蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
 09年10月12日
西三河資料館めぐり 愛知こどもの国
 今日は 平日の祝日ということで 今日は早朝から出発です。
歴史公園
http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,2179,92,417,html
(パンフレットより)
所在

本丸丑寅櫓・鍮石門・旧近衛邸
    西尾市錦城町231番地1
尚古荘
    西尾市錦城町176番地1他

観覧料金 無料
開館時間

4月~9月  9:00~18:00
10月~3月 9:00~17:00

呈茶時間(通年)10:00~14:00

休館日

月曜日(祝日または振り替え休日にあたる場合、翌日)
祝日の翌日(土曜日、日曜日の場合は開館し、翌日以降の平日を休館)
12月29日~翌年1月3日 

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。


施設紹介
 
鍮石門(ちゅうじゃくもん)

間口約9m、奥行き約5m、高さ約7mの堂々たる楼門に再建された鍮石門は、城主の居所である二の丸御殿(にのまるごてん)に至る表門でした。その名前から、扉に真鍮(しんちゅう)が飾られていたとも言われています
旧近衛邸

 本丸丑寅櫓(西尾城)・鍮石門の再建とともに1996(平成8)年に移築される。
 近衛家が、西尾市と何か関係があったのか?と思い調べてみたら、京都小松宮家から天理教に渡り、神殿解体に伴いここ西尾市に移築されたとのことです。

西尾市はお茶の栽培も盛んなようでその抹茶をここで頂く事ができるようです。
(お客さまが多数見えていたので横からの写真)
西尾神社

昭和30年創建 大東亜・日清・日露戦争で亡くなった英霊を祀っているようです。

西尾城址の碑が建ち、石垣や土塁、本丸がこの辺りにあった。ことを表しています。
御釼八幡宮(みつるぎはちまんぐう)

 西尾城の城内鎮護のために本丸内におかれた神社で、代々の城主の崇敬が深く西尾城の守護神として祀られている。

 本殿は一間社流造桧皮葺、拝殿は間口三間、奥行二間の入母屋造桧皮葺。棟札や石燈篭の銘文から、本殿と拝殿は延宝6年に当時の城主土井利長によって再建されたもの、渡殿は幕末(安政6年/1859)に増補したものとみられる。

本丸丑寅櫓 (西尾城)
 
巳美(家内)
  「隊長!!」
  「西尾城の詳細を調べてまいりました」
 西尾城の特色は、天守が本丸ではなく二の丸にあり、城下に士農工商が混在していたこと、「総構え(そうがまえ)」といって城下町の周囲を堀と土塁で囲んだことです。
 1996(平成8)年、城郭図や平成6年の発掘調査資料から、鍮石門と共に再建されました。
 本丸丑寅櫓(ほんまるうしとらやぐら)は、城内の隅櫓のうち一番高い建物で、三層、高さ約10メートルの木造本瓦葺、壁面上部は漆喰塗籠、腰部は下見板張りとなっています。
巳右衛門(隊長) 
 「うむ。 ごくろうさまで ございます。」 
(ちょっと 低姿勢)
 「それでは 皆のもの!! 掛川城に続いてこの西尾城も調査攻め落とすぞよ。」

 「行け~~~っ!!」
巳子(長女)
 「一番槍は わたくしめが とりまする!」




巳右衛門
 「姫みずから・・・ですか?って
 もう行っちゃったよ~~。」
 
 巳右衛門
  「巳子様 最上階へ一番乗り お見事でございましたぞ。」
 
 巳美(家内) 
  「若様(巳好樹隊員)も 相変わらず 足が地に着いていないようで・・・。」
 
 巳右衛門
  「うむ。 気持ちが高ぶって落ち着きが無いわけではないぞ。」 
  「・・・抱っこ抱っこで 歩こうとせんのじゃ。」
  「これでは巳好樹隊員を写真に撮ってあげれないぞよ。」
最上層内部 櫓からの景色
 巳子(長女)
  「ところで隊長! 巳好樹隊員の笑顔に 西尾城主が同盟を申し出てまいりました。」

 巳右衛門
  「願ってもない。」 「また 西尾市に遊びに来ようね。」



 一同
  「高いところから見下ろす景色はいいものですね。」

 巳右衛門
  「気分のいいところで ・・・。」
  「それでは 皆様 資料館の方へとお願いいたしまする」
 (完全に低姿勢)





西尾市資料館
http://www.city.nishio.aichi.jp/index.cfm/8,3130,94,530,html
 歴史公園敷地内にあるものの 設立が昭和52年と歴史公園より古いようである。
所在

〒445-0864 西尾市錦城町229
 0563-56-6191(資料館)
 0563-56-2459(文化振興課)

観覧料金 無料
開館時間

9:00~17:00

休館日

月曜日・祝日の翌日・年末年始・臨時休館日

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。


 
 館内展示物 (常設)
 
糸車 (中央)
糸を紡ぐ道具、紀元500~1000年頃中国かインドで発明されたといわれているが、それ以前は紡錘車を利用した駒のような形のもので紡いでいた。
かせくり (右)
”カセ”といって糸の束をねじってあるような状態のものをねじれを取って巻き取る機械です。
押さえ瓦(手前下) 
 糸車を抑える重石で、家紋入りのものを嫁入り道具に用いました。
土地測量具(手前)


秤 はかり / さおばかり(奥)


室町時代末?
西尾城跡からは鍋類が多く出土しているそうです。
 今回伺った時は、常設展でこのような古民具といった生活に密着した時代が新しいものが多く展示してありました。 (「明治・大正時代の生活用具」という資料を頂く事ができました。)

 さらに古い時代のものは岡島弥生資料館という西尾市立三和小学校内の空き教室に展示してあり、、この日は月曜日の祝日で、西尾資料館は開館であったものの小学校はお休みということで見学する事ができませんでした。(また事前予約が必要ということです。)

 そこで、下記に頂いたパンフレットから西尾市の歴史を少し御紹介したいと思います。

 パンフレットより
 西尾市の文化財一覧でも見る事ができます。
 
石器 旧石器時代

右から
 南中根町貝ス出土の有舌尖頭器
 下羽角町住崎出土の有舌尖頭器
 枯木宮貝塚出土の細石器2点

 紀元前13000~8000年
縄文土器 縄文時代後期中頃(紀元前1000年頃)
 八王子貝塚出土

 文化財一覧HPには数点の写真掲載ではありますが、八王子貝塚からは員数582点 582個の大量の土器が出土しておりもっと詳しく見てみたい気持ちです。

 特に右下の土器は独特な形状をしていて面白い。

土偶 (分銅型板状土偶)
 八王子貝塚出土
 縄文時代後期


 安産を祈願したり病気の治癒を祈ったりといった儀式に使われたと考えられています。
弥生土器

 弥生時代中期
 岡島遺跡出土

 さまざまな色と形。この頃には他の地域との交流があったことを伺わせる。
小島銅鐸 (東京国立博物館蔵)

 突線紐1式
 高さ31.10cm

 パンフレットから小型に見えたので大きさを調べたら31.1cmということでした。静岡県西部で出土した小型のものほど小さくはありませんが、突線紐式ということですので東海地方に良く見られる形です。
 古墳時代以降になると出土品の多くにあまり地域差が無くなっていくような気がする。(いままで見てきた中での感想)
 これも大和を中心に中央集権的な国家が形成されていくからでしょう。
 この西尾市では 91基の古墳群が確認されたものの 多くが工業地帯などの造成によって消滅してしまったという事は残念です。
 副葬品は須恵器・管玉・金メッキ製の耳環などが出土していますが、出土点数は少なそうです。盗掘などでなくなってしまったのでしょうか。
 ということで、古墳時代以降の掲載は割愛させていただきます。

 





吉良町歴史民族資料館
http://www.town.kira.lg.jp/pub/kyouiku/bunka_sportsshisetu/rekishiminzoku/
所在

吉良町大字白浜新田字宮前59-1
電話番号・FAX(0563)-32-3373

入館料 無料
電話受付

9:00~16:30

休館日

月曜日
12月29日~翌年1月3日 

駐車場 無料 300台
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。


 
◎館内展示物
 
岩場古墳出土円筒棺 (すぐ下の写真はパンフレットより)
出土地
 吉良町小山田字大山の丘陵端部に所在する全長30m余の帆立貝式前方後円墳から出土
大きさ
 全長193cm
様式
 円筒型埴輪の作成法を用いており、弥生時代後期から古墳時代埴輪を使用していた頃にかけて見られる 近畿地方中心に全国でも25例ほどの出土。

 この施設で最も期待していたのが、埴輪の作成方法を用いた珍しい棺 すごい形ですよね!!胴体部分の蛇腹模様は理解できても左右の蓋になるキノコの傘状のものは何を表しているのか? 全体の形は サナギのようでもあります。死後再生を願ってこのような形にしたのではないでしょうか。
円筒埴輪 (中央奥)
 埴輪棺を覆っていた埴輪片を復元すると円筒埴輪になりました。

朝顔形円筒埴輪胴部 (中央)
杯部を打ち欠き埴輪棺の本体として利用されていました。

須恵器壷 (手前)
墳頂部から出土 

 いづれも 岩場古墳出土
管玉 勾玉

 岩場古墳出土
岩谷山1号墳 副葬品  七世紀前半

須恵器平瓶
鉄鏃

金銅装太刀
 鞘や柄の表面に銅の薄板を張り金めっきが施された権力を表す装飾的な太刀

など

◎吉良町といえば 吉良氏
 
高家吉良氏系譜

 「忠臣蔵」で悪役の吉良上野介義央ですが、地元では治水工事や新田開発に功績のあった名君として知られる。
 
 上司の吉良上野介が部下である浅野内匠頭を指導する立場であり、指南料などの貢物をきちんとしなかった浅野内匠頭の方が常識はずれだったと思う・・。(確かに献金や裏金は良い事ではありませんが、当時はそういったことが常識であり生活費に当てられていたことを考えると。)
 たとえ意にあわなくても上司が怒っていたらどうすれば気に入られるのか立ち回って行かないと。 吉良上野介も赤穂浪士も気の毒じゃ。(わたくしも吉良上野介は名君とおもう。)
吉良上野介義央公木像(県指定文化財の4分の1)のミニチュア(写真内左)
 本物は華蔵寺(吉良家の菩提寺)に


長福寺薬師如来座像(写真右)
 廃寺となった長福寺のご本尊。藤原時代の作。戦国期東条吉良氏の盛衰を見届けた仏様
吉良家什物漆椀

本田貫一氏 寄贈

西尾市のあるお寺に吉良家由緒のお宝として保存されていたものが、いつしか西尾市長であった本田氏の所蔵となったもの

◎別スペース
 メインスペースには上記岩場山古墳出土品や、高家吉良家の展示が主となっていますが入場して左側のスペースのガラスケースには、なにげに 縄文時代の遺物が展示してあります。
 
渡船場遺跡出土品
上横須賀・西尾市鎌谷町

古墳時代前期
海岸線の遺跡

縄文時代の吉良町は大部分が海であり、弥生、古墳時代にかけて入り江となり吉良町南部~西尾市福地地区かけ水上交通の要として重要な遺跡が点在している。
写真は吉良町出土 縄文時代の深鉢や石斧など
金蓮寺遺跡

金蓮寺弥陀堂は鎌倉時代中期の建築で国宝に指定されているが、その境内から当時住職の骨壷などが出土している。
 写真は
左:常滑広口壷 14世紀
中央:瀬戸筒型容器 14世紀~15世紀
右:常滑玉縁口縁壷 13世紀後半


◎屋外展示
 
入浜式塩田
 潮の干満を利用して海水を塩田(左側の敷地)に引き込みます。右は製塩小屋(塩焼小屋)。江戸時代以前より使用されていましたが、昭和28年に受けた台風の壊滅的被害により流下式塩田に代わります。
製塩小屋の鹹水桶(かんすいおけ)

 塩田で濃度が上がった塩水を入れておく桶
 
岩谷山1号墳(移築)
 館内展示の副葬品、須恵器平瓶・鉄鏃・鋲・金銅装太刀などが出土しています。
  
中野・願成寺のコンクリートの釣鐘

 太平洋戦争の時、武器、弾丸の材料として全国のお寺の釣鐘や仏具が利用されました。
 一日も早く平和になり鐘が戻るように願いが込められています。





幡豆町歴史民族資料館
坂を登った所に 幡豆町ふれあいセンターがあり、そこを回り込んだ奥に資料館はありました。

公式ホームページは無さそうです。
所在

幡豆郡幡豆町大字寺部字浜田69 
0563-62-3102

開館時間

9:00~16:30

入館料 無料
休館日

月曜日
月曜日、祝日の翌日、年末年始(12/28 ~1/4 )

駐車場 無料 
*上記案内は調査当時のものです。必ず電話でご確認の上お伺いください。


◎展示物紹介
  江尻遺跡遺構 出土 (弥生時代前期)
 
条痕文系土器(右側)
 縄文時代晩期の代表的な様式(関東・中部・近畿地方に広く分布)

遠賀川系土器
(上部左三点)
 弥生時代前期の土器の総称
 西日本から中部地方にかけて分布し、北部九州からの弥生文化伝播を裏付ける資料
条痕文系土器
 縄文時代晩期の代表的な様式(関東・中部・近畿地方に広く分布)
 この日は主に江尻遺跡の遺構から出土したものの展示報告がされていました。今後展示物が変わるかは分かりません。
 ただ、頂いた資料の中に「幡豆町 とうてい山古墳出土の遺物(1) 三田 敦司 氏」というものがあり、とうてい山古墳から 須恵器、土師器、勾玉、耳環、武器(鉄鏃・太刀など)また馬具などが出土していることが分かります。 残念ながら盗掘後売却された須恵器などは所在不明となっているようですが、三田氏が出土遺物の一部を実測しその成果と、とうてい山古墳の築造時期を六世紀末~七世紀中葉とまとめている。
幡豆町の古墳と遺構
 数字部が赤は現在も一部分あるいは全部残っている古墳、黄色は残っていない古墳。約半数が消失している・・・。

 この幡豆町は古墳が38基と非常に多く、盗掘にあっていなければかなり見ごたえのある展示物が揃うのではと惜しまれますが、他にもどのような遺物があるのか興味をそそられます。そういったものを集めるとかなり充実した素晴らしい展示物が揃いそうな気がします。


◎第二展示室

 
櫛・手鏡など レコードや蓄音機 昔の紙幣
 上記写真の展示物 や昔のカメラ、駕篭、キセル、湯たんぽ、農機具などさまざまなものを展示しています。
 




愛知こどもの国
http://www3.ocn.ne.jp/~a-kodomo/
 愛知県政100周年を記念して「こどもと自然との対話、こどもとこどもの対話、こどもと親との対話」をテーマに1974年10月29日に開園.
 1月2、3日に行われるジャンボカルタ取り大会が有名。

(地図は公式HPより リンク)
 一年を通してバーベキューが楽しめるキャンプ施設や、夏にはプール施設も開設。
 愛知こどもの国は入園は無料で東側の「あさひが丘」と西側の「ゆうひが丘」に分かれている。
 「ゆうひが丘」には、動物と触れ合える動物広場やゴーカートなどの乗り物、小型ながらも本物の蒸気機関車に乗ることもできる施設が、「あさひが丘」には、大型遊具が設置されている遊具広場、ぼうけん広場、芝生広場や自然の中を散策できるハイキングコースなどがあります。
 有料の乗り物も「安~~い!!」 「敷地面積「ひろ~~い!!」 大満足間違いなし。

所在

住所:幡豆郡幡豆町大字東幡豆字南越田3番地
電話:0563-62-4151
FAX:0563-62-4155

開園時代 9:00~17:00 (季節変動あり) 
入園料 無料
休館日

年末年始(12月29日~1月1日

駐車場 民営 有料一日500円
(東側1000台、西側500台(西側には他に臨時駐車場あり)。
*上記案内は調査当時のものです。必ず電話でご確認の上お伺いください。



◎あさひが丘
 
大型ローラー滑り台 全長130mのドラゴン遊具 22種のアスレチック
自転車・ボールの
貸出しあり(運動広場)
シマウマ(動きません)
「ハイ!ポーズ」
ミニカー 1回100円

 州崎山第二古墳 「うわ~~こんなところにも古墳が!!」
古墳外観
古墳内部
 詳細の看板が剥げて内容が読み取れませんが、どうやら”愛知こどもの国”の尾根上に州崎山古墳群として全部で五基あり、そのうち四基見る事ができることが分かりました。

大和國古墳墓取調室」様 「幡豆町の古墳」参照のこと。

今度来た時には他の3基も見学したいですね。

◎ゆうひが丘
 
ゴーカート
1回150円
ゆうひが丘でも
ミニカー好きね!
ランドトレイン定員100名
無料だけど 人いっぱい
こども汽車 「まつかぜ」
大人200円こども100円

小さいながらも 本格 蒸気機関車
  こども汽車からの景色は良かったですよ~~  (写真は動物広場付近から) 
動物広場
 16,000㎡の敷地にウサギ、鳥類、ヤギやシカ等の動物とのふれあいも楽しむことができます。
ここに来るこどもたちは雑草を取ってはヤギに餌として与えていましたが・・・。いいのかな?
 それにしても シカとふれあえるなんて楽しいですね。「みゅーみゅー」といった鳴き声も聞こえますよ。
感想

 今回の調査は祝日ということで、子供達と目いっぱい遊ぼうと思って、”愛知県こどもの国”に行く計画をたてました。
 しかし、東名岡崎ICから目的地に行くまでに 歴史資料館という関所がいくつもあるんですよ、早朝から出発し九時には現地入りしたのですが午前中は ほぼ博物館めぐりになってしまいました・・・。
 西尾市歴史公園や西尾城址までは良かったのですが・・・。
 3施設目の幡豆町資料館では、「車で待っている。」という悲しい事態になってしまいました。別に怒ったり嫌がられる事はないのですが(あきれるというか、あきらめに近い状態・・・)
 みんなで楽しまなければ意味が無いので・・、 私としては非常事態宣言発令 今回の調査隊の大反省点でした。

 しかし、何とか昼前に”こどもの国”に着き、思いっきり遊べた事で子供も家内も納得・満足してくれたみたいです。 ”こどもの国さん”ありがとう!!

 「へび調査隊」の成果としては・・・。岩場古墳出土の円筒棺がサナギに似ていること。 包帯でぐるぐる巻いてサナギのようにし、再生を願ったエジプトのミイラのようでもあります。また 埴輪のルーツを調べてみると岡山県吉備地方に繋がり、へび伝説の多い奈良県三輪山・大和古墳群と関係があることが分かりました そんなわけで
 「八、ナギの発音」 
 「古墳時代 ②埴輪に見るへび」
 に編集しておこうと思います。

 こどもの国ではミニ救急車があり、
 医療活動の象徴、「スター・オブ・ライフ」にアスクレピオスを見る事ができました。ちょくちょく救急車も見かける事がありますが写真に撮る事ができたのはラッキーでした。

 こちらも「①アスクレピオスとへび」 の項に追記したいと思います。
 
 
 次は吉良町資料館から幡豆町資料館に向かう途中の防波堤に壁画です。
 良く見ると法被(はっぴ)「蛇の目」模様が!!
うひょひょっと大喜びで、お家に帰ってネットでこのあたりの祭りの法被模様を調べたのですが分かりませんでした。
 きっとモデルになるものがあると思うのですが・・・。

 ほかの壁画に「へっぷりお嫁さん」(屁こき嫁)の童話のように女の子がおならを「ぶほ~~~~」としているような壁画もありましたので、 童話の本か、絵本の図柄を参考に描かれているのかもしれませんね。

 まだまだ 調査したいところがありますが、それでも西三河を思いっきり満喫すると同時に 文化に触れさせていただくことができました。ここには掲載できませんが 子供たちのいい表情の写真も取れましたので
反省点はあるものの 大成功ということで。


おしまい
 
 
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蛇の目って?(「蛇の目」の事を調べてるページ)

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