蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2010年08月06日

3日目
 一同「うぉ~~ あれが噂の彦根城か~~~。」
    「お堀も水が入った状態で広くて長いね~~。」
(西からの景色(滋賀大学側より))
国宝・彦根城
所在地 滋賀県彦根市金亀町1-1
営業時間 8:30〜17:00
料金 [彦根城・玄宮園入場券]
 大人 600円
 小中学生 200円
[玄宮園単独券]
 大人 200円
 小中学生 100円
電話 0749-22-2742
 いつも お城調査といえば 「攻めるぞ~~。」といった切り込み方なのですが。
 ココ彦根城は浜松と所縁の深い徳川家康公の命により着工。徳川家重鎮であり、これまた浜松と所縁の深い城主井伊家とのこともあり、竹生島を調査し終えすぐに「へび調査隊」特使を送り友好状態での調査なのです。



北からの登城 
黒門橋 と
黒門橋と黒門 西の丸へ
 水で満たされた長く幅のあるお堀にもこのお城の規模を感じたのですが黒門橋から黒門参道を抜け西の丸へ出る間の石垣の高さにも圧倒されてしまいました・・・。



国宝 彦根城天守閣
太鼓門櫓方面からの天守閣(東南面)
 昭和32年から3年をかけて行われた解体修理により、墨書のある建築材が発見され、天守の完成は慶長12年(1607)頃であることがわかりました。
 彦根藩主井伊家の歴史を記した『井伊年譜』によると、「天守は京極家の大津城の殿守也」とあり、彦根城の天守が大津城(大津市)の天守を移築したものと考えられています。
本丸側(東側)より 西の丸(北西)側 西の丸(北)側
 三階三重の構成で、規模は小さいものの屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」「唐破風(からはふ)」を多様に配し、これらを組み合わせた美しさは類い希である。
切妻破風
天守一層目八つ
唐破風
二層目南北、三層目東西
入母屋破風
二層目東西、三層目南北

天守閣 内部
天守閣 入り口 付櫓
もともと別の所に入り口があり、ココ付櫓は敵を側面攻撃する場所であった。

入り口を入ってすぐに右手の窓から見える風景。(だったと思うんですが?)
左側に琵琶湖 正面に米原市でしょうか。

階段
かなり 狭くて急です。

天守閣というものは そういうものだ。
と最近ではしっかり学習できるようになりました。
鉄砲狭間
敵の来襲に鉄砲で防戦するための狭間(銃眼)。

漆喰の塀や壁に最初から三角形や丸形で、抜かれている狭間は良く目にしますが、外からは見えないように、しっくい壁が塗り込められ、緊急時に壁を突き破って使用する このようなタイプは始めて見ました。
隠狭間
この引きちがい板戸の奥は千鳥破風の屋根裏を利用した一室となっていて
敵に攻められたときに城主が自害するための部屋となっていたようです。

(といっても一度も敵に攻められたことがなくこの彦根城自体は歴代城主の甲冑などをしまう蔵のようなものであったようです。)
天守の木組み
彦根城の天守の見所のひとつ
三階三層の天守は通し柱を用いず、各階ごとに建築していく方式で、内部の木組みの巧み、美しい曲線の梁が縦横に走り、高い建築技術に目を見張る。
展示物
お城に使用された金具や屋根瓦、そのほか井伊直弼像、本来寺院建築に使われた曲線の花頭窓の木枠などが展示してあります。
天守最上階からの景色
といっても
金網で鳥の侵入などの保護あるいは落下防止をしているようでものですから
金網の目から撮った写真です。パノラマは無理・・・。
米原市方面? 琵琶湖


太鼓門櫓 国の重要文化財
太鼓門櫓 正面
距離がない位置でのパノラマ合成ですのでちょいとゆがんでいますが全景です。

東城の際、太鼓を響かせるためか東側の壁がなく、柱の間に高欄をつけ廊下にしている構造であるらしい。
こちらもなかなかの迫力でした。

時報鐘

時報鐘
(じほうしょう)
(左写真左側)
聴鐘庵
(ちょうしょうあん)
(左写真右側)
時報鐘(じほうしょう)及び聴鐘庵(ちょうしょうあん)
この鐘は、12代藩主井伊直亮の弘化元年(1844年)に鋳造したもので、当初鐘の丸にあった鐘の音が城下の北の隅にとどかなかったので現在地に移した。現在は午前6時、9時、正午、3時、6時と1日5回ついている。
大老井伊直弼は禅の精神と相通ずる茶道にひかれ自らも「宗観(むなみ)」と号し、修業をつづけた。
大老の著「茶の湯ー会集」に書かれている「一期一会」の茶道精神は有名である。この精神をしのび、時報鐘の菅理棟を改造した聴鐘庵で薄茶の接待をいたしております。

日本の音風景百選
彦根城の時報鐘と虫の音
虫や渓流、鐘や祭など地域で愛されている虫の音の聞こえる風景を残そうと、環境庁が平成8年6月5日「日本の音風景百選」を決め、彦根市からは「彦根城の時報鐘と虫の音」が選ばれました。
彦根城内から3時間ごとに時を告げる時報鐘の音、城山の夏の夕暮れ時のヒグラシの蝉時雨(せみしぐれ)、玄宮園での鈴虫、松虫の鳴き声、将来に残したい音風景です。


天秤櫓 国の重要文化財
天秤櫓 鐘の丸からの廊下橋と天秤櫓
距離がない位置でのパノラマ合成ですのでちょいとゆがんでいますが全景です。

写真中央の廊下橋を中心に左右対称に作られその形から天秤櫓と呼ばれる。
天秤櫓 鐘の丸下からの廊下橋と天秤櫓

櫓(やぐら)って、敵が来るのを見張ったり、攻撃を仕掛ける場所であったり武器や食料を貯蔵したりする場所だったようですよ。

1970年(昭和35)に解体修理時、長浜城主であった内藤家の定紋(上り藤)瓦が発見されたので、豊臣秀吉が創築した長浜城大手門を移築したものといわれている。
城門は、正面約4.3mで、全部(くすのき)材を用いて建築されている。左右両端に二重の多聞櫓のあるコの字形で、奥に突き出た続き櫓の構えである。鐘の丸から見た時に格子窓の数も左右で異なり、決して左右対称ではないのですが、左右対称の天秤のような形状からこのように呼ばれる。この形式は、わが国城郭のうち彦根城ただ一つといわれています。
東西の石垣のちがい
 嘉永7年(1854)に石垣の大改修があり左右の石垣の組み方が改修前のごぼう積みと後の落とし積みと異なっています。
 牛蒡積みと呼ばれる石垣は自然石を使い、重心を内側の下方になるように作られていて、外見は粗雑ですが排水が良くて強固な造りとなっています。
落とし積み(西半分) ごぼう積み(東半分)
天秤櫓(太鼓門櫓側から) 入り口 天秤櫓(太鼓門櫓側から)
天秤櫓内部 格子窓から見た廊下橋 天秤櫓内部
重厚な門
下から見た廊下橋

廊下橋は鐘の丸から天秤櫓の門へかけて幅3.4m(二間)、長さ1.5m(八間)の橋で、非常時には落し橋となる。

もとは、両側に壁と覆い屋根のある橋であったためこのように呼ばれるが、城兵の移動を相手方に知られないように外からは見えないようにしてあったといわれています。




彦根城博物館 (表御殿)
彦根城博物館 (入り口)
なんだか ひこにゃんを独り占めしようと巳好樹隊員が揉め始めました・・・。(泣)

「ね~ね(お姉ちゃん) は あっちにいって~~。」

「まぁまぁ 順番に・・・。」
 
料金  大人500円
 小中学生 250円
 

井伊家伝来の名宝
十代直幸所用
朱漆塗萌葱糸威縫延胸取二枚胴具足
太刀 名 国綱
鎌倉時代
椰子実掛花生
銘「露の屋どり」
井伊直弼作
 良く見ると金色の龍があしらわれている。
能舞台
 江戸時代の表御殿の中で現存する唯一の建物。
中庭
こういった空間が なんだかほっとする。

美しい。
井伊家伝来の名宝
 銘 元永丸
慶俊作
平安時代後期
元永元年(1118)
琵琶(左)銘 雲竜
中国・明時代
鉦鼓(右) 錫製打楽器
鉱物・石器等標本


表御殿 御座敷
御亭(おちん)
藩主がゆっくりくつろぐ部屋
御座間
藩主が公務の間に一休みする部屋
次之間
庭園
日本庭園に 障子に 畳 日本人だなぁ 落ち着く。 


感想

 さすが国宝彦根城 見所も多く 表御殿の庭園も含め、優雅なだけでなくさまざまな技術と工夫を凝らした天守閣など これぞ日本建築の美という感じです。 本当に心地よい調査でした。
 奈良京都の神社・仏閣もいいですが、是非とも外国の方にも日本のお城というものも見ていただきたいです。
 
 ”へび””蛇の目”関連は見当たりませんでしたが、この彦根城にアップした写真の量(他の調査記と比べ)を見ていただいて満足度と感想に代えさせていただきたく思います。
 


 そんなわけで
今日1日でかなりの時間と距離歩くことになりました。
 栄養補給をしなければ・・・。

って また アイスかい!!

今回は子供だけでなくわたくし達も食べちゃいましたが・・。
 
滋賀県に来たのですから滋賀県らしきものも食べたいですよね~~。
わたくしの食べたかったのが近江牛と赤いこんにゃく


隊長の顔はお見せできませんが、「何じゃこりゃ~!?」という顔しています。
味は普通のこんにゃくみたいです。
気持ち普通のより弾力もあり、なめらかな感じかなぁ。

うん。おいしかったです。
(今日は井伊家の彦根城調査ということで わたくし隊長はわざわざ赤のTシャツで調査です。)
 「だから 何?」といわれそうですね・・・。

そんでもって赤こんにゃくと近江牛を手軽に食べれるということで
赤鬼うどん 牛しゃぶ仕立て 近江牛肉うどん
 

「麺匠 ちゃかぽん」でちょっと遅い昼食をとりました。

この麺屋さんを含め近江牛を提供する焼肉屋さんの多くが『千成亭』というグループ。精肉店からスタートするも近江牛を生産する牧場まで経営するすごさなのだ。

結局近江牛肉うどんの中に入っていたお麩と赤こんにゃくを「麺匠 ちゃかぽん」さんにてお土産として購入。

 後日、両親とすき焼きにてお麩と赤こんにゃくをいただくのでした。

おしまい。


滋賀県 「へび調査記」 感想 (3日間の感想)

今回の調査。 編集上は首尾良く調査できているようですが、実は初っ端(しょっぱな)から めげる事が重なっていたのだ・・・。
まず、早朝四時頃より浜松インターチェンジから東名高速道に入り西に向かっていると渋滞の表示が・・・。「やだなぁ 事故か何かかなぁ」 と思っていると
トンネルの中でガッツリ 止まってしまった・・・。
この日新城パーキングエリア付近で事故があり通行止めに。
トンネルの中でおよそ2時間も缶詰になってしまったのです。
ノートパソコンをカーナビ代わりオーディオ代わりに使っていたので開通するまで動画を見て子供たちと歌を歌ったりふざけたりしていました。
 おかげで子供たちもぐずったり怒ったりしなかったのですが、「予定が狂う~~(心の叫び)」
2時間後 事故処理が終り 進んでいくと現場には横転したトラックと塗料が散った後が・・・。
一つ目の誤算がこれで

二つ目の誤算が、グリム冒険の森に行く経路。 鈴鹿スカイラインを予定していたのですが近くまで行くと通行止めに・・・・。
 帰宅し父に話すと「あ~鈴鹿スカイラインね。あれは、昔から通行止めだからね~~。」と知らないほうがおかしいくらいの話だった。
峠を迂回するのでこれまた時間がかかることかかること。
結局4時間くらい予定が狂ってしまい 旅行のメニューを変更することになったのです。

そんな訳で 彦根城の「ひこにゃん」(一日おきの登場)に会うことができませんでした。
これ三つ目の誤算。

そういえば栗東歴史博物館が休館日というのも ある意味4つ目の誤算かも。
いつもはある程度計画通りに行く 「へび調査隊」なのですが、正直わたくしは めげました。(泣)

 調査自体はご覧の通り有意義なものになったんです。
 わたくしは大満足でした。でもみんなが喜んでくれなかったら行かない方がまし。一人で勝手に行けば良いくらいのものになってしまいます。


 今回の調査はデズニーランドや遊園地などのようにアミューズメントの要素が多い所に行きませんでした。アミューズメント的要素があるとすればキャンプと忍者村です。
 巳子は今までの調査よりかなり歩きました。巳好樹隊員もはじめのころは抱っこでしたがちょくちょく歩くとととなりました。
 東名で立ち往生し初日いきなり7時間も車の中にいました。
 きっと 今回の調査は失敗だろうなぁ。と思っていたんです。

 でも調査を終え、無事家に着くと、こども隊員が
 「お父さん楽しかった。 ありがとう。」と言うんです。家内が言わせているわけでもなく・・・。
それじゃと 恐る恐る巳子に
 「今回の旅行は何点ですか?」
と聞くと 
 「100点満点で 1000点」 と言うのです。
 僕も子供の頃に両親にいろいろ連れて行ってもらったのですが「ありがとう」と言った事は一度も無かった。
 両親がいろいろ連れて行ってくれたから。楽しかったりいい思い出がいっぱいあるから感謝しているから、親になった自分もあたり前のように子供を遊びに連れて行っているのに。
 巳子も巳好樹も自然と感謝できる子達なんだなぁと あらためて感動してしまった。完敗である。子供に教えてもらったようです。

 父の日母の日以外に「ありがとう」って恥ずかしくて言ったこと無いよ。あたしゃ。
 両親に対して「ありがとう」と言う場面・・・いくらでもあったろうに・・・。この場であらためて両親に「ありがとう。」

 『子育ては自分育て』 ともいいますが、子供を授かったということは其処から学ぶことがある。ということなんですよね。今回の旅行は あらためて両親や子供達に感謝というものを教えていただいた旅行だったようです。
 

滋賀県 へび調査隊記 (2010年08月04日~06日)
1日目 グリム冒険の森
2日目 甲賀の里 忍術村
3日目 荒神山神社 大蛇岩
竹生島 宝厳寺 都久部須麻神社
彦根城


おしまい
 
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