蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 10年05月12日
チェニジア世界遺産 古代カルタゴとローマ展
チェニジア世界遺産
 古代カルタゴとローマ展
~きらめく地中海文明の至宝~
開催場所 浜松市美術館
会期 2010.4.17~5.30 (終了) 
http://www.karutago-roma.jp/top.html (公式HP) 開催終了 
 
カルタゴ、カルターゴー(英語: Carthage)は、現在のチュニジア共和国の首都チュニスに程近い湖であるチュニス湖 (Lake of Tunis) 東岸にあった古代都市国家であり、「カルタゴ」の名は、フェニキア語のカルト・ハダシュト(Kart Hadasht=「新しい町」)に由来するとされる。
 紀元前800年 海洋民族フェニキア人によって建設された。

 ”カルタゴ” ・・・ 恥ずかしながら はじめて聞く国の名前でした。
 しかし展覧会に行ってよくよく調べてみると、先に見てきた磐田市香りの博物館 のヴェネチアン・グラスと 非常に関連性があることを知る。
 ヴェネチア共和国とは カルタゴ と同じ フェニキア人が建国した国であったのだ。


当然のことながら 撮影禁止!!
ですので、へび民族研究の立場から、図録より必要な部分のみ引用させていただく。

 
マスク(Mask)  
前3世紀末-前2世紀初頭
カルタゴ、トフェト
テラコッタ
高50cm、幅41cm、厚17cm


鼻の下から口の両側を囲むように伸びた3本の溝は口ひげを表現したのだろう。深い溝が左右に開いた鼻孔の下から刻まれている。両耳たぶには孔が開けられている。顔全体は朱色に塗られていた。頭頂部には吊るすための3つの孔が開けられ、2匹のヘビの装飾が額の中央で巻きつき絡み合っている。[L.F.]
註:P32
 説明にもあるようにへびが鉢巻のように巻きついているマスクである。マスクと言ってもかなり大きいものだった。祭祀用に使用されたのかもしれない。 鉢巻状のものが本当にへびか判らなかったので、係りの人に伺ってみるとこのようなへびを鉢巻にしたものがいくつか出土しているとのことであった。

 
マスク形女性頭部像(Terracotta Protome)  
前5-3世紀
カルタゴ
テラコッタ
高17.5cm


様式化された巻き毛を持つ髪は、並んで型押しされた円によって造形され、エジプト風に耳の後ろに流され、前髪は滑らかなヘアバンドによって留められている。これは、ギリシア・フェニキア風である。
マスク形の頭部像は墓に置かれていて、死者の魂を悪魔から守り、また善き力の恩恵と加護を呼び寄せる力があるとされていた。[L.F.]

註:P33
 同じようなテラコッタ製の女性頭部像がもう一点展示されていたがそちらは前6世紀末の物で髪の毛がストレートヘアーであった。 時代が下って髪の毛に 渦巻きを型押し墓に置かれる事とを考えると、この渦巻きはへびを表す物として再生を願った物ではないかと推測する。

  
マスク形ペンダント(Mask Shaped Glass Pendant)  
前3世紀
ガラス
高3.1cm、幅2.2cm、厚3.4cm


巻髪の男性の頭部を模ったペンダント。頭頂部にはおそらく首からかけるための紐などを通す環が1つ取り付けられている。青色の巻髪のいくつかは残っているがマスク下部やひげの部分は失われている。[A.B.Y]
註:P38
マスク形ペンダント(Mask Shaped Glass Pendant)  
前4-前3世紀
カルタゴのネクロポリス(共同墓地)
ガラス
高7cm、幅4.5cm、厚3cm


男性の頭部を模ったマスク形ペンダント。頭頂部の環は、おそらく首からかけるために紐などを通すものであろう。[A.B.Y]
註:P39
 様々な文化が混ざり、豊かな文化を形成していった事がわかるカルタゴであるがその中でも これらマスク形ペンダントがガラスでできている事も驚きである。 また、特徴的な黒くまん丸な目、特徴的なひげの装飾はテル・アスマル出土(シュメールの都市エシュアンナ アブ神殿出土・前2600頃))の祈祷像 
にも似ている。髪の毛の巻き毛、ガラスで一つ一つ丁寧に付けているにはそれなりに意味があっての事ではないだろうか?そうでなければ色で塗って髪を表現すれば済むことである。これもへびを表しているのではと思い掲載した。 へびと推測するもう一つ理由は下記に掲載するコインとメデューサである。


 ちなみに これらマスク形ペンダントは 人頭玉(じんとうだま)とも呼び 日本でいうトンボ玉の種類のようです。 昔からとんぼ玉は魔除や王の権威を顕す装飾品として造られたもので、日本でも古墳から勾玉などと一緒に装飾の無いトンボ玉のようなものが出土しているのは調査隊でも確認済みですね。 また5~7世紀には国内でガラス製で鋳型に流す製造もされています。語源は諸説あるようですが、トンボの尻尾のように数珠繋ぎにする説や、お墓(英語でTomb)から出土したことからそれをローマ字読みしたものなどがあるようです。

 シードビーズで復興を遂げたヴェネチアンビーズの繊細で精巧な技術はこういったフェニキア人の伝統でもあり、得意とする分野であることが判ります。

 
奉納石碑(Votive Stele)  
前3-前2世紀
カルタゴ、トフェト
石灰岩
高64cm、幅15.4cm

頂上部に2つのアクロテリオンと破風をもつ石碑。破風にはタニトの印が刻まれ、その下には、2匹の聖蛇ウラエウスと有翼の太陽円盤が描かれている。中央部分には、2本のカデュケウス(杖)と実のなる房のついた2本のナツメヤシの間に、足までとどくトゥニカ(チェニック)をまとい儀式の姿勢でたたずむ女性礼拝者の姿が見える。左手は腹部に置かれ、掲げられた右手は祈りと感謝の仕草を表す。前4世紀末から前2世紀初頭のカルタゴのネクロポリス(共同墓地)から出土する墓碑にもよくみられる図像である。下部には、プロト・アイオリス様式の柱頭で囲まれた枠の中にポエニ語碑文が刻字されている。カルタゴ人たちは、アイオリス様式の柱頭を非常にj好み、渦巻型の柱頭はしばしばカルタゴ出土の石碑に描かれた。同様のものが、ドゥッガ(チェニジア)やサブラタ(リビア)から出土したのローマ時代以前のモニュメントにも見られる。[S.B.T]
註:P70
奉納石碑(Votive Stele)  
前3-前2世紀
石灰岩
高66.5cm、幅17.5cm

破風には、外側に向かって湾曲する枝状のパルメット文が描かれている。その下に卵鏃文(卵形とやじり形の文様)の帯状装飾が続く。中央枠の中に、ポエム語碑文が刻字されている。下部には、カデュケウス(杖)とその両側に手のひらを開いた2本の右手が描かれる。これは、祈りあるいは誓いのシンボルを表す。この石碑は、破風をもつヘレニズム様式の台座の特徴を非常によく備えており、卵鏃文などのギリシャ起源のモチーフを配列することによって石碑の各場面を分けている。より新しい図案では奉納物が主役になり、主要な場面は石碑の下部に描かれるようになった。石碑のこの部分を飾るために、カルタゴの碑銘彫刻師は、動物、花、宗教的シンボルといった様々なモチーフを用いたのである。[S.B.T]

註:P72
 上の石碑”2匹の聖蛇ウラエウスと有翼の太陽円盤”と書かれていますが、
上の奉納石碑拡大
三、 ペルシャ帝国の中のヘビより
エジプト プトレイマス朝の碑文

 エジプト文明、ペルシャ文明の思想が反映されている事がわかる。見えにくいかもしれませんが、上下石碑ともカデュケウス(杖)が彫られている。カデュケウスはシュメール文化(紀元前2100年頃)グデア王からニンギッシダ(ニンギシュジダ)にささげられた”祭礼用水差し”に装飾されている二匹の絡み合うへびが原型と調べてきましたが、ギリシア神話のメリクリウス(マーキュリー)として発展している。 でもこの奉納石碑の彫られ方はローマ時代の形に似ているようです。

 
コイン(Electrum Coin)  
前264-前241年
エレクトラム(自然合金)
径2.2cm、重10.83g

このコインには女性(コレーまたはタニト女神)の横顔が描かれている。2つの麦の穂を冠のように頭につけているが、これは農業を司る神のシンボルである。
 裏面には、馬が描かれ、その上には、2匹の聖蛇ウラエウスの間に太陽を表す円盤がある。馬は、カルタゴの建国に関する伝承を暗示しているのかもしれない。このコインの図案はシチリアのギリシア・コインから着想を得ている。しかし、これらの第1次ポエニ戦争期におけるエレクトラム製コインに関して重要なのは、カルタゴでも打刻されたということである。[S.B.T]

註:P78
 上段の金貨に”2匹の聖蛇ウラエウスの間に太陽を表す円盤”が型打ちされているが、
三、 ペルシャ帝国の中のヘビ で掲載した
紀元前378~372年 タルソスの工房。パリ国立図書館メダル室(188番) のメダルの装飾に似ている。 おそらくアフダマスダ神の象徴であり、ペルシャ帝国の影響も受けている事がわかる。

但し、他のカルタゴのコインには同じ位置に”タニトの印”が刻印されているものもある。



 
コイン(Bronze Coin)  
ポエニ時代
青銅
径2cm、重2.9g

表面には、ヘビの形をした髪をもつコレー女神の頭部が、裏面には振り向く馬が描かれている。[S.B.T]
註:P80
上記青銅製コインの拡大でありますが、「ここにへび」という注釈がないので定かではありませんが、おそらく丸で囲んだ部分。他のコインと比べて髪の先が2つに分かれている。メデューサのようです。


 
イヤリング(Gold Earrings)  
ポエニ時代

高4.8cm

ライオンの頭とイルカを模したイヤリング。カルタゴ製か、あるいはカルタゴ以外の宝飾品製作の盛んな地から輸入されたものである。このイヤリングは、カルタゴやタッロス(サルディニア島)のような、ポエニ人の製造業の中心地での宝飾品製作に、地中海沿岸の芸術と信仰が多様な影響を及ぼしていることを明らかにしている。[A.B.Y]

註:P81
 ココにへびはいませんが、マーライオンのようなライオンの装飾。 そしてイルカの装飾。 ヴェネチアン・グラスのイルカの装飾が非常に変わった、異常な形をしていました。同じ民族のフェニキア人が作ったカルタゴのイルカの方が見た目もかわいらしいし 一目でイルカってわかるじゃん!!
 やっぱ ありゃっへびだよ。



 
 って!! いた!! ここにも巻きつくイルカ
イルカを模った装飾彫刻(Marble Sculpture for Decoration in the Shape of a Dolphin)  
2世紀
大理石
高39cm、幅17cm、奥行12cm


イルカが、小柱あるいは幹のまわりに巻きつけられている。これは単独の作品で、欄干の装飾か、あるいは像の一部、例えば、浴場でしばしば見られるヴィーナス像に付随するものである。ヴィーナスは水浴と直接的な関係があり、自身も海から生まれた。チュニジアのモザイクにも、ヴィーナスに従うイルカの姿を見ることができる。[F.B]
註:P104
 全体像ではないから わかりにくいですが やっぱり これはへびでしょ~~!?
背ビレも無いし 目もちょいと怖いよ。 ローマ時代でもへびと裸婦の組み合わせは多いと聞く。
 


メデューサ(Medusa)  
3世紀
ディナ(スファックス近郊)
大理石、石灰岩
90*89cm


このモザイクはティナの浴場に装飾された舗床モザイクの一部である。多彩色の立法体の組み合わせモチーフを周囲に配した円形メダイヨンの中に、メデューサの恐ろしい顔が浮び上がっている。そして、覗き込む者を石にしてしまう邪悪な目と、ヘビがうごめく頭髪が描かれている。メデューサは、長姉ステンノー、次姉エウリュアレーとともに、ポルキュス(冥界神ハーデス)とその妹ケトのあいだに生まれた娘たち、ゴルゴン三姉妹の一人であった。
姉二人は不死身であったにもかかわらず、メデューサのみ生身の人間であった。ゴルゴン三姉妹は、人間だけでなく神々からも恐れられていたが、海の神ポセイドンは、メデューサに求愛し、妊娠させた。一方、アテナの命によって、英雄ペルセウスは剣でメデューサの首を打ち落とすことに成功した。このとき、メデューサの体から噴き出した血から、ポセイドンの子である聖馬ペガサスと黄金の剣を持つ巨人クリュサオルが誕生した。戦争の女神でもあるアテナはその首を自分の盾にはめ込み、向かう敵すべてを石に変えていった。
 時代とともに、メデューサの伝説も変化していく。多くの記述では、美しい少女であったメデューサが、アテナの怒りを買い、ヘビの頭髪を持つ醜い姿に変えられたとされている。[A.B.A]

註:P117
 恐れられているメデューサを大衆浴場のタイルに、1cmと細かい石片をつないで装飾するでしょうか?しかも、表情は怒っているとは思えない。 どちらかといえば「ぼ~~っとしてる。(どこかをなんとなく見ている様だ。)」
 ・バルミア(シリア)の地下墓(1~3世紀)入り口に 鬼瓦の原型となったといわれるメデューサの石彫りがある。
 ・ローマ帝政下時代(AD532年)、トルコイスタンブールのアヤソフィア寺院のすぐ向かい側の巨大地下貯水池の柱に横と逆さにされた巨大なメデューサの石像がある。
 シリアのメデューサの石彫もローマ帝政下時代。 いかにローマがへび好きであったか・・・。
多少 このモザイクと時代が前後するが カルタゴでも ローマの影響を受けているかがわかる。しかも嫌われている、怖がられるというよりも守っているというニュアンスの方が正しいのではないだろうか。
ゾウとニシキヘビ(Mozaic depicting an Elephant and a Python)  
5世紀初頭
カルタゴ、デルメシュ
大理石、石灰岩
165*160cm


なだらかに傾斜した丘を背景に、散在して生える植物にとりかこまれながら、ゾウが獰猛なニシキヘビに攻撃されている。ニシキヘビは、ゾウの脇腹に絡みつき、腹部からは血が滴り落ちている。このパネルは、狩猟をテーマとした大舗床モザイクの一部であり、本来、狩猟場面だけでなく、狩人や狩りのための準備の場面が描かれていた。[A.B.A]
註:P125
 この作品もタイルでできているとは思えないほど写実的で美しい作品です。 説明書きにもゾウが蛇に攻撃されてかわいそうといったニュアンスで書かれていますが、おそらく、へびの勇敢さや強さをアピール誇示しているパネルと思われる。
 その証拠に 後世ニシキヘビの頭が何者かによって削り取られている。 へび民族に敵対する民族の行いと推測する。高松塚古墳の玄武といったところでしょうか。


 ちなみに私が思うにローマ軍をこらしめたカルタゴの将軍ハンニバルが初めて負けた決戦でハンニバルは象部隊で突撃したようなので、そういった風景をタイルにしたのかも。 (とするとフェニキア人が剥がしたのか?) 
 
以上出展 
 『古代カルタゴとローマ展 -きらめく地中海文明の至宝ー 図録』
 図録監修:本村凌二、栗田伸子、佐藤育子
 翻訳:佐藤育子、伊藤雅之、大清水裕、高橋亮介、瀧本みわ、田中創、中川亜希、渡邊耕
 デザイン:山田雅彦
 編集協力/制作:インターパプリカ
 印刷:三映印刷株式会社
 編集/発行:東映株式会社』
註: 引用部 P以降の数字は上記著書のページ

感想
カルタゴについて何も知らなかったので、ローマ、ヴェネチアとともに簡単な年表を使ってみました。
 今回のカルタゴ展でへびと関係がありそうな物を引用しましたが、その展示物とおおよその年代に照らし合わせ””を付けました。

 今回の展覧会で展示されていた物の多くは初期カルタゴではなく、 やや後期カルタゴ、そして前146年ローマに支配されアフリカ属州となったカルタゴの遺物であります。

 前146年以降の遺物はローマ色を帯びて当然であり、ヴェネチアも独立国といいつつもやはりローマの影響が大きかった事がわかりました。
 
 それでも 会場に入ってすぐに目にした前3世紀末-前2世紀初頭のマスク(Mask)にへびの鉢巻があったのはせめてもの救いでした。

 カルタゴ、ヴェネチアともに地中海という自然と地の利を生かし、商業で莫大な利益を得、最盛期にはローマ軍も海賊も恐れる海軍を保持するまでになったフェニキア人。 素晴らしい技術と経済力を持っていたようです。
 図録中 「カルタゴの宗教と神々」ということで佐藤育子さん(日本女子大学研究員)はローマがカルタゴに恐れたものは経済力だけでなく、純粋でストイックなまでに信仰心に厚かった人々の精神そのものであったのかもしれないと述べています。 そして、冒頭 フェニキアで崇拝されていた神々は青銅器時代、カナンの地で信仰されていた多神教の系譜を持つと。
 そこで、カナンの地(ヘブライ語聖書に記された、神がイスラエルの民に与えると約束した土地。)とは何か調べると、紀元前18世紀シュメールの都市マリで発見された23000枚の粘土板文書の残骸から、政治的な共同体として明瞭に見いださる。ということがわかりました。
 カナン人がメソポタミア文明とつながり、どうりで、シュメール文明にみられるようなガラス細工のマスク形ペンダントがあるわけです。
 紀元前2千年紀には古代エジプト王朝の州”カナン”の名称としても使われております。
 そしてモーセ五書のうちの一書”民数記”によると 地中海沿岸の”カナン人”とは”フェニキア人”と符号し、”カナン人”とは”商人”と同意語であることがわかりました。
まるで 中国大陸の”殷”=”商” であり”商の人”から”商人”となった事に似ています。

 商人であるフェニキア人は シュメール文明にも見られたような信仰の仕方、青銅器時代、鉄器時代と各都市の守護を司る神を祭り、時代とともに本土伝来の神々の他にイシス・ホルス・べス・エジプトの神々も受け入れたようです。 それは今回の展覧会で掲載以外の展示物からも非常に良くわかりました。
 そして、カルタゴでもっとも崇拝された神々はバアル・ハモンとタニトという一対の男神と女神であったようです。 
 バアル・ハモンはギリシャのクロノス神、ローマのサトゥルヌス神と同一視され、タニト(左:石碑からの写真)はいくつかのバージョンがあるもののエジプトのアンクとも関連付けされているようでもあります。
エジプトの神々が手に持っているものの多くがアンクでありキリスト教の十字架につながるともいわれています。
 そうであるならば初期キリスト教はへびと深く関係するとも思われ、
 タニトをへび調査隊として見れば水平線の上部分は、ウラエウスと日輪 と推測させていただくわけです。
 いづれにいたしましても へびが好きであった民族・国であったのではないでしょうか。
 (遺物の多くが戦争で失われているためと展示物からの推測の域はでませんが・・・。)

 悲しいのは 第三次ポエム戦争(注1)でローマ軍は市街を完全に破壊し虐殺。生き延びた市民を奴隷とし耕作もできないように土地に塩をまき呪詛したという事実です。
 きっと海を自在に操っていた民族ですから権力を持った人はどこかに逃げているでしょう。いつの時代も戦争をまともに受ける市民はほんとに気の毒ですね。

最後に
 シュメール文明の中で商人として交易を重ね、特定の国を持たず貿易の拠点として都市を築きながら地中海をさらに勢力を広げていったことがわかるように、 
 ・東のメソポタミア地域
 ・ナイル川とユーフラテス川で境界したカナン(約束の地)
 ・カルタゴ遺跡の場所と勢力図
を地図にしておきました。

おしまい

注1:第3次ポエム戦争はローマ軍と同盟国軍による都市カルタゴの包囲戦
注図:ハンニバルはカルタゴの優秀な将軍。 
 
前ページに戻る
「へび調査隊」目次



へびって?(ヘビ民族のルーツの探求)

蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

蛇の目ってなんぞや?!(ホームに戻る)