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ひれ付土器
最初の調査で発掘された特徴的な土器
1949年市西部の小学生がアメリカの艦砲射撃でできた穴から土器片を見つけ担任の先生が試掘でこの「ひれ付土器」を掘り当てました。
その後の発掘調査で静岡市の登呂遺跡に匹敵する弥生時代農業集落である事が分かりました。 |
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奈良時代の木簡
伊場遺跡付近に古代の役所があったこと、また、”浜津郷”と書かれた木簡から浜松の古い地名を探るきっかけにもなりました。
大壕からは木簡が大量に出土しています。 |
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縄文土器
紀元前1500年頃
でも、蜆塚遺跡出土
どちらかといえば弥生式にもありそうな装飾と思う。 |
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梶子遺跡出土品
石槍(左)
弥生時代中期
サヌカイト製(大阪府・奈良県堺の二上山産)
土器片は縄文土器(右側) (紀元前500年)
おそらく上記蜆塚遺跡のような模様と形が近いものなのでしょう。こちらも近畿との交流を物語っているそうである。 |
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磨かれたやじり(中央右)
城山遺跡出土
磨かれたやじり(中央左)
向山遺跡出土
石の斧(左手前)
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伊場遺跡出土品
弥生時代後期(2世紀頃)
砥石(奥左)
鉄を研いだもの
石の斧(奥右)
石のやじり(手前)
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伊場遺跡から鉄器は見つからなかったようだが、当時から鉄を扱った証拠となっている。 弥生時代後期はまだ石製品を使っていたが、やがて鉄製品と交代していった。 |
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甕(かめ)
弥生時代後期(2世紀頃)
煮炊きをしたすすの後があり、装飾は見られない。 |
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銅鐸模様の高杯
伊場遺跡出土(東伊場町)
銅鐸のような鋸歯紋や斜格子紋が描かれている。
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弥生式時
弥生時代後期(2世紀頃)
天竜川を境に土器の土の色、模様、形が違うことを表している。
どちらも伊場遺跡出土だが左の土器が多く出土しており、櫛で描いたような模様。
右は東から運ばれたもので色は黒っぽく縄を転がしたような模様。 |
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弥生時代の祭りの道具
袋井市浅羽郷土資料館にあった小銅鐸と同じような小銅鐸。
銅鏡を模した土器片。
近畿式銅鐸の飾耳片 |
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紡錘車
糸を紡ぐ道具 |
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木の甲
『ヤナギの木を削って模様を刻み、赤と黒色に塗り分けた甲の背当ての約半分です。
甲は戦争のときに体を守る道具です。この甲は実戦用ではなく、お祭りに使われたと考えられます。』
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三彩陶枕
城山遺跡
奈良時代(710~784年)
『腕枕として使われたものです。三彩が施された高級品で中国(唐)からの輸入品と考えられます。』
こちらも美しい彩色でなかなかすばらしい出土品ですよね。 |
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