蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
群馬県 太田市 調査記   (20年7月30日)
ジャパン・スネークセンター  調査記 
へび好きなら 1度は訪れたい 場所 !
 そう!!  日本蛇族学術研究所!!

 わたくしにとって 楽園のような場所であります。

「でも」 「でも」

「う〜〜〜ん。
  どうやって家内と娘たちを  導いたらいいだろうか?。」

 
  巳右衛門 「おーい !!みんな 今年もデズニーランドに行くぞ!!」
巳子(娘) 「わーい!!」
巳右衛門 「しかも 泊まりだ。 一泊して関東方面に行こうと思うんだけど どうかな?」
巳子 「ホテルだホテルだ わ〜〜い。」
巳右衛門 「1日目にデズニーを オープン から 最後までめいっぱい楽しんで・・・。」
「次ぎの日 巳子の宿題をかねて へびを見に行くのはどうだろう。」
巳子・
巳美(家内)
「え”〜〜〜〜。」
巳美 「へびぃ〜〜〜?!」
巳右衛門    しまった・・・。 はやまったか・・・。
巳子 「へび きらいだよね〜〜〜。  ママ〜〜〜。」
巳美 「・・・・・・・。」
巳右衛門 「ははっ・・。」 いやそうだなぁ 気まずい空気が・・・。
巳子 「・・・・・・・。」
巳子 「パパ へびが好きなんだよね。 
           ・・・・  みに行ってもいいよ。」
巳右衛門 「お〜〜。 さすが巳子 行きたいか行きたいか うんうん。」
「巳好樹(長男)はどうだい?」
巳好樹(8ヶ月) 「ばぶば〜〜きゃはっ(笑)」  (事実)
巳美 「あぇっ 笑った・・・。」
巳右衛門 「お〜〜そうかそうか それじゃ 北関東中心にプランを練るね〜〜」
  るんるん。

実際 こんなやり取りでなんとかクリアして へびセンターに 行ける事になりました。

 へび調査記 と言うよりも 「夏休み 群馬満喫!! 記」 と言う構成になっています。


1日目
デズニーランド

 「来たよ〜〜!! ディズニーランド!!」
 Z・・・・ z・・・・。


 やっぱり お気に入りのアトラクションは バズライトイヤー だよね!!
 こっ! これはっ!!  エジプトや、ペルシャで見る
   有翼日輪ではないか〜〜〜〜〜!  
   というよりも 有翼惑星ロケットか? 


参考までに 今まで見てきた有翼日輪とその関連がありそうな物を 挙げておく
(ちなみにこれら3枚の写真は「へびって?調査隊記」◎古代エジプトの美展に掲載)
写真上・・・有翼スカラベ
   下・・・有翼ヌト神  
(ヌト神は天空の神でもある。)

復活・再生を意味し太陽を表す護符としてミイラの胸の上に置かれていた。

(左写真:イートンカレッジ、マイヤーズ博物館 229)
「へびって?調査隊記」◎古代エジプトの美展
のミイラ写真、大腿部あたりに装飾されている有翼日輪の拡大写真
三、 ペルシャ帝国の中のヘビより
エジプト プトレイマス朝の碑文
三、 ペルシャ帝国の中のヘビより
ビストゥーン磨崖碑の浮彫り
    「ペルシャ帝国」p6 *21
ディズニー・PIXAR 「トイ ストーリー」
http://www.disney.co.jp/character/toystory/
top.html

「スペースレンジャー バズ・ライトイヤー」も胸に着けているマーク
 宇宙防衛隊の紋章である 

バズライトイヤー 宇宙防衛隊の紋章がペルシャの紋章と関連があるかは今後 重要調査物件であるが・・・・・。
有翼日輪 と 徳川家康の羊歯印 との関連せいとして詳しくはコチラ 





 今年は 25周年 夜10時までおもいっきり

                      楽しみました。


ディズニーランド 調査結果
 ミッキーミニー は、ねずみであり、へびは天敵なためか
目立って ヘビを探す事はできなかった。若干アトラクション内に、ヘビの人形(キャラクタ)があったがディズニーは著作権に厳しいと言う事なので必要以上に掲載するのは止める。
 それでも バズライトイヤーの有翼惑星ロッケトは、非常に興味深い。今後の研究の課題として取り上げる事とした。


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2日目
足利学校
ホームページ
歩道橋より
日本最古の学校
 『足利学校』


部・課
  足利市教育委員会 
  史跡足利学校事務所
所在地
  栃木県足利市昌平町2338
電話
  0284−41−2655

 
 ディズニーランド の後 妹の家に一泊させていただき、早朝より高速を使って
いざ!「ヘビセンターへ」、 と向かったのですが 思ったより道が空いていて時間が余りそうだったので 途中 看板があった 足利学校の雰囲気を感じて見ようと 行って見ました。
 この時点で AM7:00前
 奈良時代の国学の遺制説、平安時代の小野篁(おののたかむら)説、鎌倉時代の足利義兼説など 諸説有るようですが
 日本最古の 総合学校
 と説明書きがありました。
史跡 足利学校跡
足利尊氏像 水飲み場 自動!!
 足利学校の開館が AM9:00 ヘビセンター もAM9:00 ということで、本当にちょろっと
眺めただけでした。 残念!!
 日本最古の 学校の”気” をもっと感じ、中にも入りたかったのですが ・・・。
 
 それに致しましても この足利市の 町の雰囲気は すごく心地が良かった。さすが文化を感じます。
 条例によってゴミのポイ捨てを禁止しているため 道も綺麗でした。
 また 早朝写真を撮りながら足利学校から鑁阿寺を歩く間 幾人かの方と挨拶を交わしましたが、向こうから挨拶され、此方も頭を下げると 重ねて再びお辞儀する丁寧さである。
 わたくしのようなラフな格好している観光客に・・・。

 最近では朝、犬の散歩をして こちらから挨拶しても 年配も子供も挨拶しない人がいるご時世なのに・・・・・。
 さすが 歴史がある町だけに 文化とともに 人の心も 豊かに形成されているのでは。と
 朝から すがすがしい気持ちになりました。
足利学校 調査結果
 早い時間だったので 中に入れず ヘビ・蛇の目は見出せませんでした。
でも 次回来るときはココも日程に加え、また来たい。




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鑁 阿 寺(ばんなじ) (足利氏宅跡)   『楼門・太鼓橋』
金剛山 鑁阿寺

平安時代後期、源氏の祖、八幡太郎源義家の子義国、その子足利義康(足利氏祖)の二代にわたって堀と土手を築いて邸宅としました。

義康の子、足利義兼(尊氏より七代前)が、鎌倉時代初期(1190年代)邸宅を撤去して大日如来を本尊とする真言宗金剛山鑁阿寺を設立しました。
足利学校より歩いて 3・4分のところ。

まず 境内に入って右側に弘法大師像


安産守護蛭子女尊 稲荷神社 大黒天


 お寺の事は良くわかりませんが 同じ敷地の中に お稲荷さん・大黒天・蛭子やいくつかの建物があるんですよね。
 どう言う意味があるんだろう。 浜松城にも お稲荷さんが奉られており 、別の赤鳥居をくぐらないと城の中に入ることができません。
 意味がわからない・・・・。
 さらに 本堂の正面にあたる場所に 鏡が・・・。
これは 明治二年春から夏にかけての廃仏毀釈の影響とおもうが 現在でも鏡を取り除くこと無く奉る物なのだろうか?
 それともこの鏡の奥に大日如来像があるのだろうか。


鑁阿寺 調査結果
 徳川家康の羊歯印に蛇の目があるという疑問から その先の新田氏・足利氏を簡単に調査の対象としてきたが 新田氏・足利氏から、蛇の目・へび関係は 見られないようですね。





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西宮神社   (足利市西宮町)
入口 本堂

 本当は 群馬県桐生市 の西宮神社に行く予定でした・・・・・。
足利学校の駐車場の看板に西宮神社の表示があって「おっ!すぐ近くジャン。」とおもっていました。
 方向感に乏しいためか 事前の下調べが足りなかったのか 鑁阿寺 の次ぎに 
「さあ 西宮神社に行こう!」 と思って 道を聞いたら 
「良くわからないけど 西宮町があるからそこの神社かな?」と
栃木県足利市西宮町の西宮神社 上記写真に着いてしまいました。
 
 「びえ〜〜〜ん。」 
 「行きたかったのは お隣りの桐生市の西宮神社だったのに〜〜〜〜。」
 家に帰って 気が付いたのでした。

 足利学校より、鑁阿寺より、桐生市の西宮神社にいくのが目的だったのに・・・・。

 と、嘆いていると 「今回は行かない方が良かったんだよ。」という へび神様のお導きのような声がなんとなく聞こえてきました。

 私が行きたかった桐生市西宮神社は もとを 美和神社といい、 
 奈良県桜井市三輪にある 大神神社(おおみわじんじゃ)と関係がある神社なのである。
御神体の三輪山は、へびといわれている。
 崇神天皇によって西宮と名前が変わったようですが 大神神社(おおみわじんじゃ)と何かしら関係があるのではと思ったのでした。
 
 いずれ 群馬県立博物館・栃木日光方面も行きたいので、楽しみにしておきます。



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ジャパンスネークセンター
さぁ いよいよ お待たせしました。
「へ・へ・へびだ〜〜〜〜〜〜 !!」(ダッシュ!)
AM9:20 20分ほど 到着が遅くなったけど 無事 着きました。

『JAPAN SNAKE CENTER』 ジャパンスネークセンター
   [財団法人 日本蛇族学術研究所]
        〒379−2301
        群馬県太田市藪塚町3318
http://snake-center.com/
入園料 : おとな 1000円  こども 500円 (割引クーポン等あり!!)
開園時間 3〜11月  9:00〜17:00
12〜2月  9:00〜16:30
休園日 無し
電話 0277-78-5193

白蛇観音(はくだかんのん) 白蛇大神
   
さすが へびのメッカ
  神聖な気持ちになりますなぁ
あっ・あれ〜〜 
 注連縄がない。しかも 朱色

アミメニシキヘビ の骨
 アミメニシキヘビは東南アジアに分布する世界最長のヘビ。文献によっては最大全長990cmとされる。
 この骨もそこまで長くはないと思いますが 400〜500cm前後あるのではないでしょうか?
 
エメラルドボア の骨 
 その他 アミメニシキヘビや、キングコブラの全身骨格など 多数
ボアコンストリクター の抜け殻と 糞

 売店でお土産に抜けがらがほしいなぁと思ったのですが 綺麗に脱ぐ事はまれで、ぼろぼろになってしまうとのことです。

 ハブの 顔の方・しっぽの方の 抜け殻をお守りとして販売していました。
 全身の抜け殻が展示販売されているときはチャンスですよ!
洋書に載っているツチノコ

 蛇センター・ブログに書かれていましたが、現在 東北の方でツチノコ目撃情報が多数寄せられているようですよ!!
 う〜〜ん 探しに行きたいなぁ

アオダイショウ と 巳子

 ココに来るまでは「気持ち悪い」と言っていた巳子ですが・・・・。
 平日の早い時間だったからか 係りの方に蛇の特性などお話を伺う事ができ、このようにアオダイショウに触れさせて頂くことができました。
 本当にありがとうございました。浜松から来た甲斐がありました!!
ニシキクサリヘビ
 
 良く見て〜〜 ツノがあるよ わほっ!!
きゃわいい よ〜〜。
 さかな君 のように 「キャホッ」 「ワッ」とおおはしゃぎです。

  

  いや〜〜 ジャパンスネークセンター 素晴らしい!!


  お土産・売店の2階でマムシ料理を作っていただけるそうで へびの唐揚げ があるようです。 他に なんと!! 生きたマムシをその場でさばき 生き血 と マムシのハンバーグを食べさせていただけるそうです。

 今回はへびを 拝みに来たので とても生きたへびを食すなんて恐れ多く 家内も「血を見るのは・・・。」と遠慮してしまいました。

 でも 次回お伺いするときは チャレンジしたいです!!(断言!!) 

 ココを訪れれば へびに対する認識も変わる!!  はず!
 実際 巳子は完全にへび好きになり、「へびって 可愛いよね〜〜」と えらくお気に入り。


 想像以上に飼い易く、おとなしい事が認識され 最近では「へび」を飼う人が増えているそうです。食事も週に1回ほど冷凍の餌をあげる程度でいいそうです。
 なんだか 飼いたくなっちゃいますね。
 
巳子のお土産は 木でできた へびのおもちゃ くねくねまがる6・70cmほどのおもちゃです。 お気に入りの様です。
両親にはマムシエキス入り 薬用「陶陶酒」を。琥珀色の飲みやすいお酒。ますます元気が出てきました。 



効能/効果
滋養強壮、肉体疲労・胃腸障害・病中病後・栄養障害などの栄養補給、虚弱体質の改善
 このへびセンター はもともと陶陶酒のマムシ研究機関が全身で 前会長鞠山氏がへびセンターを財団法人とし寄付し現在に至るようです。

ジャパンスネークセンター 調査結果
 素晴らしいの一言。
 へびを満喫してきました。 へびの骨は、以前豊橋市動物園内 自然史博物館の企画展で見たことがありましたが、美しいですね〜。神秘ですね。 そしてクサリヘビの角も見れたので大満足です。 

調査結果  まとめ    へびの聖地でした。 



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三日月村
三日月村  上州新田郡
   木枯し紋次郎のふる里
 

●開村時間/午前9時〜午後5時
●入村料金/大人・・・600円
   (税別)/子供・・・300円
(入村料と全アトラクションセット)
    ◆大人・・・1,500円
    ◆子供・・・1,000円
群馬県新田郡藪塚本町
0277−78−5321・5415
 三日月村は、へびセンターの隣りにあり予定に入っていた観光ポイントでした。

木枯し紋次郎になる 巳子
 と いやいやの巳好樹
 アトラクションは、全部で4つ 想像していたよりも楽しめました。
 最後の江戸屋敷が1番楽しめましたが、ここのからくりは某忍者村屋敷のからくりより 良かったです。


三日月村 調査結果
 へび・蛇の目紋 見あたらず・・・。 (しっかり観光)

 群馬名物の 「焼きだんご」も食べる事ができました。 
三温糖とみそのたれで甘くておいしかったです。
村の方達もとても温かく親しみを持って接してくださいました。 


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東毛歴史資料館
東毛歴史資料館
開館時間 午前9:30〜午後4:30時
休館日 月曜日・祝日の翌日 毎月最終木曜日
年末・年始(12/27〜翌1/5)
入館料 一 般 200円
学生  100円
児童  50円
新田義貞公之像
 東毛地域には、多くの古墳や遺跡・貴重な建造物がある。
また、3代将軍家光の時に日光東照宮の大改築で旧奥社殿などがここ世良田に移築されと いうことで かなり!期待して行ったのですが・・・。

 徳川と世良多を関連する歴史的資料や、蛇の目・へびと関連する資料がわからず私の期待するものは東毛資料館に見い出せませんでした。
 静岡県浜松市浜北は入館無料・写真撮影も可能で、資料が展示されている。浜松市博物館も写真撮影OK 7世紀頃の本物の土器などにも手で触れる事ができる。
 
 展示品もそれほど多く無く、展示品の入れ替えはありますか?と伺いましたが同じだそうです・・・。
 この立派な建物が建つ前は無料だったのでは?と変に思ってしまった。といっても200円は安いですが。
 写真撮影がだめならせめて簡単でもいいので図説・図録がほしい。

東毛歴史資料館 調査結果
 新田義貞公之像の(ひざ)に!
蛇の目紋が!! 

 ・・・・といってもデザイン的にこういった模様はしばしば用いられる物でしょうか?

 この模様が蛇の目としてのものか断定できませんが今後、甲冑装飾の研究対象として保留したいと思います。



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世良田 東照宮(東毛歴史資料館隣接)
世良田東照宮

群馬県太田市世良田町3119-1
TEL0276-52-2045
http://www.net-you.com/toshogu/

世良田東照宮 
拝殿


この奥に本殿

この拝殿・唐門・多宝塔が、1639年日光から移築
多宝塔は明治維新の神仏分離で撤去。
本殿は新築である。

御黒門

江戸時代は、家康公薨去日4月17日・正月17日のみ開扉された。
「縁結びの門」ともいわれ、 地覆長押をまたいで参拝すると良縁が成就すると伝えられる。
 寛永16年(1639) 徳川家康公から御下命されていた天海大僧正が長楽寺を臨済宗から天台宗へと改宗復興。世良田が徳川氏の発祥の地であることから三代将軍家光公は先祖の遺徳と当地方の守護神として、二代将軍秀忠公造営の日光東照宮奥社(神廟=多宝塔 ・唐門・拝殿)を移築。本殿は新築し、東照宮を勧請された。

 徳川家康が、世良田の出身である事を世間でどのくらいの人が知っているだろうか?
わたくしは中学生時代、父が高校の図書館にあった「史疑徳側家康」という本を読んでそういった事を聞いていた。

 そして わたくしが修行から帰りネットオークションを調べているとあるとき 「史疑徳川家康」榛葉英治著(村岡素一郎の外孫)が目にとまり落札しました。なかなか出回らなかった物ですから、すごく喜びましたが 今では形を変え再販されたりWIKIでもあらすじが書かれ、徳川家康の様々な影武者説もネット上で閲覧できる様ですね。
 ネットの影響か歴史人気の影響か?すごいものである。
 
 世良田に足を運んだとき堂々と 徳川家康は、世良田出身と看板まであるのだが、日光東照宮に人気が集中し認知度は低いのではないだろうか?
 静岡県に住んでいるから言うわけではありませんが家康といえば浜松・駿府のある静岡です。
 おそらく家康にとって父親の存在はそれほど大きいもので無く 幼少育った静岡・育ての親源応尼(伝通院(母親)の生母)の影響が多かったことが推察できる。
 世良田の扱いが日光や久能山よりマイナーな印象を受けるのはわたくしだけだろうか?


 
拝殿向かって右側(南)

ここにもお稲荷さんが・・・?

開運稲荷社
古くから世良田に祀られていた神様。
将軍家の手厚い保護を受ける由緒ある「稲荷社」


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長楽寺  群馬県 世良田(東毛歴史資料館隣接)

長楽寺 三仏堂

長楽寺の中心的建造物
 鎌倉時代、徳川義季が、高僧栄朝を招いて開いた東関東最初の禅寺。
戦国時代荒れたが、江戸時代初め 徳川家康が天海僧正に命じ復興させた。
天海は古く臨済宗(中国宋から帰国した栄西が開祖)であったものを天台宗に改められた。



渡月橋と蓮池

承久三年(1221)長楽寺創建当時の遺構を残すもので、
蓮池は別名「心字池」とも言い左写真”南池”の2つの島は、『心』の字2点を表している。

また、南池には赤 北池には白
の蓮が植えられていた。
北池には「竜宮伝説」があり、底が竜宮に通じていたといわれている。

太鼓門 (県重要文化財)



 長楽寺三仏堂及び太鼓門 説明より

 太鼓門は、鼓楼ともいわれ、三仏像の西に隣接して立ち、様式手法等により江戸時代初期のもので、その後、三仏像同様に修理を経て現在に至っている。
桁行三間、梁間三間、袴腰付、入母屋造、胴瓦葺、東向き、中央一間扉構、上部は四週に縁をめぐらし、高欄が付く。正・背面の中央間に火灯窓、嵌板に華麗な彩色透彫文様を施す。楼上に太鼓をかけ、寺の諸行事の合図に使用した。

世良田長楽寺 調査結果
 太鼓門に蛇の目紋が!! 

 ・・・・といっても これもデザイン的に用いられているだけの物でしょうか?
この模様が蛇の目とは断定できませんが

慶安四年(1651)に三代将軍徳川家光の命により再造されたものです。何か意味があるはず!!


徳川家康・新田氏について研究されているサイト

◎足利尊氏 http://www.ashikagatakauji.jp/index.html (藤田史観)
世良田氏の謎解き


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冠稲荷神社  日本七社
http://www.kanmuri.com/index.html
 このあたり細谷の小高い山を「宮の森」と呼び古墳時代6世紀より千五百年の間、祭祀祭礼が行われた地のようです。
 平安時代崇徳天皇の御代天治二年(1125)、新田氏の始祖 新田義重公の父、源義国公創建と伝えられ、伏見、豊川、信田、王子、妻恋、田沼と合わせ、稲荷神社 日本七社のひとつといわれています。

冠稲荷神社 拝殿

とにかくこの森全体が歴史の深さをおもわせる規模というか風格である。
 この注連縄も立派な物ですが

下の鳥居もすごい!!
甲大鳥居(きのえおおとりい)

人が写っていないから比べれないが、高さ12.5m、幅18mの朱塗りの稲荷鳥居で、規模・ 量感とも群馬県下有数。
納得である。
冠稲荷神社 拝殿にも 
神社・仏閣にあるように が・・・。


稲荷神社とは

宇迦之御魂神(うがのみたものかみ)は別名を豊宇気比売神(とようけひめのかみ)保食神(うけもちのかみ)大宜都比売神(おおげつひめのかみ)という。五穀をはじめ全ての食物、蚕桑のことを司る神と紹介され。イナリは、もとは「稲生(いねな)り」「稲成(いねな)り」の意味であったのが後に神像(しんぞう)の姿が稲(いね)を荷(に)なっているところから「稲荷(いなり)」の字が宛(あ)てられたといわれている。 これは、冠神社のHP上の説明である。

 先に「へびって?」で見てきましたが宇賀神は人頭蛇身といった形で へびをあらわす神という事を調べてきました。ただこの宇賀神は、明治の神仏分離によって奉られたようで、それ以前の中世では宇迦之御魂神のことを別名 御饌津神(みけつのかみ) といい狐の古語「けつ」として民間信仰では狐=稲荷と誤解されてきたようです。あくまでも狐は神の使いであり 眷属である。  

 また 柳田国男氏は、稲荷信仰の中心には狐に対する信仰があり さらにその基底には田の神信仰があるという考え方をしてる。
 これは、今まで見てきた 蛇信仰と非常に似ている。

稲荷神社 の狐と 蛇信仰の類似点を挙げてみる。
 ◎へび と 稲・田んぼ に対する捉え方
   (ネズミを駆除する)
 ◎狐塚といった地名として各地に多くに残る事 
 ◎巫女が「稲荷下げ」といって稲荷神を憑依(ひょうい)し託宣(たくせん)を行う。
   (蛇を使って神託を得る 蛇巫(へびふ))
 ◎そもそも農業神であったが工業・産業・商業の神としても奉られている。
   (ご存知の様に蛇もお金や商業と密接である)

 わたくしの解釈では 神社も稲荷神社も同じような物であり、古来 蛇をまつっていたものが何らかの影響で、狐に置きかえる必要があったものと推測する。 
 いわゆる 稲荷神社の総本社 伏見稲荷大社は元々京都一帯の豪族・秦氏の氏神であり、渡来系の民族によって 蛇は嫌だから狐にしましょうか。 といったところではないでしょうか? 狐をつかさどった土器や古墳など律令制が敷かれる前には見られない(私の今までの調査で)ことから 先に蛇で、徐々に狐に置き換わったという事が言えるのではないでしょうか。

 もうひとつ 稲荷神社の特徴として鳥居が朱色という事に着目したい。
八切止夫氏は、稲荷の事を「夷也」としている。 ちなみに関東と関西では意味が違うらしく関東で「い」にあたるものを関西では「あ」としている。
 神社仏閣にもよくよく稲荷神社も敷地の片隅に申し訳程度によく奉られている。また関東や、東日本に多く稲荷神社が祭られている事も稲荷神社の特徴の一つである。
 渡来系の民族が征夷大将軍として 夷を制圧するたびに その怨霊や、魂を鎮めるために奉ってきたものではないだろうか? その際 朱色これは 平家の朱(赤)を意味するのではないだろうか? 

 



冠稲荷神社 調査結果
 蛇・へび・蛇の目 関係のものは見られなかったようにおもう とても残念でした。
稲荷神社が 伏見秦氏 と関係が深い事。
冠稲荷神社が 源氏である 源義国 また 新田義貞と関係が深い事
祇である 朱塗り である事。
とどういった関係があるのか興味深い事でありますが 蛇と関係なさそうなのでまた時間のあるときに 「特殊部落発生史」矢切止夫著 などを読んで調べて見たいと思います。
 
 それでも ココの注連縄は なかなか見ごたえありました。 が
ひとまず 蛇との関連性無し・・・・。


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蛇川  太田市内を流れる川 (1級河川)
『蛇川』

 太田市内の今回調査した場所や食事にもいったり来たりしている間  何度も蛇川沿いを走る事になり、標識も何度も目にしました。


 
『蛇川サイクリングコース 標識』

 上記写真にあるように「蛇川サイクリングコース」として整備されている。
『新蛇川橋』

 撮影場所は冠稲荷神社の東側 364号線の歩道


太田市土木事務所に電話して聞いたみました。

『蛇川』と呼ばれるようになったのは判らないくらい昔からそう呼ばれていたようです。

起点は 西長岡町からでその上流は用水になっています。
下流は 石田川に注ぎ利根川に流れ込みます。


蛇川 調査結果
 食事に行ったり、調査に行ったりの間
何回この蛇川沿いを通り、標識を見た事でしょうか?
やはり ヘビセンターの行き来から目にしたようで 起点はヘビセンターすぐそば 西長岡町という事でした。 ナーガの岡 と ヘビセンター。 偶然が必然の様に感じます。
しかも この日 の食事は、太田市名物の 黒いやきそば と、上州蕎麦
「どんだけ 長い物が すきやねん?」とツッコミが入りそうです。
ヘビセンター近くの
石切庵」さん
市役所裏の 「精華園」さん
 
 太田市は、ヤキソバの町ということで B級グルメまっぷ なるものもある。
ハシゴしてやきそばを何店輔か回ろうと思ったのですが・・・。
 思ったより量が多く あきらめる。

 静岡県も 富士宮ヤキソバが有名 で、実は蕎麦もかなりうまい店があったりする。
群馬県がすごく肌に合ったというか居心地が良かったのは 風土が似ているからだろうか?
 それともへびの町だから!?


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3日目
ぐんま こどもの国  
金山総合公園
 ぐんま こどもの国
 http://www.gunma-kodomonokuni.jp/

 開園時間 AM6:00〜PM8:00
   有料施設利用時間 
     3月から11月 AM9:30〜PM5:00
     12月から2月 AM9:30〜PM4:30
 駐車場 多数 無料

噴水で水遊びもできたり サイクル広場や、植物園 外で遊ぶだけでなく 児童会館という施設もあり スペースシアターや ちょっとした科学館のようなかんじで 

 とっても楽しめます。 のんびり過ごすには 超 おすすめ。
こっ これは!!
   前方後円墳ならぬ
 
  前円後円墳 型 遊具か?



 正式名「ふわふわドーム」
うむ ピラミッドだね これは。

そして 一番のお気に入りは ボブスレー

今回は”オチ”はありません 繰り返しですよ。
(平日運休 学童学期末休暇は、営業)


最後に 上州牛のステーキ で、

巳美(家内)と巳子(娘)のお腹を満たし



群馬を満喫(ゴマをする)するのでした。


「上州牛肉 みはら」さん にて
上州牛肉ステーキディナー 200g
に サラダバーが付いて  2460円



おしまい。
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へびって?(ヘビ民族のルーツの探求)

蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

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