蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 2010年05月27日
駿河国総社 静岡浅間神社
http://www.shizuokasengen.net/ (公式HP)

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◎神部神社(二社同殿)
◎浅間神社(二社同殿)

◎大歳御祖神社

これら三社を総称して、
静岡浅間神社 (おせんげんさま)

所在地 〒420-0868 静岡県静岡市葵区宮ケ崎町102-1
TEL 054-245-1820(代) 
駐車場 有り 60台 駐車時間30分無料
 第一駐車場は参拝目的以外(境外退出の場合)の駐車は出来ません。
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
 
 
 さて 調査の経緯ですが、
 長女(巳子)の学校行事「静岡総体」というドッヂボール大会が静岡市で、ちょうど定休日に行なわれるということで応援に行ったんですよ。 
 そんな訳で 巳子の出場しない時間と休憩時間を利用しましての調査です。

 ただね、 この浅間神社のある場所 
賎機山(しずはたやま) といいまして賎岡(しずおか)から静岡県となったとも言われています。(気になる字を使っているでしょ。詳しくは八切氏著書で)
 「日本平動物園へび調査記」でも ちょこっと触れたかもしれませんが、日本平と
賎機山(しずはたやま)とはもともと敵対勢力が対峙していた拠点なんですよ。
 「へび調査隊」としては時代によっては まさに敵地内進入 本拠地に乗り込んでいくもんでしょ。 その後の運気というか体の調子に出てこないか心配なわけですよ。 でも一度は訪れてみたかったので ちょいと びくびくしながらも計画を立てる事に・・・。

 当日は雲もあまり無い晴天 気持ちのいい日でした。 ドッヂボール大会もつつがなく進み。
 「それでは、わたくしはちょいと失礼。」と抜け出す事に。巳好樹隊員に神社に行くか聞くと行くと言うので家内を置いて、わたくしと2人で「いざ!出陣じゃ!!」
 
 車を走らせていると
 「うわ~~ 賎機山の上空がどんどん黒くなっていくよ (
(ひや)~~汗っ) 」 冗談に思えるかも知れないですけど本当に浅間神社上空だけが、アニメや映画のようにみるみるうちに黒くなっていったんですよ
 「おせんげん様にとっては招かざる客かも。」

 
上空に暗雲立ち込める(ゾッ~~)
車の中から撮影)
雨粒が・・・わかります? 
(第1駐車場側回廊)
 

 駐車場に着くと小雨が降り出して 「こりゃいかん。」 車の中でちょっと待っていたのですが まぁまずはお参りをと・・・。
 調査させていただく事をお願いしときました。 何とか雨も止み。 調査の許可がおりたみたいです。

 それでは 調査報告を・・・。 

ちなみに上記写真左の石鳥居は通称長谷通りにある鳥居。この鳥居の向こうに見える門が 
神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社 の総門[重要文化財]で、総門を抜けると楼門[重要文化財]です。
神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社 楼門
神部神社・浅間神社の楼門で、文化12年(1815年)起工、同13年竣工。総漆塗で、彫物には「水呑の龍」「虎の子渡し」などがある。
二層部分の中央に掲げられる扁額には「當國總社・冨士新宮」と書かれている。

[重要文化財]
楼門左右の木像2体は”随神様”作者製作年とも不詳とのこと(telにて確認)
楼門をくぐり中を見上げると正面に『水呑の龍』


手水舎
楼門をくぐるとすぐ、左右に1つずつある。 巳好樹隊員も水遊び こころを清めるのが大好きである。


舞殿
神部神社・浅間神社 大拝殿の正面に位置する舞殿。
文化14年起工、文政3年竣工。江戸時代後期に造営された社殿中唯一素木造り。立川流彫刻も、ここでは素木のものが鑑賞できる。

毎年節分には、こちらの舞殿から豆まきが行なわれる。厄払いの神事などが行なわれるようである。

[重要文化財]


神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社(二社同殿)の大拝殿
 大拝殿は神部浅間両神社の拝殿で、文化2年起工、同11年竣工。楼閣造りで、いわゆる浅間造の代表的なもの。高さ25mあり、殿内は132畳敷きの広さがある。天井は十間の合天井となり、その各間に狩野栄信・狩野寛信の「八方睨みの龍」「迦陵頻伽」「天人」の天井絵を飾る。 

 [重要文化財]
『右近の橘』『左近の桜』 なぜか 拝殿の左右に平安京に習ったような植え方が・・・。「北口本宮冨士浅間神社」には
拝殿の前の両脇に樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の御神木があるが、「富士山本宮浅間大社」に桜はあるようですが橘は無さそう。 どういう意味?


神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社(二社同殿) 本殿
浅間(あさま)神社 冨士新宮(向かって右側)
[重要文化財]
主祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
(天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御妃神)
配祀神 瓊々杵命(ににぎのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
ご鎮座 平安時代の延喜元年(901年)
醍醐天皇の勅願によって、現在の富士宮市の鎮座する「冨士山本宮浅間大社」のご分霊を勧進
ご神徳 安産・子授け・婦徳円満
神部(かんべ)神社 駿河国総社(向かって右側)
[重要文化財]
主祭神 大己貴命(おおむなちのみこと)(大国主命別名)
配祀神 瓊々杵命(ににぎのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
東照宮(とうしょうぐう)
ご鎮座 第十代崇神天皇の御宇
(約二千年前)
ご神徳 延命長寿・縁結び・除災招福
 国府が定められてからは国司崇敬の神社となり、平安時代より駿河国の総社とされた。
写真は パンフレットより。
 


大歳御祖神社 拝殿
 巳好樹隊員 みごとな鈴の鳴らし方でございまする。 
主祭神 大歳御祖命(倉稲魂神・大年神の母神、別名神大市比売命
配祀神 雷神
ご鎮座 総国風土記によれば第十五代応神天皇四年(約1700年前)の鎮座と伝えられ、延喜式内社である。もとは社名を奈吾屋社とも称した。
ご神徳 往古の安倍の市(静岡)の守護神であり、農・漁・工・商業等諸産業の繁栄の守護の神として信仰される。
 御本殿は文政4年起工、天保7年竣工の三間社流造りで両社本殿にくらべれば簡素なたたずまいであるが、組物・彫刻には極彩色を施す。当神社には、もと天保7年竣工の拝殿と天保8年竣工の楼門が存したが、先の大戦により焼失したため、鉄筋コンクリート造の拝殿と神門が再建された。
 [重要文化財]
大歳御祖神社 神門 大歳御祖神社 手水舎
 

少彦名神社 境内社
祭神 少彦名命、神部神社の元の末社十四社の神々
もとを神宮司薬師社と称し、古くから医薬の神、技芸上達・知恵の神と仰がれる。
[重要文化財]
大工立川和四郎富昌
建築様式 入母屋造 銅瓦葺
 第一駐車場のそば、境内の北部に鎮座する。蟇股(かえるまた)と呼ばれる十二支の彫刻が有名。蟇股(かえるまた)とは梁(はり)の上、桁との間に置かれ上部構造の重みを支える山形の部材です。しっかり”へび”の彫刻も写真に収めてきました。  (わかり難いかな?)

 でも、干支中「子」「丑」は内部にあり、普段は窺うことが出来ない。
十二支彫刻 ”巳”


八千戈神社
祭神 八千戈命(神部神社の荒御魂神)
本社の左側に鎮座。もと摩利支天社と称し、徳川家康公の念持仏たる摩利支天を祀る。明治の神仏分離により八千戈神社と改められた。漆塗極彩色。蟇股の二十四孝彫刻が有名。スポーツ・武道・開運の守護神。
[重要文化財]
建築様式 入母屋造銅瓦葺
 

玉鉾神社
祭神 羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤。(国学の四大人)
本社の北側に鎮座。社殿は伊勢神宮の御古材にて昭和51年再建された。例祭/3月29日。明治9年官許を得て県内の神官により創祀され、受験・学問の神と仰がれている。

宝蔵
 嘉永7年(1854)に建てられた、桁行3間、梁間2間、袴腰付、入母屋造り、本瓦葺きです。
 平成11年2月に神廐舎とともに国の[重要文化財]に指定。





 八千戈神社の南側に百段(麓山神社参道)という急な階段があります。 大歳御祖神社側からも急な階段ではない緩やかな坂道があるのですが 知らなかったので この百段・・・。登りました。
 写真では分かり難いかもしれませんが かなり!! この階段を巳好樹隊員を抱っこしての登り・・・。「怖かったよ~~~」 でも写真中央に フレア(ゴースト)が。カメラによっては良く出るカメラもあるようですが、このデジカメを使い始めて3年以上になります。世田谷の奥沢神社調査記以来2度目です。 わたくしはメッセージと思っていますよ。「ちゃんと見守ってくれているみたいです。」
 足を滑らせないように手すり近くから登った方がいいですね。 ちなみに実際は105段(104段)あるようです。


 急な石階段を登るといわゆる賎機山の稜線ですね。左右(南北)に道があり北に麓山神社、南側に賎機山古墳につづきます。 
麓山神社
麓山神社 拝殿 麓山神社 本殿 麓山神社 本殿(横から)
主祭神 大山祇命(本社浅間神社の木之花咲耶姫命の御父神)
配祀神 日本武尊
御由緒 文政3年起工、天保5年竣工で三間社流造り漆塗極彩色。宮元8ヶ町の氏神でもある。
本殿、中門、透塀、拝殿 とも[重要文化財]


さらに 稜線を北に行くと広場みたいなところに出ました。

 更に坂を登って行くと「山頂駅」といまでも呼ばれているベンチのある広場に出るようです。浅間神社から山頂駅までロープウェイがあったのですが、S49年の七夕豪雨で死者の出る山崩れがおき、撤去されたとのことです。 更に進むと観音像の建つ広場に出ます。百段から約1Km弱の距離です。


賎機山古墳
 6世紀頃(1500年前)の築造とされ、円墳でその規模は大きく、県下随一の家形石棺を有し、出土品の豊富華麗なことは東海地方に類を見ない。出土した装身具・武具・祭祀遺品等多数を、浅間神社の宝物とともに境内の文化財資料館に展示している。(昭和28年、国指定史蹟)
古墳外観
見取図(パンフレットより) 出土遺物 石室入口(鍵がかかっています)
内部


静岡市文化財資料館
http://www.city.shizuoka.jp/deps/bunkazai/bunkazai_hogo_siryoukan_index.html
巨木(向かって左) 赤い欄干の先に資料館(中央) 橋の両側に池
所在地 〒420-0868
 静岡市葵区宮ヶ崎町102番地(静岡浅間神社境内)
TEL 054-245-3500
開館時間 午前9時~午後4時30分
休館日 月曜日、祝日の翌日、年末年始
 ※展示替えのための臨時休館があります
入館料 一般:200円、小・中学生:無料、一般団体(30人以上):150円
駐車場 静岡浅間神社駐車場
 撮影禁止 という事でパンフレット一部
収蔵品
● 古文書・古記録(今川家・武田家・豊臣家・徳川家等約110通)
● 書画・絵画(山田長政戦艦図・大象図・寛文絵図等)
● 棟札(寛永・文化・文政・天保度のもの等多数)
● 扁額・絵馬(三十六歌仙・楼門掲額・大絵馬144面外)
● 古鏡(六鈴鏡・神鏡・御正体)
● 武器・武具(太刀・長巻・鎧・腹巻・弓・靱・軍配など)
● 神輿(三代将軍家光公奉納)
● 調度品(狛犬・神服・御杯)
● 楽器(琵琶・和琴・鼓など)
● 宣命(幣帛目録6通など)
● その他(鉄製釣灯篭・紫石硯・文庫・神宮式年遷宮御神宝・史蹟賤機山古墳出土品など)
感想
 赤い欄干の”かが○みはし”を渡り静岡市文化財資料館に伺おうとしたんですよ。

すると 三匹の鳩が調査を妨害する。雨の次はハトか。

ハト(子分)「おうおう ココから先は通さんぞ!!」
ハト(ボス)「とー とー ほぉわっ ほー!!」

と言わんばかりの迫力で迫ってくるんです。
 何の何の こっちには 強い助っ人『巳好樹隊員』!!

ハト(子分)「ボス~~!!」
ハト(ボス)「どうぞどうぞ ご覧ください。ほわほーー」


いや~~巳好樹隊員を連れて来てよかったなぁ お手柄ですぞ。

さて 今回の調査で 面白いなとおもった事

まず、1つ目は 
『右近の橘』『左近の桜』 ですね なぜ拝殿の左右に平安京に習ったような植え方をしているのか。
「北口本宮冨士浅間神社」には拝殿の前の両脇に樹齢千年の「富士太郎杉」「富士夫婦檜」の御神木「「富士山本宮浅間大社」に桜はあるようですが橘は無さそう。 どういう意味?という事ですね。
深く考える必要が無いといえばそうなのですが・・・。

 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと) の”コノハナ”とはまさに桜を意味する。春に咲き誇るサクラが散るころに田植えの時期を教え桜の神から稲の神様となるといわれています。
大拝殿の向かって左側が浅間神社なのでせめて 左に桜を植えるべきではなかった?かなと思いながら・・・。
 京都の平安京の『左近の桜』が植えられる前 左近にあったのは”梅の花”である。枯れた為”桜”になったといわれていますが、ある説によれば これも民族的なもので梅を象徴する民族から桜へと置き換わったものという。日本といえば桜の樹ですが、日本の警察、消防の代紋に桜が使用されているのもこの為である。と言う説です。
 と、考えると橘がココで植えられるのは 四姓、源平藤橘 の影響か?
 それとも植えられてそれほど経ってなさそうなので「徳川家 井伊大老」の影響か?
なんて 思惑をめぐらすのも楽しいもんですよね。 (偶然かもしれないし、気まぐれでやったことかもしれませんけど。 それは必然です。)
 
2つ目
 三社まとめておせんげん様といいますが、神部神社(駿河国総社)が向かって右側にある。言い方を変えると、鎮座する浅間神社の左に位置する方が上位と考えられる。御由緒にも先に書かれているから、神部神社が歴史ももちろんながら上位であると思われる。崇神天皇の御代の鎮座のようですが、登呂遺跡(弥生時代)からの歴史を誇るといいます。その神部神社の主祭神 大己貴命(おおむなちのみこと)が大国主命別名である事からも”へび”と関係があったことが推測できる。 崇神天皇は”ハツクニシラススメラミコト”とも言い「初めて国を開いたシュメールの王だよ。」という説もあり”へび”とも何かしら関わりがありそうです。 
 それにしても神部(かんべ)神社・浅間(あさま)神社が 二社同殿という、そう多くは無い形であること。先の民族と後の民族とがうまく手を取り合ってまとまってこの地を治めた素晴らしい神社といえるのではと思いました。 
 
 今回の調査は車を向けた途端に暗雲立ち込める ビクビクな調査ではありましたが、さすが、おせんげん様ふところが深いですね。 わたくしどものようなものも受け入れていただいたようで、 まぁ無事に 調査させていただきありがとうございました。
 
”東海の日光”と呼ばれ建物のほとんどが国の重要文化財である素晴らしい神社でした。

 帰る頃には上空に晴れ間も見え始め、
 静岡市南部体育館に戻る頃にはすっかりいい天気でした。直線距離にして4Kmも無いと思うんですけどね。

 当日の天気もTenki.jpで見ると確かに不安定だったみたいですが、偶然か、必然か? 
 肝心の巳子のドッヂボールの試合の方ですが 優勝できなかったようです・・・。
 この調査記を編集しているのが2011年6/16日で、先日今年の静岡総体ドッヂボール大会があったんです。今年は定休日でなかったので応援にいけなかったのですが、巳子も成長したようで、ボールを積極的にキャッチし、投げては当てていたようです。 わたくし・・・体が小さくて”すばしこさ(すばやさ)”には自信があったものですから、同じく小柄な巳子にも常日頃”逃げる指導”をしていたのです。
 去年は見事に逃げて「立派に逃げた!!」とパパは嬉しかったのですが・・・。
 今年は「何!?」 逃げる指導をしていたパパが恥ずかしくなるではないか!!
 
話を去年に戻して・・・。
 
 「さぁ。 記念撮影。 」って

 「前の おか~~さん。 あたま入っちゃてます。・・・」 

 「でもって 巳子は どっち向いとんねん!!」
 
 「パチリッ・・」


おしまい。
 
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