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マスク(Mask)
前3世紀末-前2世紀初頭
カルタゴ、トフェト
テラコッタ
高50cm、幅41cm、厚17cm
鼻の下から口の両側を囲むように伸びた3本の溝は口ひげを表現したのだろう。深い溝が左右に開いた鼻孔の下から刻まれている。両耳たぶには孔が開けられている。顔全体は朱色に塗られていた。頭頂部には吊るすための3つの孔が開けられ、2匹のヘビの装飾が額の中央で巻きつき絡み合っている。[L.F.]
註:P32 |
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説明にもあるようにへびが鉢巻のように巻きついているマスクである。マスクと言ってもかなり大きいものだった。祭祀用に使用されたのかもしれない。 鉢巻状のものが本当にへびか判らなかったので、係りの人に伺ってみるとこのようなへびを鉢巻にしたものがいくつか出土しているとのことであった。
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マスク形女性頭部像(Terracotta Protome)
前5-3世紀
カルタゴ
テラコッタ
高17.5cm
様式化された巻き毛を持つ髪は、並んで型押しされた円によって造形され、エジプト風に耳の後ろに流され、前髪は滑らかなヘアバンドによって留められている。これは、ギリシア・フェニキア風である。
マスク形の頭部像は墓に置かれていて、死者の魂を悪魔から守り、また善き力の恩恵と加護を呼び寄せる力があるとされていた。[L.F.]
註:P33
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同じようなテラコッタ製の女性頭部像がもう一点展示されていたがそちらは前6世紀末の物で髪の毛がストレートヘアーであった。 時代が下って髪の毛に 渦巻きを型押し墓に置かれる事とを考えると、この渦巻きはへびを表す物として再生を願った物ではないかと推測する。
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マスク形ペンダント(Mask Shaped Glass Pendant)
前3世紀
ガラス
高3.1cm、幅2.2cm、厚3.4cm
巻髪の男性の頭部を模ったペンダント。頭頂部にはおそらく首からかけるための紐などを通す環が1つ取り付けられている。青色の巻髪のいくつかは残っているがマスク下部やひげの部分は失われている。[A.B.Y]
註:P38
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マスク形ペンダント(Mask Shaped Glass Pendant)
前4-前3世紀
カルタゴのネクロポリス(共同墓地)
ガラス
高7cm、幅4.5cm、厚3cm
男性の頭部を模ったマスク形ペンダント。頭頂部の環は、おそらく首からかけるために紐などを通すものであろう。[A.B.Y]
註:P39 |
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様々な文化が混ざり、豊かな文化を形成していった事がわかるカルタゴであるがその中でも これらマスク形ペンダントがガラスでできている事も驚きである。 また、特徴的な黒くまん丸な目、特徴的なひげの装飾はテル・アスマル出土(シュメールの都市エシュアンナ アブ神殿出土・前2600頃))の祈祷像
にも似ている。髪の毛の巻き毛、ガラスで一つ一つ丁寧に付けているにはそれなりに意味があっての事ではないだろうか?そうでなければ色で塗って髪を表現すれば済むことである。これもへびを表しているのではと思い掲載した。 へびと推測するもう一つ理由は下記に掲載するコインとメデューサである。
ちなみに これらマスク形ペンダントは 人頭玉とも呼び 日本でいうトンボ玉の種類のようです。 昔からとんぼ玉は魔除や王の権威を顕す装飾品として造られたもので、日本でも古墳から勾玉などと一緒に装飾の無いトンボ玉のようなものが出土しているのは調査隊でも確認済みですね。 また5~7世紀には国内でガラス製で鋳型に流す製造もされています。語源は諸説あるようですが、トンボの尻尾のように数珠繋ぎにする説や、お墓(英語でTomb)から出土したことからそれをローマ字読みしたものなどがあるようです。
シードビーズで復興を遂げたヴェネチアンビーズの繊細で精巧な技術はこういったフェニキア人の伝統でもあり、得意とする分野であることが判ります。
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奉納石碑(Votive Stele)
前3-前2世紀
カルタゴ、トフェト
石灰岩
高64cm、幅15.4cm
頂上部に2つのアクロテリオンと破風をもつ石碑。破風にはタニトの印が刻まれ、その下には、2匹の聖蛇ウラエウスと有翼の太陽円盤が描かれている。中央部分には、2本のカデュケウス(杖)と実のなる房のついた2本のナツメヤシの間に、足までとどくトゥニカ(チェニック)をまとい儀式の姿勢でたたずむ女性礼拝者の姿が見える。左手は腹部に置かれ、掲げられた右手は祈りと感謝の仕草を表す。前4世紀末から前2世紀初頭のカルタゴのネクロポリス(共同墓地)から出土する墓碑にもよくみられる図像である。下部には、プロト・アイオリス様式の柱頭で囲まれた枠の中にポエニ語碑文が刻字されている。カルタゴ人たちは、アイオリス様式の柱頭を非常にj好み、渦巻型の柱頭はしばしばカルタゴ出土の石碑に描かれた。同様のものが、ドゥッガ(チェニジア)やサブラタ(リビア)から出土したのローマ時代以前のモニュメントにも見られる。[S.B.T]
註:P70 |
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奉納石碑(Votive Stele)
前3-前2世紀
石灰岩
高66.5cm、幅17.5cm
破風には、外側に向かって湾曲する枝状のパルメット文が描かれている。その下に卵鏃文(卵形とやじり形の文様)の帯状装飾が続く。中央枠の中に、ポエム語碑文が刻字されている。下部には、カデュケウス(杖)とその両側に手のひらを開いた2本の右手が描かれる。これは、祈りあるいは誓いのシンボルを表す。この石碑は、破風をもつヘレニズム様式の台座の特徴を非常によく備えており、卵鏃文などのギリシャ起源のモチーフを配列することによって石碑の各場面を分けている。より新しい図案では奉納物が主役になり、主要な場面は石碑の下部に描かれるようになった。石碑のこの部分を飾るために、カルタゴの碑銘彫刻師は、動物、花、宗教的シンボルといった様々なモチーフを用いたのである。[S.B.T]
註:P72 |
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上の石碑”2匹の聖蛇ウラエウスと有翼の太陽円盤”と書かれていますが、
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上の奉納石碑拡大 |
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三、 ペルシャ帝国の中のヘビより
エジプト プトレイマス朝の碑文 |
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エジプト文明、ペルシャ文明の思想が反映されている事がわかる。見えにくいかもしれませんが、上下石碑ともカデュケウス(杖)が彫られている。カデュケウスはシュメール文化(紀元前2100年頃)グデア王からニンギッシダ(ニンギシュジダ)にささげられた”祭礼用水差し”に装飾されている二匹の絡み合うへびが原型と調べてきましたが、ギリシア神話のメリクリウス(マーキュリー)として発展している。 でもこの奉納石碑の彫られ方はローマ時代の形に似ているようです。
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コイン(Electrum Coin)
前264-前241年
エレクトラム(自然合金)
径2.2cm、重10.83g
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このコインには女性(コレーまたはタニト女神)の横顔が描かれている。2つの麦の穂を冠のように頭につけているが、これは農業を司る神のシンボルである。
裏面には、馬が描かれ、その上には、2匹の聖蛇ウラエウスの間に太陽を表す円盤がある。馬は、カルタゴの建国に関する伝承を暗示しているのかもしれない。このコインの図案はシチリアのギリシア・コインから着想を得ている。しかし、これらの第1次ポエニ戦争期におけるエレクトラム製コインに関して重要なのは、カルタゴでも打刻されたということである。[S.B.T]
註:P78 |
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上段の金貨に”2匹の聖蛇ウラエウスの間に太陽を表す円盤”が型打ちされているが、
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三、 ペルシャ帝国の中のヘビ で掲載した
紀元前378~372年 タルソスの工房。パリ国立図書館メダル室(188番) のメダルの装飾に似ている。 おそらくアフダマスダ神の象徴であり、ペルシャ帝国の影響も受けている事がわかる。
但し、他のカルタゴのコインには同じ位置に”タニトの印”が刻印されているものもある。
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コイン(Bronze Coin)
ポエニ時代
青銅
径2cm、重2.9g
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表面には、ヘビの形をした髪をもつコレー女神の頭部が、裏面には振り向く馬が描かれている。[S.B.T]
註:P80 |
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上記青銅製コインの拡大でありますが、「ここにへび」という注釈がないので定かではありませんが、おそらく丸で囲んだ部分。他のコインと比べて髪の先が2つに分かれている。メデューサのようです。 |
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イヤリング(Gold Earrings)
ポエニ時代
金
高4.8cm
ライオンの頭とイルカを模したイヤリング。カルタゴ製か、あるいはカルタゴ以外の宝飾品製作の盛んな地から輸入されたものである。このイヤリングは、カルタゴやタッロス(サルディニア島)のような、ポエニ人の製造業の中心地での宝飾品製作に、地中海沿岸の芸術と信仰が多様な影響を及ぼしていることを明らかにしている。[A.B.Y]
註:P81 |
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ココにへびはいませんが、マーライオンのようなライオンの装飾。 そしてイルカの装飾。 ヴェネチアン・グラスのイルカの装飾が非常に変わった、異常な形をしていました。同じ民族のフェニキア人が作ったカルタゴのイルカの方が見た目もかわいらしいし 一目でイルカってわかるじゃん!!
やっぱ ありゃっへびだよ。
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って!! いた!! ここにも巻きつくイルカ |
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イルカを模った装飾彫刻(Marble Sculpture for Decoration in the Shape of a Dolphin)
2世紀
大理石
高39cm、幅17cm、奥行12cm
イルカが、小柱あるいは幹のまわりに巻きつけられている。これは単独の作品で、欄干の装飾か、あるいは像の一部、例えば、浴場でしばしば見られるヴィーナス像に付随するものである。ヴィーナスは水浴と直接的な関係があり、自身も海から生まれた。チュニジアのモザイクにも、ヴィーナスに従うイルカの姿を見ることができる。[F.B]
註:P104 |
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全体像ではないから わかりにくいですが やっぱり これはへびでしょ~~!?
背ビレも無いし 目もちょいと怖いよ。 ローマ時代でもへびと裸婦の組み合わせは多いと聞く。
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メデューサ(Medusa)
3世紀
ディナ(スファックス近郊)
大理石、石灰岩
90*89cm
このモザイクはティナの浴場に装飾された舗床モザイクの一部である。多彩色の立法体の組み合わせモチーフを周囲に配した円形メダイヨンの中に、メデューサの恐ろしい顔が浮び上がっている。そして、覗き込む者を石にしてしまう邪悪な目と、ヘビがうごめく頭髪が描かれている。メデューサは、長姉ステンノー、次姉エウリュアレーとともに、ポルキュス(冥界神ハーデス)とその妹ケトのあいだに生まれた娘たち、ゴルゴン三姉妹の一人であった。 |
姉二人は不死身であったにもかかわらず、メデューサのみ生身の人間であった。ゴルゴン三姉妹は、人間だけでなく神々からも恐れられていたが、海の神ポセイドンは、メデューサに求愛し、妊娠させた。一方、アテナの命によって、英雄ペルセウスは剣でメデューサの首を打ち落とすことに成功した。このとき、メデューサの体から噴き出した血から、ポセイドンの子である聖馬ペガサスと黄金の剣を持つ巨人クリュサオルが誕生した。戦争の女神でもあるアテナはその首を自分の盾にはめ込み、向かう敵すべてを石に変えていった。
時代とともに、メデューサの伝説も変化していく。多くの記述では、美しい少女であったメデューサが、アテナの怒りを買い、ヘビの頭髪を持つ醜い姿に変えられたとされている。[A.B.A]
註:P117 |
恐れられているメデューサを大衆浴場のタイルに、1cmと細かい石片をつないで装飾するでしょうか?しかも、表情は怒っているとは思えない。 どちらかといえば「ぼ~~っとしてる。(どこかをなんとなく見ている様だ。)」
・バルミア(シリア)の地下墓(1~3世紀)入り口に 鬼瓦の原型となったといわれるメデューサの石彫りがある。
・ローマ帝政下時代(AD532年)、トルコイスタンブールのアヤソフィア寺院のすぐ向かい側の巨大地下貯水池の柱に横と逆さにされた巨大なメデューサの石像がある。
シリアのメデューサの石彫もローマ帝政下時代。 いかにローマがへび好きであったか・・・。
多少 このモザイクと時代が前後するが カルタゴでも ローマの影響を受けているかがわかる。しかも嫌われている、怖がられるというよりも守っているというニュアンスの方が正しいのではないだろうか。
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ゾウとニシキヘビ(Mozaic depicting an Elephant and a Python)
5世紀初頭
カルタゴ、デルメシュ
大理石、石灰岩
165*160cm
なだらかに傾斜した丘を背景に、散在して生える植物にとりかこまれながら、ゾウが獰猛なニシキヘビに攻撃されている。ニシキヘビは、ゾウの脇腹に絡みつき、腹部からは血が滴り落ちている。このパネルは、狩猟をテーマとした大舗床モザイクの一部であり、本来、狩猟場面だけでなく、狩人や狩りのための準備の場面が描かれていた。[A.B.A]
註:P125 |
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この作品もタイルでできているとは思えないほど写実的で美しい作品です。 説明書きにもゾウが蛇に攻撃されてかわいそうといったニュアンスで書かれていますが、おそらく、へびの勇敢さや強さをアピール誇示しているパネルと思われる。
その証拠に 後世ニシキヘビの頭が何者かによって削り取られている。 へび民族に敵対する民族の行いと推測する。高松塚古墳の玄武といったところでしょうか。
ちなみに私が思うにローマ軍をこらしめたカルタゴの将軍ハンニバルが初めて負けた決戦でハンニバルは象部隊で突撃したようなので、そういった風景をタイルにしたのかも。 (とするとフェニキア人が剥がしたのか?) |
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