神社全景 |
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<由 緒>
大昔、今日の泥亀町から釜利谷東一帯は大きな入り江でした。この入江と平潟湾とは、今の瀬戸橋の位置にあたる狭い水路状の海峡でつながっていました。
そしてこの小さな海峡は、潮の干満の度に内海の海水が渦を巻いて出入りする「せと」でした。古代の人は水流の険しい「せと」を罪穢れを流し去ってしまう神聖なところとであるとして、豊かな幸をもたらしてくれる神々をここに祀りました。
これが瀬戸神社の起源で、発掘された祭祀遺物などから古墳時代に遡るころと考えられます。
鎌倉に幕府を開いた源頼朝は、伊豆での挙兵にあたって御利益を蒙った伊豆三島明神(三島大社)の分霊をこの「せと」の聖地に祀り、篤く信仰しました。
社殿の造営も行われ、今日のような神社の景観が出来上がったのは概ねこの頃のことです。
以後、金沢(六浦)の地は港町として発展し、鎌倉と関東一円を東京湾や利根川を水系利用して結ぶ水上物流の集散地となりましたから、執権北条氏、ことに金沢に居を構えた金沢北条氏、また関東管領足利氏や小田原北条氏の崇敬も篤いものがありました。 |
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神社鳥居左手 |
境内 手水舎 |
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拝殿 |
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本殿 |
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主神 |
大山祇命 |
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大山祇命は伊予国(愛媛県)大三島の大山祇神社、伊豆国(静岡県)三島大社の祭神と同神で、港の神、海上渡航の神、交易の神として古来より信仰され、交通安全、旅行安全、商売繁盛の守護神として知られています。
また同時に、そのお名前の通り山の神であり、森林そして水源地を司られることにより人間の生命に直結するお働きを顕しておられることはもちろん、金属・岩石・木材・鳥獣・草花などの建築資源・生活資源の多くはこの大神の恩恵によるものです。
また、娘神である木花咲耶姫を天孫瓊瓊杵尊の后神とされ、木花咲耶姫の御生みになった御子神が、いわゆる山幸彦・海幸彦にあたります。
ですから縁結び・安産の神でもあられますし、皇室の外戚となられた国つ神の代表として国土の経営にも御功績を現わされた調和のある国土開発、国家安泰の神でもあらせられます。 |
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配神 |
速須佐之男命 |
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速須佐之男命は天照大神の弟神ですが、八岐大蛇を退治した神様であることで有名です。自然界や人間界の罪やけがれ、病気や邪悪なものを追い払い、人々の苦しみ、悩みを除いてくださる災厄消除・病気平癒・破邪顕正の神様です。7月の天王祭には大神輿で氏子町内をくまなく巡幸されます。 |
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配神 |
菅原朝臣道真公天神様 |
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菅原道真公は、学問、書道の神であるばかりでなく、誠実・忠節、清廉にして勤勉の神様でもあります |
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蛇混柏 |
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横から幹の空洞を |
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文明十八年(一四八六) 萬里和尚の詩の自註に「六浦廟前有吉柏屈繁」とあり、延宝八年(一六八〇)八月六日の大風に転倒して後も朽損せず、新編鎌倉志、江戸名所図絵などにも「蛇混柏」と称した名木で、金沢八木の一つである。一部は本殿内陣の御扉材に使用されてゐる。 |
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神社左手 青麻宮、末社
右側に菅原道真坐像 |
右手 祖霊社 |
右手 岩壁に祠 |
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山全体が 御神域 |
榧の木
樹齢1000年いわれる銘木 |
謡曲「放下僧」の遺跡
敵討ちをしたらしい |
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琵琶島神社 |
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源頼朝公の御台所北條政子が 深く信仰した近江国の竹生島弁才天を勧請し瀬戸神社々頭の海中に島を築いて祀ったと伝える 島の形が琵琶に似ていたので琵琶島弁才天と呼ばれた。室町時代には船寄弁財天とも称し 又、御神体が立像であることから 政子の出世に因んで江戸時代には立身弁才天の信仰を集めた
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琵琶島神社 入り口
瀬戸神社の正面海側に歩道橋を渡って向かう
鳥居右手の大きな石は、「金沢四石」といわれ、源頼朝が服を掛けたことから「服石」とよばれ「福石」となったとか。
「へび調査隊」江島神社(10.3.29)でも「福石」がありましたが、ここでも「この辺りで物を拾うと裕福になれる」という噂があるようです。
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なんだか気持ちのいい道でした |
小島への桟橋 |
琵琶島神社 |
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琵琶島神社 本殿 |
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立身弁才天 石像 |
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