と見ていらっしゃるのでしょうか? 武家の家紋が 武家登場と同時くらいに平安時代からあらわあれ 蛇の目紋のような形の家紋の原型も縄文・弥生時代に見ることができるという事がいえると思います。 蛇の目傘(元禄時代)より かなり古い時代から 蛇の目という言葉があった可能性がでてきました。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
③ 蛇の目砂 相撲の土俵 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目砂 享保年間に一重土俵ができ二重土俵の時代に、土俵と土俵の間に判定を容易にするために入れた砂が 蛇の目の模様になっていることから 蛇の目砂と呼ぶようになり 幅25cmの砂がまかれています。昭和6年以降一重になった現在も蛇の目砂と呼び 二重土俵のことを蛇の目土俵と呼んでいましす |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅰ・ 相撲の土俵について | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
土俵の始まり 現在の土俵の原型とおぼしき境界線が現れはじめるのは近世初期頃のことで、 734年に宮廷行事として開始されたときからそれまで土俵は存在しませんでした 土俵の種類 南部相撲には三重八角土俵,二重丸土俵,一重丸土俵,二重四角土俵, 一重四角土俵が存在し 強く儀礼性を伴って相撲が行われる際には八角土俵あるいは丸土俵が, 鑑賞を主目的として相撲が行われる際には四角土俵が用いられていたとされる。 土俵の思想 ◎ 三重八角土俵・・・八角は八卦を基とし 55個の俵を用い「河図の全数」とされる 中国神話において語られる黄河から出現した馬の背に現れていた図を「河図」といい、 易の卦の基となったとされている。 ◎ 「四本柱土俵五行配当の因縁」・・・『相撲伝秘書』(1776)には、 四本柱に囲まれた土俵が陰陽五行説になぞらえ、土俵を巡る四方を結界し, 中央である土俵を清らかなものにするといった思想が込められている。 ◎ 徳俵・・・土俵のうち,東西南北の中央に俵を1つ外にずらし、 屋根が無かった時代の水はけをよくするために用意されたものとされるが, 四方の守り神の通い道だとする説がある。 ◎ 初日前日の「土俵祭」・・・ ・祝詞奏上(後述する相撲の守り神に対し安泰を願う) 清祓(いわゆるお祓い) ・配幣と献酒(幣を然るべき位置に配置する) ・方屋開口(相撲の由来を述べる) ・鎮物の儀(勝栗・昆布・するめ・洗米・塩・かやの実を半紙で 包んで神への捧げ物を5cm四方にし土俵に埋める) ・直会(列席者に神酒を注ぐ) ・太鼓三周(二組の触れ太鼓が土俵を三周する)
◎ 「水引幕」・・・ 吊り屋根の下に張られ北から巻いて北に終わる、 冬に始まって季節をめぐって冬に終わるように巻きます。 陰陽道で水は陰なので、これで陽である相撲を鎮める意味を持ちます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅱ・ 蛇の目土俵 と時代関係 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相撲の土俵が 蛇の目といわれていることをご存知の方も多いと思いますが、 相撲のことを調べているうちに 蛇の目砂の項が随分長くなってしまいました。 理由は 土俵や、吊り屋根自体が 「陰陽道」、「易経」などをもちいって かなり考えられた形式であることがわかるからです。 神聖な土俵に蛇の目と名前が付くこと これは 二重の輪だからという簡単な理由からつけられているのではない ということがいえると思います。 海外で 同じように相撲と似た種目がある国 モンゴル・韓国、また沖縄 で 土俵(俵)があるのは日本だけです。 また 屋根の形は昭和6年の天覧相撲より神明造りといい、 伊勢神宮の神殿のつくりを模したものです。 個人的な推測ですが 今日までに 土俵の形が 「なし→ 一重 → 二重 → 一重」と三度変わっています。 足が外にでたら負けの 相撲という競技の土俵を 二重にした理由はなんでしょうか 砂が外に落ちないように?それとも 外側の土俵を出たら負け? 案外 土俵を蛇の目と呼びたいがために 一時二重にした。 というのは 考えすぎでしょうか? いづれにいたししましても 蛇の目という模様がいかに神聖なものかということが いえると思います。 「相撲評論家之頁10周年記念連載」 7:「土俵」のはなし 大相撲東風西雅 http://www.ep.sci.hokudai.ac.jp/~tsubota/t_f_s_g/tfsg07.html 保健体育ジャーナル(教科の研究)No.58(2001年2月発行) 土俵から相撲を考える 筑波大学大学院修士課程体育研究科研究生 藤本 章 氏 http://www.gakken.co.jp/kyokatosho/hj581.html(リンク切れ) を参考にさせていただきました ◎「大相撲支援委員会」 http://www.h2.dion.ne.jp/~adex/sumou.htm 俵を半分 土に埋めた丸土俵が登場したのは江戸中期(享保年間1716-35年)の頃で直径は3.94m(13尺)だったようです。明治になると 13尺 と 15尺 の二重土俵が採用され、1931年(昭和6年)には二重土俵の内側を廃止し、直径4.55m(15尺)の土俵になります。 1946年(昭和21年)に一度 直径4.85m(16尺)に拡大されましたが、これは当時の力士達の反発が強かったために1場所限りで4.70mに、その翌場所には4.55m(15尺)に戻されたそうです。 上の項のHPと重複しますが 二重土俵の採用を明治と記していますので 「大相撲支援委員会」さんの文を引用させていただきましたが。 蛇の目土俵=明治から呼ぶようになったとさせていただきます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅲ・蛇の目土俵 資料 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
相撲史跡研究会 杉浦氏所有 下記資料は 磐田市中央図書館にて、 杉浦氏の所有する貴重な資料の展示の際 写真撮影およびネットでの掲載の許可を頂いた物です。 (まだ「へび調査隊」が結成される前でした。)
享和3年(1803年)生まれ 入幕 天保5年(1834年)1月 ~ 最終場所 嘉永5年(1852年)2月 およそ 江戸後期に活躍した力士でありますが 絵師 蜂須賀国明 (筆)が明治二十一年五十四歳で亡くなっています。 他の二代目作品としては 大相撲取組之図 明治10年(1877年) 徳川美術館 横綱土俵入之図 境川浪右衛門 相撲博物館 江川隼太永修脱走兵を鎮撫するの図 明治13年(1880年)東京大学資料 など いづれも明治時代に活躍しています。 同じように 二重土俵 蛇の目土俵を書いた絵師 に 一曜斎国輝(二代) 1830-1874年(明治7年) 享年45歳 菱川春宣筆 1890年(明治23年) 西ノ海嘉次郎 江戸東京博物館 玉波 常陸山谷右衛門 太刀山峰右衛門などを書き明治時代に活躍しました 歌川国輝 1830-1874 http://www.city.toyama.toyama.jp/shisetu/bunka/html/tayori/tayori42/tayori42.htm 江戸勧進相撲 元禄頃より観覧料をとって庶民にみせる勧進相撲が上方で盛んになる。 師 初代国貞の長女に入婿し、二代と名乗る。 力士は 左が横綱 雲龍(久吉) 右 黒岩森ノ助と思う。 雲龍は土俵入りの型 雲龍型・不知火型の雲龍に由来する。 雲龍1822年(文政5年) - 1890年(明治23年) ここでも蛇の目土俵がいつからなのか正確な年代がわからない・・・。 現時点では幕末としておいたほうが無難である。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
④ 蛇の目高台 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅰ・ 高台とは | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
同心円の輪状になっていることから蛇の目高台ともいいます。 右のイラストは 高台の一箇所を切り込んだもので 切高台といいます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅱ・ 蕎麦猪口の高台 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
次に 私の好きな書籍の中から1つ *61「古伊万里 蕎麦猪口・酒器 1000」 講談社 責任編集 中島由美さん 向付とも呼ばれ料理を盛る・薬味を入れるなどして使われたこの小鉢は 江戸時代には、猪口(ちょこ)と呼ばれていました。 江戸初期には、かけ蕎麦が主流だったものが 後期ごろから盛り蕎麦となり 蕎麦猪口として使われるようになったようです。
よくみる お茶碗等の高台は先にも述べた様に 輪高台(わこうだい)と呼ぶことが 多いと思います。 でも、蕎麦猪口に限っては 蛇の目高台が多いです。 時代が下るにつれ 高台が低くなり蛇の目高台が増えたようなのです。 蕎麦猪口(そばちょこ)の 蛇の目高台との バランスの美しさを感じるのは 私だけではないと思います。 また、左写真のように色絵のもの、染付け(右写真のような呉須(青い色の模様)や、 色絵(赤や緑で描かれたもの) ・見込み(内側にかかれた絵)・等 見所が多いのも 蕎麦猪口の魅力といっていいと思います。 釉薬を塗っていないため高台に汚れを吸い易く歴史を物語るものもあります。 ちょっと長くなりましたが 蕎麦猪口の高台 まさしく蛇の目模様でした。 そして 現在でも高値で取引されているため 本を眺めるだけのわたくしです・・・。 ◎「インターネット陶芸祭り うまか陶」さん http://www.umakato.jp/index.html(トップページ) 「ザ・コレクション 生活の中のやきものたち」 小さな名品「そば猪口」 http://www.umakato.jp/archive/coll/08_03.html こちらでも そば猪口の紹介を見ることができます。 また ここでも18世紀中頃(1750~1780年)とでています。 どうも 蛇の目傘といい 蛇の目高台といい 江戸時代中期 に好んで 蛇の目模様を使用し 広く普及していったような気がします。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Ⅲ・ 蛇の目高台 と時代関係 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そば猪口に使用される高台は幅が広い同心円で、いかにも蛇の目高台といえ、江戸時代元禄の頃に普及した事がわかりますがゴク一般的な高台も蛇の目高台と呼んだりするようで・・・。 さぁいつ頃から蛇の目高台と呼ばれていたのでしょうか? ◎「九世紀中葉・聖住寺と新羅王京人の西海岸進出」という題で 近藤 浩一(東京大学大学院博士課程)氏の論文がHP上 PDF形式でございましたので 引用させていただきたく存じます。 http://www.junreikoki.jp/pdf/kondou.pdf 韓国西海岸 新羅国 聖住寺に残る『朗慧和尚碑』『聖住寺碑』『崇厳山聖住寺事蹟』などの詳細な記録や、遺物が残っているようで 発掘調査により、聖住寺創建期の伽藍跡から唐代後期の陶磁器の特徴である、底部を削りだす形式の中のひとつである‘蛇の目高台’の青磁・白磁?など高級器皿が数多く確認されている とありますが書物や碑に蛇の目高台と記述があるのか近藤 浩一氏が形状を見て「蛇の目高台」といっているのか定かでなくお伺いしようにもすべが無く確信はできません。 ◎『中国陶磁の八千年』 矢部良明著 平凡社 より 高台は畳付が幅広い、低い立ちあがりの、日本で蛇の目高台とよぶ晩唐・五代特有の特色をもつ碗であり、内外総体に乳白色の潤いのある白磁釉がかかり、畳付だけを釉剥ぎするという~見慣れた白磁碗」(P185) にもあるように蛇の目高台とは日本独自の呼び方のようですね ただいつからか調べてみるものの 解らない・・・。 推測するに 蕎麦猪口のこの幅広の高台は猪口以外には ずんぐりむっくりの花瓶や壷だったら「あう」かもしれませんがご飯茶碗や茶道具・お皿にはバランスが悪いのではないかと思ってしまう。 後からデザイン化された蛇の目傘が番傘や和傘の総称になってしまったように そば猪口の蛇の目高台がそれ以前の同心円状の高台を蛇の目高台と呼ぶようになったとまではいいませんが 蛇の目傘や、他の蛇の目と付く物がそう呼ばれるように同心円状ということで後付けな気がします。 また時間を見て書物も調べてみようと思いますが解る方いらっしゃいましたらご指導お願いいたします。 ひとまず 蛇の目高台=江戸元禄時代とさせていただきたいと思います。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑤ 蛇の目猪口 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
外側の青い線が底より横の方に盛り上がって描かれ、澄み・色・テリをみるのに大変適しているそうです。また、鑑定に使用されるものは1つ1つ手作りで、縁から徐々に薄くし唇にあたった時の自然さを大切にしているそうで 1つ 180mlで、2000円前後する。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑥ 蛇の目(肘壷にみる) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目を広辞苑で調べると 『建築で使う金具』とでてきます。 いったい どんなものなんだろう? 肘壷自体わからない・・・。 あったあった!! webの中ですが・・・。 「日本城巡り」トップページより 城巡り→広島→城巡りのページ下方 「備中松山城」中の写真 参照肘壷の写真 http://www18.ocn.ne.jp/~shiro728/index.html 蝶番(ちょうつがい)のこと? 門扉について張り出している金具の 開き戸に付ける壷状の金具と、扉の枠に付ける肘金の間の金具 と言うことですね!! 掛川城 大手門の肘壷 掛川城 掛川花鳥園 調査記(21.4.29) より
肘壷にみる 蛇の目 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑦ 蛇の目回し | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
広辞苑 や辞書などでも、たびたび出てくる 蛇の目回し。 辞書に載っているほど耳にしたことがありませんでした。 劇場で、同心円をなす大小2つの回り舞台。またこの舞台で、中央の部分を動かさず、 外周の部分だけを動かすこと。 (広辞苑) 探しましたが なかなか これといった 説明のできる書籍等を 見つけることができませんでした。 おおよそ ドリフターズの場面 かわりにやっていた ♪ ちゃちゃら ちゃっちゃか・ちゃちゃ ちゃちゃら・ちゃちゃ ぱらぱっぱぱ~~~♪ といった音楽と一緒に舞台が回転し 場面が変わるような設備なのではと 思うのですが 「8時だよ!全員集合~~」を知ってる人も 私たち世代まででは・・・・・。 頑張って資料を探したいと思います。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑧ 蛇の目(寛永通宝)・蛇の目半両(半両銭) ~ 貨幣にみる 『蛇の目』 ~ (20年1/15) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2008年北京オリンピック のメダルの裏に見られる”玉壁”の形に蛇の目をみることができ、玉壁を調べるうちに中国の貨幣の原型にあたるものでは。 ということに往きつくことができました。 (第8章四節北京オリンピック 玉壁参照) その際画像の引用をさせていただいたサイト『初心者の為の古文銭』様のご好意で、日本の江戸期の貨幣「寛永通宝」と、中国 西漢(前漢)時代の物で、四銖半両銭 『蛇の目』と呼ばれるものがあるとご指導いただき、画像を提供いただくことができました。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寛永通宝にみる 蛇の目 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
そういったいきさつを両親に話すと「昔のお金が少しあるなぁ」ということで改めて見せてもらいました。 2枚でしたが寛永通宝がありました。思ったより薄いです。拾ったと言っていましたので踏まれて”ペシャンコ”になったのか穴まで開いています・・・。 自分なりに調べてみましたが右側は字体から新寛永の「藤沢異永」のようです。MSNオークションで『100円』でした 「ぷっぷっ(笑)買い手も付いていないようで・・・。」 左側は特徴が少ないので判りかねました・・・。が珍しいものじゃなさそうです。 でもそういった 字の違い・刻印の有無種類の違い・裏の文字などの違いで数十円~極希少もの数十万円と価値が変わってくるから面白いですね。 上記銭貨は一文銭になりますが、四文銭は裏に波の模様が描かれています。また、万治2年(1659年)までに製造されたものを「古寛永」と呼び、それ以後とで新寛永と区別されています。 前置きが長くなりましたが 「寛永通宝」の中でも希少種 元文期(1736~1740)、伏見銭の「背大濶縁」 通称 『蛇の目』です。 (『初心者の為の古文銭』様提供)
はっきりと裏側の縁が広くなっており『蛇の目』紋を見ることができます。 いつごろから呼ばれるようになったかわかりませんが これまで『蛇の目』を調べてきたところ 蛇の目傘 (元禄1688~1703年) 蛇の目土俵 (享保1716~1735年)等 通称『蛇の目』の寛永通宝が製作される前に広く「蛇の目」という呼び方が一般化しているようですので発行当初また早い段階で蛇の目と呼ばれていた可能性があるのではないでしょうか。 参考サイト様 『新寛永通寶分類譜』 「分類目次Index」「6・不旧手の類」より http://www.justmystage.com/home/kosenmaru/index.html (数万円で取引されているようなので希少種と思ったのですが、そこそこ出回っているものの『蛇の目』という俗称から人気化しているようです。『蛇の目』ってすごいですね。) 『大和文庫』「日本銭」 http://www.yamatobunko.co.jp/nihonsen/nihontop.htm (父の古銭はここで見分けることができました。) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
半両銭にみる 蛇の目 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寛永通宝につづき、おなじく『初心者の為の古文銭』様 提供の貨幣に半両銭があります。
今回蛇の目情報をくださり、画像を提供していただいた『初心者の為の古文銭』様に心からお礼申し上げます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑨ 蛇の目ミシン工業 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目傘と並び 「じゃのめ」といえばこちらでしょう 国産ミシンとして 「蛇の目」を世界に広げ 家庭用ミシン1位。日本、タイ、台湾に生産拠点を持ち。卓上ロボット、ダイカスト等産業機器も進出(2010年3月現在) これからも 一層のご発展を願わずには居れません。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
社名の由来 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
社名の由来をそっくりそのまま コピーさせていただきました。 http://www.janome.co.jp/index.htm (トップページより社名の由来へどうぞ) 内容を損なわないようにするため (メールにて連絡済み2007.12.28)
本来なら蛇の目傘・蛇の目紋と同じくらい早めに掲載したかったのですが社名ですので・・・。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑩ 蛇の目寿司 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Yahooの電話検索でも 蛇の目寿司と検索すると 251件(2007年10月現在)あります。 すし屋以外も検索に引っかかりましたので少なく見積もっても200件以上の蛇の目 寿司・鮨さんがあるでしょうか? なぜこれほど 蛇の目を冠した寿司屋があるのか?そのルーツも探っていきたいと思います。 ◎
浜松 蛇の目寿司 大将に伺った所 「東京都中央区新富の 蛇の目寿司さんが ルーツではないか」 との事です。この辺も探っていこうと思います。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
寿司の元祖 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
*63『面白い 「サカナの雑学辞典」』 篠崎晃雄 著 新人物往来者 ◎
のが寿司の起源とあります。(*63 p54) が ・・・。 ◎大化三年(647)に制定された賦役令に、鮑鮓など多数の鮓の 名が掲載されているのが最古の文献で、それから約三百年後の延長五年 (927)に完成した廷喜式(宮中の儀式や制度を定めた律令の施行細則)に は各地から種々の鮓が貢納されたということが記録されている 熟鮓(馴鮓(なれずし))を作るには数日を要するので短気な江戸ッ子には不向きであ ったが、延宝年間(1673~81)に京都から来た松本善甫なる医者は、飯に 酢を加えて一夜で鮓になる早鮓(一夜鮓・生成ともよんだ)の手法を伝え たので百石の禄を賜ったという。 早鮓を売った寿司屋の元祖は、 貞享年間(1684~88)に四谷舟町横丁で 開業した近江崖と駿河屋であろうという。これが繁昌したから各地に寿司 屋が続々と開店した。 まだ 引用したい書物が手元にありますが 先を急ぎます。のでまた時間のあるときに。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目寿司 と時代関係 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎浜松の蛇の目寿司さん の証言を基に 新富1丁目の 蛇の目さんを調べてみました。 創業慶応元年とでています。 ◎面白い 「サカナの雑学辞典」 篠崎晃雄 著 新人物往来社 には、蛇の目寿司の事も少しでていまして 東両国の蛇の目鮨が、加藤清正の家紋の蛇の目を屋号にしたこと 開店に蛇の目傘をかけた事・美味しい肥後米を使った事から 繁盛したとあります。 ただ 墨田区に現在東両国は無く 現在の両国3・4丁目辺りになるのでしょうか? それでも 蛇の目鮨さんは無い様です。 別ページ 「寿司の元祖」に 今の江戸前の寿司が貞享年間(1684~88) に始まり急速に広まったようですので 東両国の蛇の目鮨さんも貞享年間 から 慶応元年(1865年)の間と かなりあいまいではありますが 時代的に 1684~1865年の間 とさせていただきたいと思います。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑪ 弦巻(つるまき) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
蛇の目とつきませんが・・・。 「蛇の目って?」冒頭で蛇の目という言葉を辞書で調べた時に「弦巻のこと」と出てきました。 弦巻も 今では蛇の目なのです。
◎ミシンボビン(糸巻き)
WIKIで弦巻と検索すると ”世田谷地区の弦巻(地名)”として表示され、糸を巻く道具としては書かれていません。(2007年当時もありませんでしたが、2010年3月現在も変わらず) すでに、道具としての弦巻は死後となり、”蛇の目”といったほうが一般的のようです。 弦巻 と 蛇の目 の時代関係 一般的に といっても弦巻自体を知っている人が限られていると思いますが・・・。 いつ頃から 「弦巻」→「蛇の目」 と呼ぶようになったのかわかりません。 上記 武家の道具として掲載されている図を見てみても 蛇の目と書かれているものは無く ほとんどが、 弦巻と掲載されているのです。 これも 高台などと同じように 後付けであると考えられます。 時代的にも、上記”蛇の目ミシン工業”さんの社名の由来にあるように、蛇の目ミシン工業さんの小瀬與作氏が会社名を、ボビンの形を”蛇の目”とした事の影響が大きいのではとも推測します。 もし、小瀬與作氏が、ボビンの形を”弦巻”としていたら ”弦巻ミシン工業”となって、”蛇の目”という言葉が死語になっていたかもしれません。 本来なら、糸を巻く道具ですから弦巻と呼ぶ方が可能性が高かったのでは?小瀬與作氏の国産にかける情熱と”蛇の目”にこだわった功績に感謝です。 二重の同心円から そう呼ばれるようになったのではと思いますが いつごろからそう呼ばれるようになったのかわかりませんが 別年表から江戸時代以降に急に蛇の目と云う呼び方をされるように思いますのでそれ以降だと思いますが保留させていただきます。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑫ 商品名に | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
熊本製粉 薄力小麦粉『じゃのめ』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『じゃのめ』 を そのまんま商品名にしてしまった薄力粉を見つけました。 なんと 裏には最高級薄力粉とも!! 詳細はブログ参照 (2012.03.27)
Q1.小麦粉しろくま(中力粉)の名前の由来は? A1. 創業当時より「しろくま」のブランドで展開していたため詳しい理由は正確にはわからないのですが、 「白い粉」のイメージと当社熊本製粉の「熊」から「しろくま」がシンボルマークとなりました。 また、鹿児島のアイス「シロクマ」とは無関係です。 Q2. 小麦粉じゃのめ(薄力粉)の名前の由来は? A2.加藤清正の家紋「蛇の目紋」からです。 (やっぱりね。) Q3.小麦粉にじ(中力粉)の名前の由来は? (わたくしは勝手に、世界的にも虹と蛇とを同一視する地域があるので蛇の目紋の「へび」と「にじ」 との関連を想像していたのです・・・が。) A3.「雨上がりの虹のように明るい食卓にしたい」との思いからです。 なるほど 熊本製粉株式会社 さんの理念 ”暮らしにすてきをとどけたい” コーポレートメッセージにかなったブランド名になっていたのである。 パッケージ裏には最高級薄力粉と記されているように最高品質の薄力粉を加藤清正蛇の目紋のイメージに重ねたこの商品。 安土桃山から江戸初期の戦国の世を駆け抜けた、忠義に厚く城造りだけでなく治水(農業)にも力を入れた清正公のイメージと熊本製粉さんのコーポレートメッセージにぴたりと合っている。 薄力粉『じゃのめ』 ・・・ 惚れ惚れするような誇らしiい名前である。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
三、ジャノメとつく動物 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
① ジャノメアメフラシ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
① ジャノメイシガメ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[学名:Sacalia bealei]のSacaliaはイシガメ。 bealeiはビール(お酒?) [英名:Chinese Four-Eyed Turtles]中国四つ目亀 , [Beal's Eyed Turtle]ビール目の亀? |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
② ジャノメガザミ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[学名:Portunus pelagicus]のPortunusはガザミ。pelagicusは海洋。Sanguinolentusは血まみれの [英名:Red spotted swimming crab] 赤い斑点のワタリガニというとこでしょうか。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
③ ジャノメチョウ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎幼虫 形は、長い紡錘形かナメクジ形。色は、普通淡黄緑色~淡茶褐色。 葉上に生活するもの、昼に小石や落ち葉に潜み夜活動するものなどがいる。 ◎食草 主にイネやカヤツリグサ科を食べる。また竹や笹を食べるものもある。 ◎蛹 普通は垂蛹(すいよう) 尾の部分にある、カギ状器官だけで逆さ吊りになる 色は緑か褐色 。 ◎成虫 一般に樹林の中など薄暗いところを好み、曇天や夕方に活動するものが多い。 受益・動物の糞・腐果によく集まる。 花を訪れ吸密するものは少ない。
◎「昆虫館」 で、ジャノメチョウのいろいろな種類を見ることができます。 http://insects.life.coocan.jp/index.html(トップページ) ページ下の方 ジャノメチョウ科 へお進みください。 http://insects.life.coocan.jp/Specimens/Janomechou.htm(分からない時はこちらから) 世界各国にいっぱいいるようですね。 一見地味に見えますが綺麗なものも多いです、だんだん愛着が湧いてきました。 それにしても 見事な蛇の目模様が入っています。 自然の不思議ですね。 なんで、蛇の目の模様をしているか 調べていたのですが 、 やはり 蛇の目模様の大きいものは天敵を脅かすものであるらしいです。 蝶の敵、鳥は特に目玉模様を怖がる性質のあることが実験によって 確かめられている。ということです。 蛇の目模様の小さいものは動物が獲物を襲うときは必ず頭のほう、 すなわち目玉のあるほうを狙う。 鳥は小さな目玉模様を見ると蝶の頭だと思って嘴で突付いてくる。 蝶は多少傷ついても、鳥に小さな眼状紋のある後翅を突付かれている間に 逃げ出すチャンスがあるというわけのようです。 大きい蛇の目と小さい蛇の目の両方を持っている ジャノメチョウってスゴイ!! でも 近年ジャノメチョウの好む環境が自然破壊で減少し、絶滅に拍車を掛けて いるようです。森も自然も守っていきたいですね。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追記 ◎愛知県のジャノメチョウ (20..10/9) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追記 ◎ヒメジャノメ (21.6/15) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『蛇の目ブログより』 キャホ~~!! 庭の枝を切った後始末・掃除をしていたら ジャノメチョウを発見!! 早速動画に撮りました。 いくつか動画を撮り、飛んでいる姿を収めたかったのですが 結構 飛ぶスピードも 早くてカメラが追いついていませんね。 コマ送りでも 羽を開いている姿はわかりませんでした・・・・。 地味ではありますが 実に ”けなげ” 「カラー自然ガイド 日本の蝶Ⅰ」保育社 をみると 『ヒメジャノメ』であることが解りました。 たぶん♂
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
追記 ◎スカシジャノメ (10.07.13) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
◎「へび調査隊記」 竜洋昆虫自然観察公園 より こちらも 標本なんですけどね・・・。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
④ ジャノメドリ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑤ ジャノメナマコ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ネット翻訳にて [学名:Bohadschia Jaeger] Bohadschiaは(黒)ナマコ。 Jaegerはトウゾクカモメ?猟師? [英名:Spotted Sea Cucumber] のSpottedは斑点。Seaは海。Cucumberはキュウリ。 Sea Cucumberでナマコです。 ジャノメナマコ ココまで 『へび調査隊記』 名古屋港水族館 (21.5.6) より |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献 *83 ジャノメガザミ図 「小学館の学習百科図鑑3 魚貝の図鑑」 編集発行人:相賀徹夫 印刷所:大日本印刷㈱ 発行所:㈱小学館 発行:1972 *84 「週間朝日百科 動物たちの地球18」 鳥類Ⅰ⑥ タンチョウ・ヤンバルクイナ・バンほか 編集人:野上毅 発行所:朝日新聞社 発行:1991 (写真2枚ともM.fogden(O)氏) *85 「原色細密生態図鑑 世界の動物(5) 鳥(Ⅰ) 監修:吉井正 発行者:三木章 発行所:㈱講談社 発行:昭和57年 *90 ニューワイド 学研の図鑑 「ニューワイド水の生き物」 発行人:伊藤年一 編集人:鈴木進吾 株式会社学習研究社 2000年 参考サイトさま takayanの雑記帳 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
四、ジャノメとつく植物 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
① ジャノメエリカ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[学名:Erica melanthera] Ericaceaeは「ツツジ科」。 Channnelled は「溝のある」。Melantheraは「黒い葯」。 [英名:channelled heath] Heathは「荒野」。 Ericaは、ギリシャ語で「裂ける」を意味する(Ereiko)に由来し枝が裂けやすい種があったため。 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
② ジャノメギク(寒咲きジャノメギク) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
属名からもヴェニディウムと呼んだほうが正式と思われますがベニジューム、ベニジュウムと呼ぶのが一般的なようです。 ネット翻訳にて [学名:Venidium fastuosum] Venidiumは「すじ」の意味。 fastuosum は「誇り高き」。 [英名:Monarch of the veldt] Monarchは「君主」。 veldtは「(アフリカ南部)の草原」 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
③ ジャノメキンバイ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
④ ジャノメソウ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ネット翻訳にて [学名:Coreopsis tinctoria] Coreopsisは「ハルシャギク属」。 Tinctoria は「染色用の、染料の」。 [英名:Plains coreopsis] Plains は「平野」 Coreopsisは「ハルシャギク属」 Coreopsis(コレオプシス)は、ギリシャ語の 「coris(南京虫)+ opsis(似ている)」が語源で、 実の形が南京虫に似ているという意味。 (南京虫=床虱(とこじらみ) : : |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑤ ジャノメマツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
⑥ ジャノメアカマツ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
[学名:Pinus densiflora f. oculus-draconis] Pinus は属名で「突き出たものとか、山という意」から「松の木」。 densifloraが種小名で形容詞です。(意味は密に花のあると言う意味です。) Oculusはラテン語で「目」を意味し、draconisは「ドラゴン、竜」 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献 *86 「花屋さんの花図鑑」 発行人:白澤照司 発行所:㈱(草土出版) 発行元:㈱星雲社 編集:宮崎裕子、滝澤佐英子 発行:平成6年 植物 翻訳参考サイト 日だまり仔猫-園芸専科-様 種小名(種形容語)索引 天井(あまい)鍼灸院様 植物の学名 熱帯地域の花と樹様 外国の樹木について質問とお答え |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
『へびって?』(”へび”の事を調べてるページ) 蛇の目ってなんぞや?!(ホームに戻る) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||