蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
浜松市伊場遺跡資料館 09年9月23日

 伊場遺跡とその周辺に連続している城山(しろやま)遺跡・梶子(かじこ)遺跡など(広義の伊場遺跡群)から、これまでに発見された出土品を中心に展示しています。

所在

〒432-8018
静岡県浜松市中区東伊場二丁目22-1
TEL 053-454-1485

観覧料金 無料
開館時間

9:00~17:00

休館日

月曜日(祝日の場合は開館し翌日・翌々日が休館)
休日の翌日
年末年始(12月29日~1月3日)

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
施設全体マップ
(パンフレットより)
 主な展示物
ひれ付土器

最初の調査で発掘された特徴的な土器


1949年市西部の小学生がアメリカの艦砲射撃でできた穴から土器片を見つけ担任の先生が試掘でこの「ひれ付土器」を掘り当てました。
その後の発掘調査で静岡市の登呂遺跡に匹敵する弥生時代農業集落である事が分かりました。
奈良時代の木簡

伊場遺跡付近に古代の役所があったこと、また、”浜津郷”と書かれた木簡から浜松の古い地名を探るきっかけにもなりました。

 大壕からは木簡が大量に出土しています。
縄文土器

 紀元前1500年頃
 でも、蜆塚遺跡出土

 どちらかといえば弥生式にもありそうな装飾と思う。
梶子遺跡出土品

石槍(左)
 弥生時代中期
 サヌカイト製(大阪府・奈良県堺の二上山産)

土器片は縄文土器(右側) (紀元前500年)
 おそらく上記蜆塚遺跡のような模様と形が近いものなのでしょう。こちらも近畿との交流を物語っているそうである。
磨かれたやじり(中央右)
 城山遺跡出土 

磨かれたやじり(中央左)
 向山遺跡出土 

石の斧(左手前)
伊場遺跡出土品
 弥生時代後期(2世紀頃)

砥石(奥左)
  鉄を研いだもの

石の斧(奥右)

石のやじり(手前)
 伊場遺跡から鉄器は見つからなかったようだが、当時から鉄を扱った証拠となっている。 弥生時代後期はまだ石製品を使っていたが、やがて鉄製品と交代していった。
甕(かめ)
 弥生時代後期(2世紀頃)

煮炊きをしたすすの後があり、装飾は見られない。
銅鐸模様の高杯
 伊場遺跡出土(東伊場町)
 
 銅鐸のような鋸歯紋や斜格子紋が描かれている。
 
弥生式時
弥生時代後期(2世紀頃)

 天竜川を境に土器の土の色、模様、形が違うことを表している。
 どちらも伊場遺跡出土だが左の土器が多く出土しており、櫛で描いたような模様。
 右は東から運ばれたもので色は黒っぽく縄を転がしたような模様。
弥生時代の祭りの道具

袋井市浅羽郷土資料館にあった小銅鐸と同じような小銅鐸。

銅鏡を模した土器片。
近畿式銅鐸の飾耳片
紡錘車

糸を紡ぐ道具 
木の(よろい)

 『ヤナギの木を削って模様を刻み、赤と黒色に塗り分けた甲の背当ての約半分です。
 甲は戦争のときに体を守る道具です。この甲は実戦用ではなく、お祭りに使われたと考えられます。』
左写真のものは複製品
三彩陶枕(さんさいとうちん)

城山遺跡
奈良時代(710~784年)

 『腕枕として使われたものです。三彩が施された高級品で中国(唐)からの輸入品と考えられます。』


 こちらも美しい彩色でなかなかすばらしい出土品ですよね。 

資料館外の展示物


古墳時代の復元住居

6世紀頃の竪穴住居

壁や建物は埴輪からの想像で作られている。

住居中央にはかまどがありこの時代くらいから普及したらしいとのこと。
弥生時代の環濠

 2世紀頃の伊場のむらを囲んでいた環濠の一部です。
ここから南に直径約120mにわたり3重の環濠が掘られていたそうです。

 環濠には大量の弥生土器、木の鋤や鍬がすてられており、日本最古の木の甲(短甲状木製品)もここから出土したそうです。
感想

 この伊場遺跡は浜松市博物館の分館という扱いになっていますが、出土品は弥生時代を中心に縄文土器片~古墳時代、室町時代くらいまでの様々な遺跡が重なっている複合遺跡であり、出土数はかなりにのぼりそうだ。
 展示物もそれなりに充実していると思います。

 今回、へび調査隊としての成果はありませんでしたが、無料でありながら、なかなか見ごたえがありました。
 まず、
 天竜川を境に弥生土器の色や様式が変わってくるという事実は非常に面白い事でした。
 銅鐸に関しても伊場遺跡では出土例が無いものの浜松市が出土地点数が全国最多である事。
 また大型青銅器製銅鐸は西日本に分布し、天竜川から東地域はほとんど出土していないということも面白い事です。
 小銅鐸も数例しか出土してないということで貴重なものを見る事ができます。 浅羽町にあった小銅鐸との関連性も調べたくなっちゃいますね。

 登呂遺跡並みの弥生時代の遺跡であり、日本最古の木の甲の出土がありながら規模が狭いという理由か、いまいち伊場遺跡の知名度が低い(入場者数的に)ことが残念でなりません。

 ここでは西暦に直して掲載していますが出土品の時代表記を、1800年前とかでなく 西暦200年とした方が他の遺跡との比較がしやすくなりますし、時代が分かりやすいのですが・・・。特に、「奈良時代約1200年前」という表記はどうかと思います。


 静岡市と浜松市では同じ静岡県なのにまったく違う文化圏な気がするのは弥生時代以前からの問題だったようですね。

おしまい
 
 
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