蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2010年06月17日
 県道62号線を通っての買い物の帰り道 道に面した神社に”茅の輪くぐり”。
 時間があったものですから巳美隊員(家内)に「ちょっといい?」と聞いて 車をユーターンするのでした・・・。
賀茂神社 茅の輪くぐり
 (公式HP 無し?)

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所在地 静岡県浜松市中区東伊場1丁目17
駐車場 無料 数台分
 
 
茅の輪くぐり
手水舎 手水舎の龍
由緒書き 拝殿 本殿






感想

 今年の 『へび調査隊記 江島神社』 (10.3.29) にあるように”茅の輪くぐり” 初体験でしたが、 早速浜松市でも見かけてしまいました。
 神社の伝言板には 6月14日、6月15日と 祇園祭を行ないますと書いてありましたので、お祭が終わった後だったのでしょうか。月、火と昔ながらの例祭を守っているようです。 ちなみに京都三大祭りの、祇園祭(7月の1ヶ月間)、上賀茂神社・下鴨神社の葵祭(5月15日)、平安神宮の時代祭(10月25日)
です。6/14・15にお祭がある由縁はなんなんでしょうか?

 この神社周辺は”伊場”という地名で弥生時代~平安時代の遺跡として浜松では有名です。調査隊も『浜松市伊場遺跡資料館』(09.09.23)に伺っています。
 
 ちなみに ”伊場”をWIKIで調べるとこのあたりの歴史と加茂神社との関係を知る事ができました。

『東伊場はかつて、山城国相良郡の賀茂神社の荘園で岡部郷と呼ばれていた。伊場と呼ばれるようになった時代や理由は定かではないが、賀茂神社領の斎場(いみば)であったところから「いば」に転じた、または伊場遺跡から多くの量の鋳物が見つかったことから「鋳物の場」つまり「鋳場」となって後に伊場となったなどの説がある。この領地を所有していた岡部氏はかつて京都上賀茂神社の神官をしていた賀茂成助にはじまり、成助の子孫にあたる賀茂師重の長女筑前局が文永年間に岡部郷を領地として賜り、筑前局の弟の孫にあたる賀茂定朝が京都からこの地に赴き土着した。国学者賀茂真淵はこの一族である。』WIKI 「伊場」 [最終更新 2010年10月10日 (日) 09:19 ]

 上記写真の中に由緒書きがあるのですが、雨にぬれていて写真の画像からはよく読めませんでした。うっすらと読めるのは”山城国””岡部の代官””光厳天皇”といったような文字ですので おおよそ上記のような内容が書かれているのでは。宮司さんのような方が居たので伺っておけばよかったです。

 わたくし達がまず手水舎で清めていると、ちょうど反対側の社務所?公会堂からサークルでもあったのでしょうか、おばちゃんたちと宮司さんらしき方が続々出てきたんですよ。
 それで わたくしが、「いつの時代から茅の輪くぐりがあるんですか?」とかお伺いしていたら、「それじゃ子供達も皆さんもどうぞどうぞ と遊びに来ていた近所の子供達もさっきのおばちゃん達も一緒に20人くらいが左回って右回って---と回りだしちゃって・・・ なんだか可笑しかったです。

 何でも「松尾大社で行なわれている茅の輪くぐりに習って10年くらい前から・・・」とのことでした。 江の島神社のようにココの茅の輪も人のケガレを払うだけでなく ”楽しむ”という要素を含んでいるようです。。(笑)

 ちなみに松尾大社 「茅の輪神事 夏越しの大祓い」 2011年は6月28日(火)~30日(木)です。12月の大祓である年越の祓にも行なわれるようです。

 そんな訳で この”茅の輪”の形状も第11章茅の輪に転載しますね。

おしまい。
 
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