蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2010年08月06日

3日目
竹生島
神奈川県 江ノ島神社  
安芸の宮島 厳島神社
そして 琵琶湖 竹生島 が日本三大弁才天を祀る神社である。
(天河大弁才天を含むという説も)

今回の旅行で私が一番行きたかったのが この竹生島なのだ。
竹生島に行くには 船に乗らなければならない。
 「KEIHAN琵琶湖汽船」

 「琵琶湖観光船オーミマリン」
とあるようですが
宿泊先のホテルと この後、伺う彦根城との距離から 今回は「琵琶湖観光船オーミマリン」さんを利用させてもらうこととした。

びっくりしたのは この 『竹生島⇔彦根』往復クルーズ なんと滞在時間70分と決まっているのだ。
3歳の巳好樹隊員をつれての竹生島めぐり無事帰り着くことができるのであろうか・・・?
駐車場から見える琵琶湖 と 港(右側)

観光船「わかあゆ」 デッキに上がる隊員 デッキの先に竹生島

片道約40分で彦根港から竹生島へ。
さぁここからは時間の勝負です。
乗降桟橋に到着!!

時間との戦いなのに いきなり売店は「だめ~~!!」
売店を通らないと 島と港を行き来できない作戦じゃ~~。



さっそく

「アイス アイス アイ~~ス!!」
「かき氷 かき氷!!」
 「かき氷 食べた~~い。」

の大合唱。


サクッと食べてよ お願いだから・・・・。

絶対 子供たちにとって 楽しめるところではないですよね。 
子供らに 低姿勢を気づかれないようにしつつ 「ちょ~~言いなり・・・。」

気を取り直して・・・ Lets Go!!
竹生島
(びわ湖観光船パンフレットより)
 
ホントに どこ行っても アイス、かき氷
なんだから(涙っ・・・。)
売店という関所を抜け まずは階段を登っていく。
”祈りの階段”というようだ。

早速 「帰りの船に間に合いますように。」と願ってしまった・・・。
(巳好樹隊員は数段登ったところで 抱っこである・・・。)
 
先の 一の鳥居?には「竹生島神社」と。


二の鳥居?には「厳金山」と。

宝厳寺(弁才天堂)の山号が厳金山であるらしい。
 
瑞祥水 龍口 由来
小島の山水が枯れる事しばしば 
ご本尊弁財天の御託宣により 夢枕にここに井戸掘れとお告げがあったそうな。
このような小島で井戸を掘り、水が出る可能性は低いということでしたが、
平成14年 深さ230m(湖底下130m)より清浄水が出で 瑞祥水とす。。
 
手水舎

彫り物にも”巳”の字
 
護摩堂 不動明王
 
天狗堂

光の加減と思いますが 巳子に虹がさしています。
 
鐘楼 弘法大師庵跡
弘法大師庵跡は唐から帰国後大同2年春に竹生島神社に
参拝された弘法大師が此の所に庵を建て修行されました。
此の庵を明星跡として聖地としている。  
弘法大師像も
 
石造五重塔 重要文化財

鎌倉時代。
 


 
宝厳寺本堂(弁才天堂)
弁財天像(左手) 本堂内 弁財天像(右手)
もちろん 弁財天の頭には宇賀神(蛇身弁財天)が。 
江ノ島神社と同じ様な感じだね。 「へび調査隊」江島神社 (10.3.29)

宝厳寺弁才天像は浅井久政が永禄8年に奉納されたといわれる。
現存する中でも最大級高さ145cm。
 

 
三重塔

本堂正面の石段を登ったところに三重塔と宝物殿がある。
1484年に建立され、江戸時代初頭に落雷で焼失。約350年間にわたって不在であったが、浅井郡誌の中に残っていた設計図を基にして古来の工法に基づき6年の歳月を経て350年ぶりに平成12年(2000年)復元。

 高さ15.5mの朱塗りの塔は、内部の四本柱や四方の壁に8人の高僧の絵などが描かれているらしい。
 
もちの木

 三重塔横には樹齢約400年と言われる大きなもちの木があります。木の直径は約60cm、樹高は4m。
 賎ヶ岳の七本槍と言われている片桐且元(かたぎりかつもと)が観音堂の普請奉行として島に来たときに植樹された。
 
雨宝堂

三重の塔のそばに・・。
 
宝物殿

写真撮影禁止ということなので竹生島宝厳寺HP よりお借りして。
 
その他にも”天狗の爪”、弁財天の前でとぐろを巻く白蛇の”掛け軸”、
”笙などの楽器”、”「重文」毛抜型太刀 ”などが、
展示されていました。 弁才天坐像は上記写真含め2体。
 


 
島を反時計回りにまわってきましたが
宝厳寺本堂、三重塔、宝物殿を頂に
ここから階段を下っていきます。

かなり 急坂な感じが分かりますか?

 


 
宝厳寺観音堂(国宝) と 唐門
西国三十三ヶ所札所めぐり
第三十三番札所宝厳寺
唐門(重文文化財)
十六羅漢の一つ
おびんずるさま(撫で仏)」
神輿 アップ
唐門を入ると正面に鎮座しているのが釈迦のお弟子さんのおびんずる様
体の悪いところをさすると治ると言われているのですが
さすがに・・・ さわる前にちょいと近づきがたい存在であった・・・。
観音堂本尊は秘仏千手千眼観音立像、60年に1度の開扉。
 


 
都久夫須麻神社 本殿  (竹生島神社 本殿)
本殿 工事中~~~~~~!!
工事中~~~ 何で~~~!?
事前に調べていないのがいけないが・・・・。
私が調査する時期と史跡の工事中がよく重なる!?
浅草浅間神社、井伊谷龍潭寺、東京国立博物館 表慶館
調査記にはまだ掲載していないが名古屋城など・・・。

朝鮮出兵のおりに秀吉公のご座船 日本丸の船櫓(ふなやぐら)
を利用して作られた船廊下がココと観音堂をつないでいるのですが
 修繕中で見れなかった・・・。


 
白巳社 「白巳大神」と!!

御祭神は宇賀神。
御徳は金運・財運
 
大己貴神社
天忍穂耳神社
厳島神社
江島神社


  
八大竜王拝所
八大竜王拝所 かわらけ投げ 弁才天
いよいよ 竜王拝所です。
かわらけ投げでは、願い事を書いた素焼きの小皿を宮崎鳥居に向かって投げ、
鳥居をくぐれば願い事が叶うと言われています。
「竹生島の竜神拝所」 祭壇の前に一対の蛇像がある。
左手の蛇像 右手の蛇像
 


 
黒龍堂
黒龍大神
黒龍姫大神
ご神木
八大龍王の一尊、大海に住み雨を降らす神 黒龍を祀っています。
隣のご神木は、湖より龍が昇ってくるといわれている神木で、
名木百選にも選ばれているそうです。
ネットで予習をしていると
某サイトでパワースポット的なことを書いていたので
とりあえず みんなでご神木に触れてきました。

 


後半 ちょっと急ぎ足になりましたが なんとか 八大竜王拝所 の”へび像”を見ることができ大満足。
無事 船に乗ることができました。

 

ボッ ボッ ボッ ボッ ボッ ボッ ・ ・ ・ ・


ありがとう 竹生島~~   楽しい思い出をありがとう~~~


「また おいでよ~~」

空には へび神様が立ち昇り お見送りくださいました。
(飛行機雲じゃ無いと思うんですが)






感想
 さすが 日本三大弁才天 竹生島です。
 へび神さまの島(聖地)である。

 弁才天像も 要所に要所に見ることができ 
 大己貴神社、厳島神社、江島神社、白巳堂、黒龍堂 いたる所に”へび”と関係のありそうな 神社やお堂がある。


 もうちょっと ゆっくりじっくり見学したかったのですが、逆にある意味集中して周ることができたのかもしれません。 
 国宝や重要文化財の建物なども多くすばらしい島でした。


 あと、へび調査隊として興味があるのは ここの島自体は 神社なのか仏閣なのか?
 
 「がらくた置場」by s_minaga 様には
 「近江 竹生島 宝厳寺 http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/hoso_tikubusima.htm 」
 古図や書物から歴史を紐解いていて 大変興味深い。

 神でも仏でもどちらでも良いと思っている方もいらっしゃると思うのですが
 非常に興味深い内容である。

 宝厳寺も弁才天 を 竹生島神社(都久夫須麻神社)も弁才天を祀っている。
 歴史的に見ると 明治の神仏分離令により 宝厳寺を神社に変えたくないので弁才天社を竹生島神社(都久夫須麻神社)とし弁才天を祀り 廃寺を免れてきた経緯があるようで、

 江島神社弁才天は完全に神社となり、、竹生島と宮島弁財天は寺院として存続しているようです。

 また
 WIKI 都久夫須麻神社 [最終更新 2011年8月6日 (土) 16:03]

 社伝では、雄略天皇3年(420年)に浅井姫命を祀る小祠が作られたのに始まると伝える。『近江国風土記』には、夷服岳(伊吹山)の多多美比古命が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、湖に落ちた首が竹生島になったという記述がある。一説には首が沈む時に「都布都布(つふつふ)」という音がしたので「都布失島」という名前になったとも、最初に生えたのが竹であったことから「竹生島」という名前になったともいう。

神亀元年(724年)、聖武天皇の夢に天照大神が現れ、「琵琶湖に小島があり、そこは弁財天(弁才天)の聖地であるから寺院を建立せよ」との神託があったので、行基を勅使として竹生島に遣わし寺院を開基させた。行基は弁財天の像を彫刻して本尊とした。

 WIKI宝厳寺 [最終更新 2011年8月6日 (土) 04:30 ] 

 竹生島では平安時代から近世まで神仏習合の信仰が行われていた。延喜式神名帳には、近江国浅井郡の社として都久夫須麻神社の名があり、祭神は浅井姫命(あざいひめのみこと)とされていた。浅井姫命は、浅井氏の氏神とも言われ、湖水を支配する神とも言われるが、平安時代末期頃から、この神は仏教の弁才天(元来はインド起源の河神)と同一視されるようになったようである。

 竹生島神社 HP

浅井比売命と市杵島比売命の元の名前は?
弁財天の信仰は、宇賀福神→市杵島比売命と御名が変わっていきました。
今日では市杵島比売命=弁財天となっております。

 この島の成り立ちが浅井姫命の首を斬って湖に落ちたというのはなんとも悲しいい逸話である。そもそもこの逸話が記されている『近江国風土記』というのは古事記日本書紀と同じ時代 奈良時代(710年)に漢文で書かれたものであります。
 藤原氏が大宝律令の大号令のもとこの地の豪族であった浅井氏を抑え、 へび民族のよりしろであった竹生島の信仰も浅井比売命、市杵島比売命も弁才天へと習合していった経緯があるのではと思われます。
 たび重なる建造物の大火や明治時代の神仏分離令のゴタゴタも ある意味民族的な対立であったのでは推測されるのであります。
 
 私としては争わないで仲良くしていただくのが一番で、こうやって竹生島に宝厳寺、都久夫須麻神社と分けて島内に成立するのは合理的に思います。

 そして、 今回の竹生島調査での収穫は、

時代や民族が変わってもこの島はへび神さまの島(聖地)
 であることがわかったことと
 

NHK大河ドラマ『江』でタイムリーなのですが 
 浅井長政の三女であり、織田信長の姪である
 長女「茶々」 ・・・ 豊臣秀吉の側室
 次女「初」 ・・・ 京極高次の正室
 三女「督(江)」 ・・・ 佐治一成の正室→豊臣秀勝の正室→徳川秀忠の継室
この三人の血は時代が変わっても政権の中枢にあった理由と関係するのではないだろうかという点であります。
まぁ この件に関しましては時間を見て編集したいと思いますが、

まずは 最終日最後の調査場所へ。

3日目 彦根城 につづく
 
滋賀県 へび調査隊記 (2010年08月04日~06日)
1日目 グリム冒険の森
2日目 甲賀の里 忍術村
3日目 荒神山神社 大蛇岩
竹生島 宝厳寺 都久部須麻神社
彦根城

 
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