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富士市立博物館 |
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http://museum.city.fuji.shizuoka.jp/cms/index/ (公式ホームページ)
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所在地 |
静岡県富士市伝法66-2 |
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電話番号 |
0545-21-3380 |
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駐車場 |
無料 あり。 |
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開館時間 |
4月~10月/9:00~17:00
11月~3月/9:00~16:30 |
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休館日 |
月曜日(祝日の場合は開館)
祝日の翌日 12月28日~翌年1月4日 |
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入館料金 |
大人100円/小中学生50円
(団体20人以上 割引あり) |
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*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
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富士市立博物館は西富士道路「大渕・広見インター」より3分というアクセスの良い場所にあり、広見公園という広大な敷地の一角に ある。
主な展示物は 広見公園東側にある本館(富士市立博物館)、本館の道路北側にある分館(歴史民俗資料館)、そして、広見公園敷地内にある静岡県指定有形文化財旧稲垣家住宅をはじめ、横沢古墳、江戸時代末期の樋代官長屋門、大正時代の杉浦医院などである。
各所に昔の佇まいや、歌碑などがあり、「みどり」と「歴史」に親しみやすい非常にゆったりとした時間を過ごせる環境にある。
それでは レポートと思いますが、まず本館 富士市立博物館から。
エントランス |
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エントランス左手には、製紙の街だけにドライヤーという大きな紙を乾かす物体、カッターという大型の裁断機が置かれていました。
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富士の生い立ち |
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富士市の周辺の土地条件、生成などの紹介
富士山の成り立ちをパネルで展示。
雪だるまが出来上がるように溶岩の上を溶岩が転がり直径50cmほどの溶岩球の展示。
などがありました。 |
縄文時代 |
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左上から
打製石器、磨製石器、石匙、錐
(上段 いづれも天間沢遺跡)
石鏃
(中段 天間沢遺跡)
下段左から
石刀、石棒、石剣
(浅間林遺跡) |
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左から
縄文土器
(天間沢遺跡、縄文中期~後期)
中段
人面装飾付釣手土器
(破魔射場遺跡、縄文中期)
下段
縄文土器 深鉢
(浅間林遺跡、縄文中期) |
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左から
土偶(複製・富士宮杉田安養寺所蔵)
注口土器(縄文後期、絲夜姫遺跡)
黥面土偶(縄文晩期、北久保遺跡)
顔面把手(天間沢遺跡)
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鏃などの原料になった黒曜石と縄文土器の破片に触ってみることもできました。 |
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稲作の始まりと古墳時代 律令時代 |
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弥生時代の壺
主に向山遺跡出土
左手前は江尾出土
右端に半分見えるのは
田下駄(複製) |
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耳環、首飾り(手前中央)
中里k-95号墳出土
横瓶、平瓶など
中里k-99号墳出土
銅製杓子型壺鐙
東平一号墳
直刀
東坂古墳出土 |
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子持勾玉、滑石製有孔円盤、
滑石扁平勾玉
(古墳時代後期、沢東A遺跡)
子持勾玉は河川の合流する、低湿地に位置することから水に関するまじないに供されたと考えられている。
土師器甕
(古墳時代後期、沢東A遺跡)
(平安時代前期、三新田遺跡A遺跡) |
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律令時代 |
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富士郡衙関連資料の他、寺院や信仰関連資料を通して、古代人の生活の一端を紹介しています。 |
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富士山信仰 |
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古代の郷土は、富士山の火山活動のもっとも激しい時代であり、山は絶えず噴煙を吐いていました。住民は富士山を畏れ敬い神格化し、山麓に浅間神社を祀りました。後に、富士修験の活動が始まり、村山を拠点に富士山を曼荼羅世界の具現としてとらえ、富士登山を修行としました。近世以降、急速に発展した富士講は信仰とレクレーションをかねた富士登山の魅力によって庶民の間に大流行しました。こうした信仰変遷の様子を展示しています。 |
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上記写真資料の多くは富士山村山大宝院 秋山家の貴重な資料。秋山家は戦前まで「法印さん」と呼ぶ修験道を実践する山伏で富士山表口登山道を支配していました。
へび調査隊の期待する 富士講と”へび”との関係は、どうもこの日の展示物から見出すことはできませんでした。 |
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紙ができるまで |
チップサンプルや、抄紙機の模型などを展示。
紙の製造工程を学ぶことができます。 |
おうちの道具 こちらは常設展示ではないと思います。 |
昔の人の道具、衣服等の展示がありました。
「この道具は何の道具?」というクイズに全問正解で
トイレットペーパー プレゼントという企画も。
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立派な建物 |
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出来たばかりの立派な建物。
館内は古民具が。確かに貴重な資料がいっぱいですが ちょっとこの建物はもったいないような気が・・・。
そして館内は撮影禁止。 |
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子供の撮影も兼ねて入口からの写真だけ許可を得て撮影させていただきました。
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杉浦医院 |
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大正8年(1919)に伝馬町(現中央町1丁目)に建てられる。
一見すると洋風の建物ですが、2階には和室があり1階が医院として使われました。初代の秀宜氏が開院。 |
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樋代官植松家住宅 |
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江戸時代、厚原で鷹岡伝法用水の管理をしていた植松家の住宅です。建てられて百数十年を経ていると思われますが、その当時の建物としてはめずらしい2階建て
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東平遺跡竪穴住居 |
復原された竪穴住居は、高床倉庫と同じ9世紀前半のものです。武器等も数多く出土し、集落の中心的な役割をもった人が住んでいたと考えることができます。また火災によって焼失した住居であったため、土器のほか木製の皿などの生活雑器も出土しました。東平遺跡では、このような住居跡が300軒近く発見されています。
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遊具 |
小規模なのですが・・・、 やっぱり子供隊員達は こっちの方が良かったか? |
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その他にも
旧稲垣家住宅(静岡県指定有形文化財)
旧松永家住宅
東平遺跡高床倉庫
旧独楽荘石倉
なまこ壁の倉
眺峰館
などありました。
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感想
こちらの縄文土器にも見事な”へび紋”を見ることができました。
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”へび”紋を『S字』にして把手の装飾にしている感性。
『ブラボー』
”へび”と関連ありそうな縄文土器、石剣、石棒が天間沢遺跡、浅間林遺跡から出土していますので、おおよその場所を今回の調査旅行の地図と重ねておきました。
富士川河口の破魔射場遺跡からは甲斐の土器が出土しているようです。(時代の詳細は不明) |
富士講と”へび”との関連からも 主な浅間神社の位置を赤矢印で記しました。
地図にしてもあまり関連なさそうですが、なんか住み分けをしていそうな気もします。富士山の噴火により縄文時代だけでなく詳細な情報はわかりかねますね。きっと。
特に これは!!
といった”へび”は見ることができませんでしたが、
ここ富士市立博物館は完全にわたくし隊長のみが来たかった場所なのでした・・・。
よかったよかった。
この博物館で、主な静岡県内の博物館は行ったことになるのかなぁ?
(登呂遺跡は子供の頃に何回か。地元密着郷土資料館は除く。)
さっ・・・後は他の調査隊達員を満たしていかなくては。
(ここの公園の遊具でも喜んでいたけど 富士まで来てこれでは。)
1日目 奇石博物館 につづく
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