蛇の目ってなんぞや?!
 
へび調査隊記
舞阪町資料館 09年10月01日
http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/hamahaku/09annex/hakubut07.htm
 舞阪町図書館と併設されたモダンな建物が閑静な雰囲気の中たたずんでいる。
場所は非常に分かりにくく バス通りよりちょっと南に入るので余計に分かりにくいかもしれない。舞阪中学校の西側と覚えておくと多少見つけ易いかも。
 湖に沈んだ湖底遺跡の遺物の数々、弥生時代の出土品~現代の漁師町である舞阪の生活、祭りについての紹介がなされている。
所在

〒431-0211 浜松市西区舞阪町舞阪2668番地の56
TEL 053-592-7000

観覧料金 無料
開館時間

9:30~17:30

休館日

月曜日、日曜日を除く休日
年始・年末(12月29日~翌年の1月3日)
  ※図書館の開館日、開館時間に共通

駐車場 無料
*上記案内は調査当時のものです。必ずオフィシャルサイトでご確認の上お伺いください。
浜名湖南部一帯の遺跡群
舞阪町遺跡分布図 
 1万年前の浜名湖南部(写真左)は沿岸流に運ばれた砂礫によって閉ざされ、入り江として発達し幾つかの遺跡群として発展したようです。 右写真は浜名湖南部の更に西側に位置する舞阪町周辺の遺跡分布図です。
 主な展示物
縄文土器片

船元式土器(写真上)
 縄文時代中期(起元前3000年)
 弁天島渚園遺跡出土
 舞阪町最古の土器片


宮滝式土器(写真下)
 紀元前700年
 浜名湖内碇瀬西側
 木下宣次郎氏寄贈
 巻貝でスジをつけている
土器棺(どきかん)
 弥生時代中期(西暦200年頃)
 白石山遺跡出土
 日常使う土器を 子供の埋葬用に転用したもの。

  壺形土器(写真左) 高さ42*39(cm)

  鉢形土器(写真右) 高さ35*55(cm)
  
井戸枠
 古墳時代(7世紀頃)
 弁天島遺跡出土  杉材

 弁天島湖底遺跡では 干潮時の水面に顔を出す浅瀬から弥生時代中期から奈良時代の土器片が大量に。また、この井戸枠も見つかったようです。 

ガラスの写りこみで巧く撮影できなかったので左写真はパンフレットより
鉄製釣針(左)
 浜松市梶子遺跡出土 (8世紀前葉) 

鹿角製擬似針の軸部(中央)
 浜松市伊場遺跡出土 (8世紀後半)

青銅製釣針(右)
 浜松市伊場遺跡出土 (弥生時代後期)
 「うおぅ~~。」 舞阪町らしい釣り針の出土品だとおもったら 前回調査に伺った伊場遺跡出土のものでした。 浜松市梶子遺跡も伊場遺跡に含まれます。

 ただ、8世紀頃より 律令制の国家体制になり舞阪の地域は
敷智(ふち)(渕)郡と呼ばれるようになり、政治の中心は伊場遺跡の方へとなっていったようです。青銅器製の釣り針が弥生時代に使用されていたということですので、舞阪でも使用されていたでしょうね。

祭りや漁の資料

岐佐神社の神輿
 文政4年(1821年)製作

 豊漁を祈願し神輿が町内を練り歩く。


 正面?に鳥居と注連縄が飾られ三巴の紋がついていました。

岐佐神社の大太鼓

旧暦の9月14日・15日の満月の日に町内安全と豊漁を祈願して、毎年行われる世界最大級の大太鼓祭

漁の道具類
感想

 伊場遺跡資料館では天竜川を境に土器の質が変わるということを見てきました。
 この舞阪町資料館の縄文土器片にもあてはめてみると、写真上の縄文時代中期(起元前3000年)のものはやや赤みがかかっているように見え、写真下の紀元前700年の土器片は、完全に天竜川以東の影響を濃くした土器片といえるのではないでしょうか。 土器片もこういったことを考えながら見ると楽しさが増すように思います。

 しかし、へび・蛇の目関連も全然無く・・・。

 
 私がひそかに注目している紡錘車も・・・・。見れなかったのが残念でした。


「え~どこかに貸し出し中?」


 それでも図書館に併設ということで無料で見る事ができ、舞阪町の歴史を知る事ができとてもよかったです。

 実はここに来る前に子供達と浜名湖であさり採りをしてきたんですよ。

 えへへっ 

 今も昔も浜名湖の豊かな海の幸に恩恵を受けているんですよね。
 感謝感謝です。
今度潮干狩りに出るときは 形の変わった石を注意してみよう!!
もしかしたら 縄文土器片が見つかるかもね。

おしまい
 
 
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