蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
袋井市立 浅羽郷土資料館   『へび調査隊記』  (09年8月18日) 
 藤枝にお墓参りに行った帰りに急遽 南下し、袋井市立 浅羽郷土資料館に行ってみることにしました。 急に決めたのでカメラを持っていませんでしたが・・・。
浅羽郷土資料館 その1
浅羽郷土資料館

HPは無し
袋井市公共施設ガイド

所在

〒437-1102
静岡県袋井市浅名1021 
TEL 0538-23-8511

観覧料金 無料
開館時間

9:00〜17:00(入館は16:30まで)

休館日

月曜日(祝日の場合は開館し翌日・翌々日が休館)
ゴールデンウィークは5月3〜5日は開館し6〜8日は休館
年末年始(12月28日〜1月4日)
特別整理期間

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
 カメラを持って無いなんて もう〜あほあほ。 建物写真はパンフレットからです。
 
第5礫群のジオラマ
磐田原台地 山田原遺跡  
 旧石器時代 1万5千年前の集落跡
礫(火を受けている)は実物を使用

手で触れることができるようになっている。

旧石器時代の槍先形尖頭器・ナイフ形石器なども展示されています。
縄文土器
長者平・大畑遺跡
 約5000年前

 紀元前3000年頃 時代区分で言うと縄文時代中期です。
この頃より立体的模様の大形土器が出土し始めますが遠州地方には火焔土器のような土器は少ないようです。
 祭事というより実用的に使用されてきた側面が大きいと思います。
 ただ、この頃盛んに作られた 石棒や石剣といった呪物に使われたであろう遺物がこの大畑遺跡からも出土しています。


 
甲冑 (三角板革綴短甲・三角板革綴衝角付冑・板綴・頚甲・肩甲)
静岡県最大の方墳 五ヶ山B2号墳 (浅名)
 古墳時代・5世紀前半
 静岡県指定文化財

県内から初めて一式揃った形で、左記甲冑革製の盾などが出土している。


 当時相当な豪族がいたことを示している。


漆塗製品
 上記甲冑と同じ古墳から出土
 盾は埋葬者の上に置かれ、漆膜のみが残り、盾は朱と黒に塗り分けられていた。

 模様は違うものの浜松伊場遺跡出土の鎧のような色と美しいコントラストが想像できますね。

 (復元イラストは藁半紙印刷物からわたくしが色付け。)
蛇行鉄剣・鉄鏃・鉄鉾・鉄斧
 石ノ形古墳 鉄製品
 古墳時代・五世紀後半

今回一番の注目がこの蛇行鉄剣です。
これだけ蛇行していると鞘に収めるものではなく権力の象徴として実戦でなく誇示する物だったと思われます。
 そしてこの特徴的な形はまさにへびを表していると推測する。
 
 今まで 古墳時代は古墳の装飾のみと思っていましたが 後の東京国立博物館の調査で古墳時代にもへび民族の流れが続いていたのではと考えました。  (東京国立博物館調査記 参照)
小銅鐸
 愛野向山遺跡
 弥生時代2・3世紀
 高さ7.5cm (銅鏃3.5cm)
 
 「銅鏃に麻の紐を巻き付けて舌に転用している。紐の内側頂部には摩擦痕があり、実際にぶら下げて鳴らしていたことが分かる。」
有孔偏平礫 (自作イラスト)
 上記小銅鐸と同時に出土
 弥生時代2・3世紀
 約5.0×7.0cm
この他
 ・極小偏平刃石斧 ・ガラス小玉(ネックレス)も同時に出土

 残念ながらカメラを持っていかなかったのでスケッチですが豊橋市美術博物館蔵の嵩山蛇穴遺跡 有孔土製円盤と大きさといい形といい極似しています。
 
 
感想
 
 まず、有孔偏平礫についてです。 
 中国において 玉璧・玉斧・玉鉞 とは権力の象徴とされてきました。 また王族の墓で遺体と一緒に埋葬されました。 詳しくは(北京オリンピック 玉璧 参照)
 そこで、この有孔偏平礫がどのような状態で出土されたかお伺いしてみました。

 「この有孔偏平礫は・小銅鐸・極小偏平刃石斧・ガラス小玉とともに出土し、遺体の上か横かは分かりませんが遺体の側で出土しました。 土器の破片ではなくこの形を作ったと思われます。また、埋葬された人物は王族の長というよりその土地で祭事を司っていた人物と推測されています。 」

 ということを 考慮いたしますと 玉(翡翠)で造るほどの力は無いものの まつりごとを行う為に必要なものであり、中国から文化・思想が、もっといえばそういった民族の移入があったことを推測できるわけです。
 結論から言いますと この有孔偏平礫は 玉璧を想定して造られたものであり、わたくしの思う土壁であり、「蛇の目」である。と推測させていただきます。

 豊橋の嵩山蛇穴遺跡の「蛇の目」が縄文時代早期(BC8000〜7000年)でした。そしてこの愛野向山遺跡の「蛇の目」が弥生時代(西暦100〜200年)。 この長い期間めんめんとどういった民族の流れがあったのか思いをめぐらすと非常に面白いですね。

 また 古墳時代にもへび民族がこの地にいたであろうと推測できる蛇行鉄剣。今回の調査は非常に有意義であり収穫の大きなものでした。

 最後に この施設ですが、規模的にはそれほど大きいものではありません。しかし、小さいながらも2階建て施設で1階2階とも無駄なく利用されしっかりした展示物もあり非常に充実していると思いました。
 『遺跡でたどる袋井のあゆみ』という小冊子を無料で配布しており、歴史に対して興味が湧き易いような取り組みを感じました。今回カメラを持ってきませんでしたが、今回のレポート写真はすべてこの小冊子から引用させていただきました。無料でというのはサービスしすぎとも 思ってしまいましたが、ハコモノに莫大なお金をかけるのならばこういった取り組み、地域との交流の場としての施設の取り組みに納得がいきます。
 また、説明くださった方の理解度、遺物に対する認識度も高いものがあり頭が下がる思いでした。
 浅羽郷土資料館、『へび調査隊』としては4つ☆以上を付けたいです。

 
 おしまい。

 
 
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